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逡巡のとりどり@京都


by anzu-ruyori
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ブログ10年! わあ~ 

きょう、気が付いたらこのブログの10周年がすぎていた。
2006年1月からはじめたのであった。

長いことお世話さまです。
見てくださっている方々、そしてエキサイトブログさん ありがとうありました。

このごろは、更新もおそくて ほぼ放置状態ですが、
10年前は、結構いろいろ書いていて、読み返すと忘れていたあれこれが
散乱しているのであった。

ちなみに一回目は鏡餅↓
http://miteikou.exblog.jp/253447/

10年前の私は、今の私とぼぼ変わらないようで、やっぱり変わっている。
繊細さがなくなっている気がする。いろんな意味で。

ていねいに死ぬまで生きていきたい。

今よんでいる本
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2015年9月刊 大月書店 

竹内浩三は、伊丹万作の弟子だったのかどうか!
残された文章と証言、そして想像力で検証されていく。
浩三さんも喜ぶ愛ある一冊。


最近みてきた作品展 
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Co-jin Collection[コジコレ]
会 期|2016年4月6日(水)〜5月8日(日)
10:00〜18:00(月曜定休)

場 所|art space co-jin
(京都市上京区河原町通荒神口上ル宮垣町83 レ・フレール1階)

出展作家(50音順・敬称略)|井上潔、井上広美、大柳憲一、金田尚子、金井幸枝、林川幹雄、小松満雄、瀬戸口友代、玉田雄気、中川淳、中塚季子、長岡麻里奈、長谷川栄子、森田仁美


しょうがいのある人たちの作品展です。
すばらしい!必見です。

会期中にまたいきます。


あと20年はつづけていたいな ブログ「未定稿」 

さあ 書くのよ。
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# by anzu-ruyori | 2016-04-16 22:40 | 日々ログ

誕生日につき・・・

数年前から、誕生日には実家に電話する。

「おかあちゃん、私を産んでくれて ありがとう」




 うさぎ         まどみちお

うさぎに うまれて 

うれしい うさぎ

はねても

はねても

はねても

はねても

うさぎでなくなりゃしない 

  

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

これをいつも、うさぎを「わたし」に変えていってみる。



わたしにうまれて 

うれしいわたし

はねても

こけても

凹んでも

わたしでなくなりゃしない(^O^)


53歳になりました。

健康です。ありがとう。

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ソウル 曹渓寺(チョゲサ)のホライ(虎) 
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# by anzu-ruyori | 2015-12-14 18:33 | 日々ログ
韓国ツアー 3日めの午後は、ソウルにもどって「戦争と女性の人権博物館」へ

ずっと、募金をあつめていたので、正直「いったいいつできるのだろう」とおもっていたが、2012年5月に完成!

決して大きくないが、かえってそれがとてもよく活かされる 
被害にあった女性たちの心によりそう博物館になっていると感じた。

戦争と女性の人権博物館 ↓

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少し、きつい坂道をのぼったところに 小さな入口がある。この小ささがいい。
(長野の無言館の入口も小さかったことを思い出す)

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館内は、日本語音声解説がある。展示の最後に「少女像」が。
「どうぞ少女と話してみてください 少女の声にみみをすませてください」という意味で、
となりの席が空いている。
  
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たくさんの資料の中に、日本人軍人のちいさな手帳があった。鉛筆でちいさな文字が縦書きにしるされている。



○月○日 

きょうは楽しい外出日。

石川といっしょに まづ、朝鮮征伐にいく。

次は、支那征伐だ。一番乗りだった。




手帳には、軍服姿の写真もそえられている。
貴重な記録を提供されたご家族に感謝したい。




企画展示では、「解放をまつ女性たち」と題して、ベトナム戦争での韓国軍による性暴力被害があきらかにされていた。

2015年4月に被害者が韓国を訪れ、水曜デモに参加で 日本軍「慰安婦」被害者たちと出会った。

「私たちは、アジアの戦争が生んだ同じ被害者だと思います。あの方たちは日本軍の被害にあい、私たちは韓国軍の被害に遭ったということです」




この日の夜は、ふぇみんと提携しているインターネット新聞のイルダの記者たちとの韓定食を食べながら交流。30代の女性たちがスポンサーなしで運営している気鋭のジャーナル。
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   http://www.ildaro.com/index.html


「韓国では日本に平和のイメージはまったくない。しかし『日本の国民』には期待している。」という発言が印象に残った。

 会食中、40代前半の女性が来年、広島と屋久島への旅行を計画しているという。
なぜ、屋久島かときいたら、「山尾三省さんの著作を読んだから」と。韓国で三省さんの名をきくとは!

