逡巡のとりどり@京都


by anzu-ruyori
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カテゴリ:浩三さん(竹内浩三)( 122 )

竹内浩三を好きになって、8年くらいになる。


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天性の詩人とかいわれるけど、
浩三さんが天才かどうかは、
よくわからない。「アホやな~」とは、よく思う。

浩三さんの言葉をたどることで、浩三さんとおなじように
日本に帰ってこれなかったたくさんの人の声を、
きいているような気がするのです。






5月12日 浩三さんの誕生日に、
竹内浩三辞典、はじめちゃいました。

月いちぐらいの更新で、ゆっくり書いていきたいと思っています。

blog 竹内浩三辞典 試作中
http://kozo-takeuchi.jugem.jp/
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by anzu-ruyori | 2015-06-15 01:10 | 浩三さん(竹内浩三)
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ことしも、浩三さんの誕生日がきます。

1921年(大正10年)5月12日が、竹内浩三さんの誕生日。

その日の竹内呉服店の晴れやかさと、
母よしの憂いと、父善兵衛の喜びと 姉こうさんのとまどい

いまよりずっと、にぎやかな宇治山田の駅前の
海鮮問屋や海苔屋や材木屋のならぶ商店街に
大八車や人力車や馬車が走っていただろう

その日も麦の穂がのびていただろう
夕方には、かわほり(蝙蝠)が、飛んでいただろう

竹内呉服店の軒先には、つばめの巣があっただろうか



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竹内浩三 生誕祭

5月10日(日)午後2時~4時

場所 伊勢市岩淵 赤門寺正寿院 

入場無料


プログラム

詩の朗読  厚生中学美術部
        宇治山田高等学校、伊勢高等学校有志
        明倫小学校有志

お話と朗読  よしだみどり
         庄司乃ぶ代
         岡田美代子
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by anzu-ruyori | 2015-05-07 22:34 | 浩三さん(竹内浩三)

竹内浩三展@松阪

松阪の本居宣長記念館で8月8日~10日まで、竹内浩三展が開催されました。

台風の影響で、私は展示にまにあいませんでしたが、松阪の夕景をみることができました。

台風一過の不思議な雲が。浩三さんの好きな、空の雲。

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考えよう 平和だからできること 竹内浩三展


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吉田館長
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高岡元館長
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 筑波日記2冊
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           新史料、浩三さんの蔵書印のある「夢二スケッチ帖」


「伊勢に生まれ、戦時下に生きる若者の心を清新に詠った竹内浩三(1921-1945)。
浩三よりさかのぼること約120年、松阪で「古事記伝」などを著し古典研究に大きな足跡を残し亡くなった本居宣長(1730-1801)。

この二人には幾つかの共通点があります。伊勢国の商家の生まれであること、しかし商才には恵まれず、代わりに文才を発揮し世に出たこと。また早くに父を亡くし、若年から一家の当主としての地位を得た事など。その生い立ち、境遇は似通っているといえるでしょう。


 しかし、その二人が各々の作品で表した「日本観」は大きく異なります。
浩三は『日本が見えない』で「オレは日本が見えない」と詠いましたが、宣長は最晩年の歌で「古事記のふみをら読めば昔の手振り言問い聞き見るごとし」と「日本がみえた」と詠みました。

 平和な時代を生きた宣長には見え、戦争の時代を生きた浩三には見えなかった「日本」。似た境遇といえる二人の思いを、これほどまでに隔てさせてしまった物は何だったのでしょうか。

 時代の違う二人の文学者に視点をおいて、「平和」と「人の心」について、考えてみませんか。」

主 催  「竹内浩三展」を開催しよう!実行委員会
     (コープみえグループ活動)

松阪空襲の証言などの企画もありました。開催準備、運営ありがとうございました。
次回を期待しています!
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by anzu-ruyori | 2014-08-23 22:52 | 浩三さん(竹内浩三)
つつじの花が咲くように 咲くように 咲いていますね

筑波日記 5月19日より)

ことしも浩三さんの誕生日 5月12日が やってきます。 93歳。

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昨年は、誕生祭のあと 新しくできた詩碑をたずねたり、翌日は 自衛隊の久居駐屯地を見学したのだけど、
ことしは、用事あり 私は伊勢にはいきません。

