逡巡のとりどり@京都


by anzu-ruyori
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九州の旅★筑豊編その1

2年ぶりに、九州にいってきました。
筑豊と太刀洗に。どちらも私が出会ったおばあさんにゆかりある土地です。

「筑豊」は、今まで私にはまったくなじみのないところでした。
8月のはじめ竹内浩三の幼馴染みの服部百代さんの訃報を知った翌日に、「炭鉱労働者のくらしと歴史を学ぶ旅IN筑豊」というスタディツアーの案内をみつけました。
服部百代さんは、三重県津市在住でしたが、昭和19年「奉仕隊」として筑豊の明治鉱業平山炭鉱で
働いていたことがあり、そのとき朝鮮人の少年に助けられたという話を伺ったことがあったのです。
「これは百代さんのかわりに筑豊にいけということか」と思い、休みをとりました。

百代さんの文章と短歌→http://blog.takeuchikozo.com/

「太刀洗」のことを知ったのは、訪問介護で伺ったおばあさんのおうち。
入院中の夫さんは「太刀洗飛行場」の軍曹でした。
戦闘機の空中戦の絵が壁にかけてあり、本棚にあった「太刀洗飛行場物語」(桑原達三郎著 1981葦書房)と「女子挺身隊甘木日記」(寺西マリコ著 1983 石風社)をお借りして読んで以来、一度 いってみたいと思っていたのです。
入院中の夫さんは、昨年年末になくなり、おばあさんもこの夏入院されたままです。

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往復夜行バスの九州行。京都駅発のバスに乗り遅れそうになるわ、台風の大雨で高速道路通行止めで、遅れるわ、どきどきでしたが無事関門トンネルを通りすぎました。
スタディツアーの集合地点は「JR田川伊田駅」なので、高速バスを小倉で下車。

お電話で連絡していた「在日人権資料センター」へ地図を頼りに向かった。

在日大韓基督教会 小倉教会は、崔昌華(チォェ チェンホア)牧師の名前裁判や指紋押捺拒否の闘争の発信地であり、崔牧師が急死されたあと、人権資料センターとして開設されました。
早朝の訪問を歓迎してくださった朱文洪(チュ ムンホン)牧師と案内解説をしてくださった金貞子(キム チョンジャ)さんに、心から感謝します。
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崔牧師の人権獲得闘争の資料が主かと、予想していたら、筑豊で働いていた朝鮮人労働者の写真がたくさんあり、びっくりしました。ノンフィクション作家の林えいだいさんからの提供写真が多いとのことでした。
 まさに、金貞子さんのお父さんは、1934年に強制連行で九州に連れてこられた方でした。炭鉱住宅で育った金貞子さんは、仕事を終えた労働者たちが金つり(ふんどし)姿で、貞子さんの家の前に並んでいる光景を毎日見ていたそうです。お父さんの作るマッコリがおいしいので、労働者たちが真っ黒な体のまま、平てん一枚(酒のあて)を手にもって列を作るのです。貞子さんのお姉さんが、看板娘でお酒をひしゃくで汲んでいたそうです。

 
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サハリンから沖縄までの朝鮮人たちの苦難の写真をみて、知らなかったことの多さにびっくりしました。改めて、日本と朝鮮の歴史に向き合わなければいけないと思いました。
奥の部屋には、ナヌムの家のハルモニたちの絵の複製が展示されていました。亡くなられたハルモニの絵は、今も私に話しかけているようでした。

小倉駅に戻って、JRで田川伊田駅まで。一時間半ほどの列車の旅。車窓の風景と知らない駅名にわくわくしながら、はじめての筑豊へ。

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日田彦山線 田川伊田駅 





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←香春(かわら)駅からみえる香春岳。日本セメントの採掘場。
空からみると広大なクレーターがみえるそうです。
莫大な自然破壊の上に現代がなりたっている現実を突きつけられました。




↓田川伊田駅、かつて炭鉱の町としてにぎわったいたちょっとレトロな駅。
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幹線道路に面した長野写真館
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いよいよスタディツアーはじまり。筑豊編その2につづきます。
 

 
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by anzu-ruyori | 2011-09-26 11:33 | 平和 自由