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4日め 尹東柱文学館

2012年7月に完成した「尹東柱文学館」

ここも決して大きな施設ではないが、尹東柱の精神性が表現されていてとてもよかった。
この地は尹東柱が小説家金松の家で文友の鄭炳昱と共に下宿生活をしたゆかりの地で、「星を数える夜」「自画像」「たやすく書かれた詩」など代表作とも言えるこれらの作品はこの時期に書かれたと言われています。」
visit korea より引用)

文学館が出来る前から「詩人の丘」と呼ばれていたそうだ。

建物はなんと高台の住宅地のための上水道の加圧場と3つの水タンク。
女性建築家の設計で、鎮魂と追悼の場所としてうまれかわっている。


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観光バスは、青瓦堂(大統領府)見学の観光客のもの。ハイキングの人も多い。
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3つあった水タンクは、一つ目が展示室「詩人の棟」
↓二つ目は天井をあけて中庭「開かれた井戸」
    三つの水タンクは「閉ざされた井戸」拘置所の中のイメージ (映像鑑賞)
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    韓国アート散歩さんのブログより 雪の尹東柱文学館の写真がすてきです。
        http://koreart.exblog.jp/19619602/


展示室には、尹東柱の生家の井戸が展示されている。

  尹東柱にとって「井戸」は大切なキーワード


「自画像」      

 
山の麓をめぐって 田んぼのそば ぽつんとある井戸を
ひとり尋ねて行っては、そっとのぞいて見ます。

井戸の中には、月が明るく、雲が流れ、天(空)が広がり、
真っ青な風が吹き、秋があります。

 そして ひとりの男がいます。
 なぜかその男が憎らしくなって、帰って行きます。

 帰ってから考えると、その男がかわいそうになります。
ふたたび行ってのぞいてみると、男はそのままいます。

 またその男が憎らしくなって、帰って行きます。
 帰ってから考えると、その男がいとおしくなります。

 井戸の中には、月が明るく、雲が流れ、天が広がり、
真っ青な風が吹き、秋があり、
追憶のように 男がいます。

1939年9月           訳詩 井田 泉牧師



↓ 井田泉牧師のブログより転載させていただきました。
http://blog.livedoor.jp/izaya/archives/50696382.html

当時の韓国キリスト教会の状況についての資料も掲載されています。

井田牧師は、君が代ピアノ伴奏拒否裁判(東京地裁2015年10月判決)に陳述書意見書 を提出されている方です。キリスト者として論理的な拒否理由をのべられていて感服しました。

私は以前、井田牧師と京都宇治での尹東柱追悼集会で詩の朗読をごいっしょさせて頂いたことがあります。

 

11月25日のニュース↓

【ソウル聯合ニュース】ソウル・鍾路区は24日、区内にある尹東柱(ユン・ドンジュ)文学館が国家報勲処の顕忠施設に指定されたと明らかにした。 
同館は国民的詩人・尹東柱(1917~1945年)の記念館。
尹東柱は日本に留学し同志社大に在籍中、ハングルで詩をつくったとして治安維持法違反の疑いで逮捕され、1945年2月16日に福岡刑務所で獄死した。 

尹東柱が学生時代に同区内に下宿していたこともあり、2012年7月に水道加圧場の跡地を利用して同館は開館した。
写真や原稿、関連する映像物など133点が展示されている。 

顕忠施設に指定されたことで、施設の改修や補修、顕忠施設であることを示す案内板の設置にかかる費用の一部が国費から支給される。
2015年11月24日15時3分配信 (C)YONHAP NEWS
http://www.wowkorea.jp/news/korea/2015/1124/10156102.html


文学館をあとにして、ホテルにもどり、空港へ。

初日の仁川、ナヌムの家、戦争と女性の人権博物館、そして尹東柱文学館には、ぜひ、来年中にもう一度訪問したい!とおもっています。

ご同行のみなさん、ふぇみんのみなさん、現地ガイドさん、旅行社 たびせん・つなぐさん ありがとうございました。

いい旅でした。宿題いっぱい。















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# by anzu-ruyori | 2015-12-01 00:07 | 平和 自由 
韓国ツアー 3日目

ソウルを出て、郊外の高層マンション群と連なる岩山 紅葉を みながら 護政府市(ウィジョンブ市)へ


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米軍基地村とトゥレバン 


2014年6月 
1960年代~70年代に米軍基地村で性売買をおこなっていた女性122人が「外貨を稼ぐために
国が介入して『公娼』のように女性たちに性売買をさせ、定期的に性病検査をするなど、『管理』をおこなってきたことは違法だ」として提訴した。(ふぇみん2014年4月25日号)