京都から、浩三さんをおもって盛会を祈ります。

歓喜して生きよ!ヴィヴェ・ジョアイユウ (「五月のように」より)


【竹内浩三生誕祭】

2013年 5月11日 午後2時から4時

ところ 伊勢市 赤門寺正寿院(宇治山田駅より徒歩15分)
 
入場無料 参加申し込み不要

主催 竹内浩三を読む会
後援 伊勢市教育委員会

連絡先 赤門正寿院  伊勢市岩淵3-4-25
  0596ー28-4540


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1944年 5月12日の日記 @筑波 23歳 


5月12日 【金曜日】

 みどり葉の五月。ぼくのたん生日である。

 外出した。麦が穂を出していた。十一屋に大岩照世夫妻がきていた。宗道まであるいた。

 みどり葉の五月。
 面会にきてくれると、
 ぼくは、もっと、もっと
 ものを云いたいと、あせりながら、
 ものがあまり云えなくなる。
 いつもそうだ。どうでもいいようなことに、ことばをついやしてしまう。

 かすれた接触面をもつ。
 赤いうまいリンゴであった。
 下妻でミルクを飲んだ。カツとテキをたべた。スシをたべた。
 街をあるきまわっていた。
 クローバの草原の上でやすんだ。
 もっとものを云いたいとおもっているうちに、時間がすぎた。
 酒をのんだ。
 みどり葉の五月。むぎばたけの中を帰った。

 『春をまちつつ』と『種の起源』と『日本書紀』をもってきてくれた。

 夜、すこし読んだ。

 夜、銃剣術をした。

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by anzu-ruyori | 2014-04-29 15:53 | 浩三さん(竹内浩三)
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竹内浩三さんの生誕祭が開催されます。
午前中には、「竹内浩三」研究会があります。

ぜひ お運びください。
13日には浩三さんが入隊した津33連隊の
現自衛隊久居駐屯所への見学(または、伊勢朝熊山登山 お墓と詩碑があります)
を計画中です。

http://www.pref.mie.lg.jp/FUKUSHI/heiwa/shiryou/07-08.htm

歓喜して生きよ!ヴィヴェ・ジョアユウ (「五月のように」より)

【竹内浩三生誕祭】
2013年 5月12日 午後2時から3時半
ところ 伊勢市 赤門寺正寿院(宇治山田駅より徒歩15分)
 Ⅰ部 浩三のエピソードと朗読
    詩人 渡辺正也 姪 庄司乃ぶ代 司会 藤田明
 Ⅱ部 歌 西山 嘉代子

入場無料 参加申し込み不要

主催 竹内浩三を読む会
後援 伊勢市教育委員会
連絡先 赤門正寿院 伊勢市岩淵3-4-25
  0596ー28-4540

【竹内浩三研究会】
「伊勢文学」5号~幻8号 (藤田明さん)
5月12日 午前10時半より11時50分
場所 赤門寺 

(資料の準備などあるとおもいますので、参加される方は
杏(annzu-ruyori@hotmail.co.jp )まで、ご連絡ください
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by anzu-ruyori | 2013-04-22 11:53 | 浩三さん(竹内浩三)
いよいよ 高円寺へ。

きのうもおつきあいくださったT沢さんと
高円寺南九条の会の方3名が案内してくださいました。

こんなバナーも作ってくださって!ありがとうございます!
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まず最初に

気象神社 

陸軍気象部にあった神社を戦後、氷川神社に移されたもの。現在は気象予報士の合格祈願で
にぎわっているとのこと。ちなみに、この神社の絵馬は・・・ゲタ型。ゲタかよ!

高円寺中央公園

最近の脱原発デモの集合地点とか。この公園の入り口の案内板に
戦前の写真がありました。
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今は
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浩三さんの「高円寺風景」には、たくさんの喫茶店やカフェの名前がでてきます。
「サンキュウ」「中央茶廊」「びおれ」「ルネサンス」「ナナ」「ミューズ」
「スイング」「さぼてん」「ラジオシティ」「プリンス」「レインボウ」「マツエ」
「ダービン」「森田屋」・・・
みんな、どこへいってしまったのだろう・・・
今も時空のかなたに、たくさんの喫茶店やカフェがあって、浩三さんは今もそこに
いるような気がする。そこに、いってみたいと思う。

