ひぐらしがないて、夕方がきた★竹内浩三★筑波日記 【終了】
2012年 07月 29日
昭和19年
7月25日【火曜日】
水戸行きの射撃にのこることになり、そのかわり、二十八日の衛兵に立つことになった。
7月26日【水曜日】
水戸行きで、中隊の大部分が出て行った。
出てゆくのと前後して、ぼくは、中隊長の家へ公用に出た。家は安食にあった。
飛行場を半分まわったところで、つまり、ここから向い側になる。
奥さんは高峰三枝子そっくりとかで、見てやろうといきごんでいた。
ごくろうさんと云うイミで、アメダマを九つくれた。
十人なみであった。
吉沼まわりで帰ることにきめた。松林の中で、男が二人タバコを刷っていたので、そこで、休ケイした。
十一屋書店へよって、カミソリの刃と門馬直衛氏の『楽聖の話』と云う本とを買った。
カルピスとカボチャをごちそうしてくれた。
帰ったら、午睡の時間であったので寝た。班内も五、六人で静かでよい。
夜は、のんびりと、乾信一郎の『コント横町」を読んで寝た。途中でふき出すような、おかしなものであった。
7月27日【木曜日】
午前中、銃剣術であったけれども、さぼっていた。
雨と、太陽と、まだらにやってくる日であった。
班内がきわめてのんびりしている。寝台の上で、『コント横町』を読んでいた。こんなのんびりさが、うれしいほどだから、いまの生活は、かなり窮屈なものであろう。
去年の今ころは、これ以上ののんびりした生活をしていた。久居で、毎日、将集の当番をしていた。毎日、本を読んで、なんにもしなかった。
十三時からの午睡も、気持ちよく寝た。午睡がすむと、ただちに銃剣術であったが、便所へにげて、寝た。くさいところで寝た。帰ってきて、班内でまた寝た。トマトが上った。うまい。玄妙な味であった。
ひぐらしが鳴いて夕方がきた。
今夜、おそく、水戸へ行った連中が帰ってきて、班内は、またうるさくなる。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ここで、筑波日記は突然 終わる。
このあとも、余白のページが残っているそうです。
「班内がうるさく」なって、見つかりそうになったので
いそいで日記を故郷に送ったのだろうか。
この後も、次の手帳に書いていただろうか。
きっと、書いていただろうと、私は思います。
7月25日【火曜日】
水戸行きの射撃にのこることになり、そのかわり、二十八日の衛兵に立つことになった。
7月26日【水曜日】
水戸行きで、中隊の大部分が出て行った。
出てゆくのと前後して、ぼくは、中隊長の家へ公用に出た。家は安食にあった。
飛行場を半分まわったところで、つまり、ここから向い側になる。
奥さんは高峰三枝子そっくりとかで、見てやろうといきごんでいた。
ごくろうさんと云うイミで、アメダマを九つくれた。
十人なみであった。
吉沼まわりで帰ることにきめた。松林の中で、男が二人タバコを刷っていたので、そこで、休ケイした。
十一屋書店へよって、カミソリの刃と門馬直衛氏の『楽聖の話』と云う本とを買った。
カルピスとカボチャをごちそうしてくれた。
帰ったら、午睡の時間であったので寝た。班内も五、六人で静かでよい。
夜は、のんびりと、乾信一郎の『コント横町」を読んで寝た。途中でふき出すような、おかしなものであった。
7月27日【木曜日】
午前中、銃剣術であったけれども、さぼっていた。
雨と、太陽と、まだらにやってくる日であった。
班内がきわめてのんびりしている。寝台の上で、『コント横町』を読んでいた。こんなのんびりさが、うれしいほどだから、いまの生活は、かなり窮屈なものであろう。
去年の今ころは、これ以上ののんびりした生活をしていた。久居で、毎日、将集の当番をしていた。毎日、本を読んで、なんにもしなかった。
十三時からの午睡も、気持ちよく寝た。午睡がすむと、ただちに銃剣術であったが、便所へにげて、寝た。くさいところで寝た。帰ってきて、班内でまた寝た。トマトが上った。うまい。玄妙な味であった。
ひぐらしが鳴いて夕方がきた。
今夜、おそく、水戸へ行った連中が帰ってきて、班内は、またうるさくなる。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ここで、筑波日記は突然 終わる。
このあとも、余白のページが残っているそうです。
「班内がうるさく」なって、見つかりそうになったので
いそいで日記を故郷に送ったのだろうか。
この後も、次の手帳に書いていただろうか。
きっと、書いていただろうと、私は思います。
by anzu-ruyori
| 2012-07-29 14:15
| 浩三さん(竹内浩三)