逡巡のとりどり@京都


by anzu-ruyori
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20年 と牛の鈴音と食パンの歌

子どもを産んで20年たった。

子どもは すぐに大人になるのに、

大人はいつまでたっても「大人」になれないのよ。

と、ほろよいコンサートで加藤登紀子さんがいっていたなあ。



ああ、いろいろあって 楽しかった。

ーーーーーーーー 「楽しかった」と思うことで、そうじゃなかったことを
          封印して、自分は不幸ではなかったと自分に思い込ませてきたという
          ところも あったことに 最近 気がついて愕然とした。
          私もサヴァイバーであったと自覚することも大切だと思った--------

いろいろあったから、20年どころじゃない 50年くらいたった気がする。

でも、子どもは20才だから、やっぱり 20年なんだ。

「はたちってどんなかんじ?」と聞いたら、予想どおり「別に」という返事の

絵に描いたような 普通のはたちの男の子になりました。


私は、寅年で、つぎの周り年には 還暦だと 気づいて 笑けた。

ああ 早く還暦になりたい!



牛の鈴音 という映画をみた。

http://www.cine.co.jp/ushinosuzuoto/index.html

ハルモニとハラボジと牛の話。まさに、牛歩の物語。

土のにおいをかぎたいと思った。

ゆっくりと時間の流れるところにいる人のことを思いながらみていた。


はたちの青年は、「怪獣たちのいるところ」をみにいきました。

2年前の誕生日の話↓

http://miteikou.exblog.jp/7370912/


はたちの青年が帰ってこない晩に、

山尾三省さんの詩集を出して、「食パンの歌」を声に出して読む。

20歳を前に屋久島をでていく長男にむけて歌われた詩だ。

●−♢−●−♢−●−♢−●−♢−●−♢−●−♢

おまえもよく知っているように
私達の家ではめったに食パンを食べない
たまに食パンを食べるのは 病人が出たときとか
順子 が熱病のように食パンを食べたくなったときか
思いもかけないお金が入ったときかである
……

東京というところは 食パンなどありふれた食べもので
……
それをみすぼらしい食べものと感じ、時に汚らしい食べのものと感じるところだ
……
いつか食卓の上のひときれの食パンを
そのように感じて見向きもしないときがくる
……
その時は
(よく覚えておいてほしい)
父親である私の思想が死に直面している時であり
父親でも私でもないひとつの真理が 死に直面しているときである
……

●−♢−●−♢−●−♢−●−♢−●−♢−●−♢

私は三省さんのようには、生きていけないけれど

ただ この詩のなかで

「私はこれまで ただ一緒に住んできたというだけで おまえに何ひとつしてやれなかった」

というところでは、三省さんと同じだと痛切に感じている。
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by anzu-ruyori | 2010-02-05 21:43 | 日々ログ