逡巡のとりどり@京都


by anzu-ruyori
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九州の旅★太刀洗編その1

甘木鉄道で甘木へ。
台風15号(旅館でTVをつけてびっくり!まだそこにおんのか15号!)の影響で、
夜はすごい雨。
でも、翌日は晴れ間もみえて、
「女子挺身隊甘木日記」(寺西マリコ著 1983 石風社)の見開きにある
地図を手に甘木の町を自転車で走りました。

1甘木の昭和な建物たち

この甘木に敗戦末期に1000人以上の女性が、旅館などに分宿して「女子挺身隊」と
して、太刀洗飛行場で働いていたのです。
毎朝、歌を歌って駅まで隊列を組んで歩いていったのです。

この道を歩き、この神社で飛行兵たちの無事を祈り・・・



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須賀神社とりい

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なにかおしゃれな建物


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炭坑王貝島財閥の「貝島本家」と標識のある旧家。今も貝島さんお住まい。



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2記念碑たち

高台にある丸山公園(現甘木公園)の広場には記念碑が並んでいました。

大きな大きな「忠霊碑」を中心にして
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女子挺身隊の碑、「甘木日記」の出版を機に元挺身隊の女性たちが集い、
1984年に碑が建立されました。













3頓田(とんだ)の森


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 1945年(昭和20年)3月27日。
当時アジア最大の陸軍航空基地であった大刀洗が、米軍空襲に襲われた。
当日は修業式。空襲警報がなり式は中断、激しい空爆下、
立石国民学校(現朝倉市立立石小学校)の集団下校がはじまった。
 一人の先生が一ツ木地区の児童たちを連れて帰宅を急ぐ。
しかし、地面が震動する絨毯爆撃。
やむなく、先生は頓田の森に一行を避難させるが・・・。
 そこを一発の爆弾が直撃。 31名の幼い命が奪われた。
 

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子どもたちの名前が刻まれた延命地蔵。毎年3月17日に法要がある。


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大きなシイの木に爆弾がおちて、子どもたちはその木の下でたくさんなくなっていたのです。
シイの木は1995年に枯れてしまいましたが、その根元から若木が育っています!


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枯れたシイの木は図書館の入り口でモニュメントとして保存されています。

絵本 「シイの木はよみがえった」飯田よしひこ著別府ひろみ絵 1995年
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甘木の戦跡について↓
http://kurumenmon.com/tatiarai/tatiaraihikoujyoukanren/higaijyoukyou.html
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by anzu-ruyori | 2011-10-17 22:29 | 平和 自由