韓国 ハルモニに会いにいく旅 その2
2009年 09月 15日
3日めは、ソウル駅からKTX (新幹線みたい 平均時速290キロでした)で、テグ(大邱)市へ
2004年 京都でのはじめての証言集会に 来てくれた イ・ヨンスさんに会いにいきました。
高層アパート群のひとつに、イ・ヨンスさんのお部屋がありました。
小さいけれど、きれいに整頓されてこざっぱりしたお部屋でした。
この部屋で、イ・ヨンスさんはテレビで初めて慰安婦であったと名乗りをあげた金学順さんをみたのです。
それまで、自分と一緒にいた数人だけが、
そんな目にあっていたと思いこんでいたイ・ヨンスさんは、
勇気をだして、支援団体にこの部屋から電話をかけたのです。
イ・ヨンスさんは、70歳をすぎて テグ大学に入学して「名誉学生」になられました。
日本語が、とても上手で、日本やアメリカに何度も、一人で飛行機にのっていかれます。
私だったら、できるだろうか?といつも思います
お昼前に、3人でお風呂にいきました。
イ・ヨンスさんの散歩道をたどって お風呂やさんへ。日本のスーパー銭湯とあまりかわりないのですが、
あかすりコーナーがあったり、水風呂がひろかったり、湯船にゆっくりつかることはあまりされないところが違うところでした。
高層住宅群の前に、屋台がならぶ
お昼ごはんは、おいしいきのこチゲやさん!ありがとうございました。
そのあと、「ハルモニとともにする市民の会」の事務所に案内していただきました。
「市民の会」は、テグに住む日本軍性暴力被害者のハルモニたちを支援してきた団体です。
http://www.1945815.or.kr/
広い事務所には、ハルモニたちの写真と亡くなられたハルモニの遺品も展示されていました。
韓国では、駅で たくさんの軍服をきた若い男性を見かけました。
徴兵されている人たちです。彼らは、休みの日に町にでかけているだけれど、
そのときも軍服をきていないといけないのです。
「軍隊のある国」です。
イ・ヨンスさんと、タクシーにのっていると運転手さんが、
自分の父親が日本軍の徴用で酷い扱いをされたことを、少し激昂して、話されました。
私は、「ミアナムニダ」(ごめんなさい)としか、いえませんでした。
運転手さんは、笑顔で、「ケンチャナヨ」(気にしないで 大丈夫だよ)と
いってくれました。
私は、タクシーを、精一杯の笑顔で、手を振って見送りました。
この国の、そしてアジアの人たちは皆、日本植民地時代を経験している。
言わないけど、きっと 私を「日本人」と認識したとき、
色々な思いを抱いていることだろう。
「ミアナムニダ」としか いえない。ごめんなさい。
ハングルの勉強をもっと頑張ってやろうと思います。
たくさんの人に親切にしていただいた韓国の旅、ありがとうございました。
また 行きます!次は、ぜひいってみたい↓
ソウル平和博物館 〒110-170)ソウル市鍾路区99-1
http://www.peacemuseum.or.kr/
2004年 京都でのはじめての証言集会に 来てくれた イ・ヨンスさんに会いにいきました。
高層アパート群のひとつに、イ・ヨンスさんのお部屋がありました。
小さいけれど、きれいに整頓されてこざっぱりしたお部屋でした。
この部屋で、イ・ヨンスさんはテレビで初めて慰安婦であったと名乗りをあげた金学順さんをみたのです。
それまで、自分と一緒にいた数人だけが、
そんな目にあっていたと思いこんでいたイ・ヨンスさんは、
勇気をだして、支援団体にこの部屋から電話をかけたのです。
イ・ヨンスさんは、70歳をすぎて テグ大学に入学して「名誉学生」になられました。
日本語が、とても上手で、日本やアメリカに何度も、一人で飛行機にのっていかれます。
私だったら、できるだろうか?といつも思います
お昼前に、3人でお風呂にいきました。
イ・ヨンスさんの散歩道をたどって お風呂やさんへ。日本のスーパー銭湯とあまりかわりないのですが、
あかすりコーナーがあったり、水風呂がひろかったり、湯船にゆっくりつかることはあまりされないところが違うところでした。
高層住宅群の前に、屋台がならぶ
お昼ごはんは、おいしいきのこチゲやさん!ありがとうございました。
そのあと、「ハルモニとともにする市民の会」の事務所に案内していただきました。
「市民の会」は、テグに住む日本軍性暴力被害者のハルモニたちを支援してきた団体です。
http://www.1945815.or.kr/
広い事務所には、ハルモニたちの写真と亡くなられたハルモニの遺品も展示されていました。
韓国では、駅で たくさんの軍服をきた若い男性を見かけました。
徴兵されている人たちです。彼らは、休みの日に町にでかけているだけれど、
そのときも軍服をきていないといけないのです。
「軍隊のある国」です。
イ・ヨンスさんと、タクシーにのっていると運転手さんが、
自分の父親が日本軍の徴用で酷い扱いをされたことを、少し激昂して、話されました。
私は、「ミアナムニダ」(ごめんなさい)としか、いえませんでした。
運転手さんは、笑顔で、「ケンチャナヨ」(気にしないで 大丈夫だよ)と
いってくれました。
私は、タクシーを、精一杯の笑顔で、手を振って見送りました。
この国の、そしてアジアの人たちは皆、日本植民地時代を経験している。
言わないけど、きっと 私を「日本人」と認識したとき、
色々な思いを抱いていることだろう。
「ミアナムニダ」としか いえない。ごめんなさい。
ハングルの勉強をもっと頑張ってやろうと思います。
たくさんの人に親切にしていただいた韓国の旅、ありがとうございました。
また 行きます!次は、ぜひいってみたい↓
ソウル平和博物館 〒110-170)ソウル市鍾路区99-1
http://www.peacemuseum.or.kr/
by anzu-ruyori
| 2009-09-15 20:51
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