逡巡のとりどり@京都


by anzu-ruyori
カレンダー
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31

筑波日記★はじめに

13日まで記しましたが、1月1日の前の2ページを転載します。

「五月のように」さんより転載させていただきます。
http://www.h4.dion.ne.jp/~msetuko/tkozo/takeutisakuhin.html

なお、竹内浩三著 小林察編 「日本が見えない」藤原書店の
筑波日記 全文と写真版を参照させていただいています。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

コノ マズシイ記録ヲ
ワガ ヤサシキ姉ニ
オクル。
            

筑波日記

この日記は、(昭和)19年の元旦からはじまる。
しかしながら、ぼくがこの筑波へきたのは、18年の9月20日であったから、
約3月の記録がぬけているわけである.。
この3月がぬけていると云うことは、どうも映画を途中からみるようで、
たよりない気もする。と云って、今さらその日々のことをかくこともできない。
ざっとかく。
 9月19日、夕方土浦は雨であった。北條の伊勢屋旅館へとまった。
とおいところへきたと思った。
 20日朝この部隊へきた。兵舎が建っているだけで、なんにもなかった。
毎日、117(部隊)へ飛行きがとんでいた。
毎日、いろんな設備が出来て行った。
 3中隊へかわったけれども、1週間で2中隊へもどった。
毎日、演習であった。1月ほどたつと、重きかん銃へまわった。
分解はん送で閉口した。
 西風が吹きはじめて、冬であった。
 敏之助応召の電報がきた。3泊もらって帰った。
11月28日。土屋、中井、野村が、そのとき明日の入隊をひかえていた。
まったく、いい具合に会えた。野村を送った。
東京の大岩照世の家によった。久しぶりの東京であった。
 筑波山腹で2泊の天幕露営があった。ぼくは炊事にまわった。
 水戸へ、3日つづけて、射撃にいった。
夜おそく帰って、朝2時におきて、また出かけるのであった。
2時間ほどしかねむれないのであった。
下旬になると、富士の滝ヶ原へ廠営にでかけた。
学校へ行っているころ、2度きたことのあるところである。
1週間富士山をみてくらした。18年が、おわった。
  

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

以下 あんずより
 
ヤサシキ姉とは、4歳年長の「こう」さん。三重県津市在住。

この2冊の「筑波日記」のうち一冊は、宮沢賢治の本の中に埋め込まれて姉宛に
送られてきた。


 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
  
      
[PR]
by anzu-ruyori | 2012-01-13 21:07 | 浩三さん(竹内浩三)