逡巡のとりどり@京都


by anzu-ruyori
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千人針は語る 野寺夕子写真展

千人針は語る 野寺夕子写真展

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野寺夕子さんの仕事は、妊婦さんの写真集のときからずっと 敬意をもってきた。

新聞で連載されていた遺影のセピアの写真や、花の接写写真など 真摯で感動的写真たち。
はじめて お会いしたけれど、岐阜弁のまじるお元気な話ぶりは ちょっと意外だったけれど
この元気さがいい仕事の源なのでしょう。


はじめは、「千人針は語る」が2年目の新装版になるとき、表紙写真を森さんが野寺さんに依頼されたことが発端。2枚の千人針の撮影を終えたとき、野寺さんは 他の千人針もとりたいと思って、森さんにそう告げたけれど、森さんは「撮れないでしょ」とおっしゃったそうです。
「箱に、入とったですよ、千人針たちが」でも 実物の千人針たちは、戦場での損傷や歳月を経て 色が沈み込んでいて、美しいとはいえない。そして とても想いがこもっているものたち。それを撮影することの難しさは、想像できる。野寺さんは、日吉町のご自宅で 布たちと同じ部屋で寝て 縁側やお庭で、布と向いあい 撮影されました。 

森南海子は、「花たちのように 千人針を撮ってやって。針目を 糸を 布を 撮ってください」といわれ、野寺さんは、「遺影をとる気持ちで撮影した」そうです。

「撮れないでしょ」といわれた森さんだけど、
女が刺した千人針が、森さんに集まり、野寺さんが撮影されたということは
「女の仕事として、完結できて よかった」と 話されているそうです。よかったですね。

1時からの野寺さんのトークの時間に 集まられていた方々・・・

80歳くらいのご婦人
「中支(ちゅうし)の頃は、時間もあるし 物資もあったけど
大東亞(だいとおあ)の時は、3日ぐらいで 刺さなあかんかったりして たいへんやった」

「一人一針しか刺せへんけど、寅年の女のひとは、千里(戦利)をかけるいうて 歳の数だけさせたから 私の母は寅年やったから、夜中でも あと何針っていうて もってきはった」

とおりがかった88歳の元満鉄の男性
「これは しらみがわいて まいてられへんかった 結び目に卵 うみよんねん」

6日まで、堺町画廊

http://www.h2.dion.ne.jp/~garow/exhibition.html

来週の 国策紙芝居の展覧会も 必見です!
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by anzu-ruyori | 2008-07-03 23:55 | 平和 自由