ことし9月第6次弁論では、証人のキム・ヨンジャさん(73歳)が25年にわたる米兵を相手にいた屈辱的な体験を証言した(ふぇみん 2015年11月25日号)


基地村で働く女性たちの「相談、余暇、カウンセリング、就労支援」をおこなうNGO団体「トゥレバン」(英名 MY Sister`s Place)  

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トゥレバン 두레박  の直訳は、「井戸のつるべ」 井戸の水を組むための綱と桶だという。
なんて詩的な命名だろう! 女性たちの心の井戸につるべを落として気持ちをくみとる場所だ。


入口 チマリョゴリの女の子たちの絵がかわいい。ここは、なんと 2000年まで「性病検査をおこなう施設」だったそうです。
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素敵な壁画のある玄関ホール  絵画によるカウンセリング、セラピーもおこなわれている
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↑ 米兵がやってきたので、あいさつしてみた 
私「HELLO ~」 

米兵「アンニョンハシムニカ~」

私「 We are Japanese! 」

米兵「こんにちは ありがとう!」


沖縄にもきていたのかな~

女性兵士の姿もみました



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↑これはめずらしい 練炭 연탄  がいっぱい! 
日本では、まったく見られなくなった練炭が、韓国の屋台では活躍していた。
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昼食は、基地村の入口の食堂で「プデチゲ」(部隊鍋)キムチチゲに
ソーセージが入ってる!(かつて米軍基地の払い下げ品だったから)
インスタントラーメンを煮込む


トゥレバンの所長、ユ・ヨンニムさんは、「これは軍国主義をなくすための活動、国のために軍隊はある。」といわれた。教会の信徒活動のひとつとして基地村の女性支援をはじめられたそうです。
「性売買がドイツでは2000年に合法化されたというが、実際に政府登録した人は3人だけ。結局、国が国民を守る責任を放棄したこととなる。
ポイントは、自ら性売買を生活の糧に選択したとしても『やめたいと思ったときにやめられるか』だ」といわれた。

韓国米軍基地村で生まれた米兵との子どもたちが、70年~80年に国家事業として海外養子縁組されていったことも大きな問題だ。


基地村で働く女性たちと子どもたちのことが、韓国の女性監督による映画となっている。

3本とも以前みたが、かなり詩的で哲学的で、難解。現地を訪問して今また、みてみたいと思う。


蜘蛛の地
http://www.yidff.jp/2013/ic/13ic13.html

アメリカ通り
http://www.yidff.jp/2009/cat043/09c060.html


「女性と孤児と虎」
http://wan.or.jp/article/show/1974 ← 岡野八代さんの映画評








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# by anzu-ruyori | 2015-11-30 17:20
韓国ツアー 2日目 

タプゴル公園

1919年3月1日 独立宣言書を読んで独立運動はじまった場所
現地ガイド キム・スヨンさんの詳細な解説でレリーフを見学

紅葉がきれいだった。この公園には早朝からおじさんたちがいっぱいきていた。
退職後のおじさんたちが日がな一日すごす場所で、昼食の提供もあるとか。
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レリーフのひとつには、キーセン(芸妓)の女性たちが日本人警官と対峙している姿がある
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水曜デモ
日本大使館前の「日本軍慰安婦」問題の正式な謝罪と賠償をもとめる抗議デモ行動に参加。
1992年から毎週水曜日に欠かさず行われています。

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日本大使館は、建替え中でした。
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「慰安婦」とされた少女の像 毛糸の帽子とマフラー、ストールであたたかくしてもらっていました。
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こどもたちのアピールもありました
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ナヌムの家

ソウルから1時間半ほど車で走ってナヌムの家へ。
日本軍によって「慰安婦」とされた女性たちが暮らす場所。
今は10人の方が入居されています。
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2009年にお会いした カン・イルチュルさんと再会。
京都で、毎月1回「日本軍慰安婦問題」を街頭アピールしている写真をお渡しできた。

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リビングに、4人のハルモニがきてくださいました。にこにこして、ずっと手を握ってくださるパク・オクソンさん。
2009年に訪問したときは、入居されたばかりでおとなしく黙っておられたが、今はここに馴染んで安心して暮らしておられるご様子でした。


カン・イルチュルさんは、「みなさんにいいたいことがある」と、いわれ「日本は韓国を36年間も支配してきた(両手を広げて、下に押しつけるしぐさ)。
私は中国につれていかれて、帰ってこられたのは2000年だ。両親も兄弟も誰もいなくなっていた・・・」


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1ヶ月まえに訪問した人は、カン・イルチュルさんが「アベはこないのか!」と発言されたと、いわれていました。
88歳になられたカン・イルチュルさんの怒りを忘れていけない。











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# by anzu-ruyori | 2015-11-30 13:29 | 平和 自由 
2015年11月10日から13日の4日間 韓国にいってきました!
出発1週間前から風邪をひいてしまい、体調不安と準備不足でしたが、韓国では体調もよく充実した旅でした。韓国料理の底力か!

ふぇみん(婦人民主新聞)70周年記念のスタディツアーで、参加者20人。
20代~80代の社会問題にとりくまれている方が多くて、興味深い話も色々おききできました。

私は6年ぶり2度目の韓国訪問。 
前回訪問の2009年9月 ブログ↓
http://miteikou.exblog.jp/11905297/

 
関東組は成田空港から関西組は関西空港から出国して
仁川空港で合流、総勢20人+日本人添乗員で、大型観光バスに乗り韓国ツアー出発!



1日目 仁川(インチョン)

仁川在住の作家 戸田郁子さんの案内で、商店街に残る日本人が暮らした痕跡を辿る
ちょっとディープな町歩き。

仁川は、日本統治以前の1800年代後半から、長崎と交易があり最も多い時期には既に2万人もの日本人が居住していたと知り、びっくり。

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港から、自由公園をのぞむ。紅葉がきれい。自由公園にはマッカーサー像がある。朝鮮戦争のとき、仁川上陸作戦が成功して、南軍の勝利となったので、マッカーサーが自由を運んできたということ。元々はロシア人が整備した近代公園で、万国公園とよばれていた。日本統治時代に植えられた桜がいまも4月には満開になる。

日清戦争 日露戦争 そして、朝鮮戦争、いつも 仁川は戦場だった。

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一見するとハングル文字の看板のある現代的な商店街も70年以上まえの日本建築の木造長屋だという。 表通り側だけが平面でうしろは三角屋根のいわゆる「看板建築」。

             ↓ 日式(日本式)木造建築
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            ↓ 日式住宅をリノベーションした「茶具博物館」
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        ↓ 昭和30年代の日本住宅みたいだが、70年以上前の建物
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    ↓日本人がつくった石垣。角がきっちり直角になっているのが日本式。
      大根葉がほしてある。おつけものにするのかな。
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          ↓ 日本統治時代の建物に3階部分を増築。
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↓ 1900年代はじめの仁川港  瓦葺の日本家屋がならんでいる。
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  ↓ 戸田郁子さんの「官洞(カンドン)ギャラリー」

  90年前に建てられた6軒長屋の日本式木造建築。
  2013年に戸田さんと出会い、建築家富井正憲氏に
  よる「日式住宅再生プロジェクト」で、蘇った。

 「官洞」とは終戦後に韓国人がつけた町名。官舎のある町だから。
日本統治時代は「仲町」と呼ばれていた。

  日本と仁川の今と昔に、時空を超えて出会える場所でした。
  
  紹介記事↓ 

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2015年1月 オープン 
             ギャラリー ゲストハウス セレクトショップ
   
ホームページには戸田さんから以下のよびかけがある。
  
  「仁川に所縁のある日本のみなさんへ」

仁川官洞ギャラリーは仁川市中区の、かつて「日本人租界」のあった町にオープンした展示と交流の空間です。

多いときには二万人もの日本人が住んだと言われるこの町には、過ぎた日の痕跡が今も数多く残っています。


私は現在、この町に住む唯一の日本人として、思い出の場所や人をお探しの方々のために、

​なにかお役に立つことはできないだろうかと考えております。


ご質問、ご要望などございましたら、どうぞ、このメールあてにご連絡くださいませ。


仁川官洞ギャラリー 戸田郁子

gwandong14@gmail.com



  仁川官洞ギャラリー営業案内

開館時間:金/土/日 10時~18時  観覧無料。

住所  :〒22315 韓国仁川市中区 新浦路31番gi 38

電話  :032-766-8660

e-mail :gwandong14@gmail.com 

http://www.gwandong.co.kr/


出版社「土香(とひゃん)」→http://www.tohyang.co.kr/jp/about.htm

↓ 中華街にある「仁川近代博物館」
館長さんが、若い頃から収集してきたモノたちでいっぱい!  
仁川の100年前からの息吹を感じた。         
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↓ 港のレンガ倉庫は、「アートプラットホーム」という名で、
芸術作品の制作工房と発表の場となっている。
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↓商店街の広場にある銅像 左から韓服の親子、中国服の男性、着物の女性と三つの民族が仁川で、共生していた姿があらわされている。
中国人が手にしているのは、ごぼう。
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↓ 日本人街(観光用に作られている。あまり人気がない うどん屋とかある)にある人力車の像。
韓国で、日本人のとくに男性の着物姿の銅像はとても珍しいそう。統治時代の差別や恐怖の象徴だからか。

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  空港の名前でしかなかった仁川に、こんなに日本式の暮らしぶりがあり今も活躍していることに驚いた。
近いうちに、ぜひまた来てみたい。まずは、戸田郁子さんの著作を読んでみようと思う。
  
 戸田郁子さん著作 

     · ハングルの愉快な迷宮 講談社文庫

     · ましくて愛しいハングル 講談社文庫

     · 悩ましくて愛しいソウル大家族  講談社文庫

     · 中国朝鮮族を生きる 旧満洲の記憶 岩波書店



つづく、ソウルへ。


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# by anzu-ruyori | 2015-11-23 14:48 | 平和 自由 
竹内浩三を好きになって、8年くらいになる。


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天性の詩人とかいわれるけど、
浩三さんが天才かどうかは、
よくわからない。「アホやな~」とは、よく思う。

浩三さんの言葉をたどることで、浩三さんとおなじように
日本に帰ってこれなかったたくさんの人の声を、
きいているような気がするのです。






5月12日 浩三さんの誕生日に、
竹内浩三辞典、はじめちゃいました。

月いちぐらいの更新で、ゆっくり書いていきたいと思っています。

blog 竹内浩三辞典 試作中
http://kozo-takeuchi.jugem.jp/
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# by anzu-ruyori | 2015-06-15 01:10 | 浩三さん(竹内浩三)
母が作ったえんどう豆を、一緒に収穫した。
父がTVの前で、背を丸めて さやをむいてくれた。

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市民農園のちいさな区画の中で、季節の野菜を作っている父と母。
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# by anzu-ruyori | 2015-05-09 00:08 | 日々ログ
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ことしも、浩三さんの誕生日がきます。

1921年(大正10年)5月12日が、竹内浩三さんの誕生日。

その日の竹内呉服店の晴れやかさと、
母よしの憂いと、父善兵衛の喜びと 姉こうさんのとまどい

いまよりずっと、にぎやかな宇治山田の駅前の
海鮮問屋や海苔屋や材木屋のならぶ商店街に
大八車や人力車や馬車が走っていただろう

その日も麦の穂がのびていただろう
夕方には、かわほり(蝙蝠)が、飛んでいただろう

竹内呉服店の軒先には、つばめの巣があっただろうか



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

竹内浩三 生誕祭

5月10日(日)午後2時~4時

場所 伊勢市岩淵 赤門寺正寿院 

入場無料


プログラム

詩の朗読  厚生中学美術部
        宇治山田高等学校、伊勢高等学校有志
        明倫小学校有志

お話と朗読  よしだみどり
         庄司乃ぶ代
         岡田美代子
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# by anzu-ruyori | 2015-05-07 22:34 | 浩三さん(竹内浩三)

調光操作卓と「漂着」

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これ、舞台照明の「調光操作卓」練習用 。

子ども(25歳)、
大学卒業後していたコンビニ深夜バイトは、去年でやめて、
今は時々ホテルの披露宴会場で照明のアルバイトをしている。
ダークスーツで出勤。5月は毎週日曜。結婚シーズン。
大きな会社の人や公務員が多いという。

そして、スポットライトを担当していたが、こんど調光卓の操作をしなくてはいけないらしく、
スケッチブックに、「紙調光卓」を作って、操作の練習をしていた。

私の連想は、「紙鍵盤」・・・ピアノの。
「紙キーボード」・・・ワープロ、パソコンの。

かつて、ピアノもパソコンも家になかったから、自宅練習は「紙」の上だった。

しかし、「紙調光卓」とは。

まじめか。まじめだ。

演劇をしている。


次回公演は、6月。京都公演のあとは、香港、マカオ 大阪 津 東京とつづく。

がんばれ。

下鴨車窓#12『漂着(island)』

http://tana2yo.under.jp/cn17/pg238.html


まだまだ、どこにも「漂着」しそうにない、流れ出してもいないような「ニート」な彼は
この芝居を機に、どこに流れていくのだろう。

しかし、きょうは、まだ うちに「漂着」してこないな~。
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# by anzu-ruyori | 2015-04-27 00:00 | 日々ログ