そのあと
長仙寺へ。1946年、戦後の食糧危機で「米よこせ」デモを開催したところ。
ちょうど「昭和館」のニュース映像でみたところでした。

また、第五福竜丸事件から、ひろがった原水禁署名はこの高円寺からはじまったということで、
一番最初に署名をはじめた場所も教えていただきました。


映画館あとが、駐輪場に
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そして、いよいよ 浩三さんがいたかもしれないアパートへ。

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2階の部屋へのとびら

















裏手には、公園。
この木を浩三さんはみていたかなあと思う。この木は浩三さんをおぼえているかなあと思う。
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書店「光延堂」あと。
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昭和8年創業の銭湯「小杉湯」
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きっと、浩三さんがいっていた銭湯。当時は7銭。

高円寺庚申商店街は、この庚申さんのある庚申塔が名前の由来。
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茶房 高円寺書林
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すてきな茶房です!






戦争体験の聞き取り調査もされています。
戦争体験史料館 
http://www.jvvap.jp/index.html


18時より 茶房のとなりの「こうしん会館」で 

『むかし原発 いま炭鉱
―映像ジャーナリスト熊谷博子さんのお話』

詳細は以下に。
http://kouenjishorin.jugem.jp/?cid=44

石炭を肩にあてているのは、私です。
ほんとうに、石炭は、石なのに不思議に冷たくないのですよ!

さわれる石炭とさわれないウラン・・・
この国のエネルギー政策と事故の対応に、暗躍としてしましますが、
伝え考えづつけていかなくてはならないと思いました。

魅力的な杉並区の人たちと出会えて、うれしく思いました。ありがとうございました。
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by anzu-ruyori | 2012-09-02 21:02 | 浩三さん(竹内浩三)
翌日も、ピーカン(快晴)!

夢の島の「第五福竜丸記念館」へ。

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夢の島公園にたつ「第五福竜丸記念館」は、静かに深く放射能の恐ろしさを訴えている。

夢の島から見えるスカイツリーは、なんだかミサイルみたいでこわかった。
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そのあと、九段下の「昭和館」で展示をみた。
京都の立命館平和ミュージアムの常設展示のような感じ。しかし、反戦的表現はあまりなく、
軍部や政治にたいする批判もまったくない。
当時のニュース映像がたくさんみられるのが、とても興味深い。
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by anzu-ruyori | 2012-09-02 19:47 | 浩三さん(竹内浩三)
8月のおわりに、ゆらりと東京にいってきました。

往復深夜バス、ゲストハウス泊の 似非若者旅・・・年寄りの冷や水にならないように、
バスは3列独立シートにしたので、まあまあ快適な深夜行でした。

7時すぎに、築地で 青ちゃんおすすめの「きつねや」の牛丼!をがっつり食べて、初ヤスクニへ。

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どでかい鳥居が、鉄なのでびっくりした。平安神宮の赤い大きな鳥居より威圧感を感じたけど、
境内はおもっていたより、小さくて、荘厳さもあまりない。ふつうのお宮さん。

茶屋がいいかんじ。
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茶屋の前に、昭和11年献納の給水口?かわゆらしい。
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本殿の前まで、いってみて きびすをかえす。
「ここには、誰もいないもんね」

遊就館へ。
ひろくて、きれいな展示館。ゼロ戦も人間魚雷「回天」もピカピカで、気持ちがむかわない。

2階展示室は、最初に刀や甲冑が、並べられている、1882年(明治15年)に開館した宝物館なので、仕方ないか。早足ですぎる。
そのあと、明治維新、戊辰戦争、西南戦争、日清、日露 太平洋戦争へ。

最後の展示室に、兵士の写真に囲まれて、兵士の遺品や手紙が展示されています。
じっくりみたかったのですが、集中力がつづきませんでした。残念。

戦没スポーツ選手のコーナーには、竹内浩三さんとおな宇治山田中学の「西村幸生さん」の
手紙をみることができました。

特別展示は、「大東亜戦争 開戦70年展」
トラトラトラの電文、真珠湾の九軍神の掛け軸とか・・・。

日の丸に寄せ書きしたものが、たくさんあったのですが、
そのひとつに「髑髏(どくろ)日の丸」というのがあって びっくりしました。
日の丸に、たくさんの手書きの「どくろ されこうべ」が書かれています。
最初に書いた人が、「どくろ」のイラストを書いたのが、伝染して
みんながそれぞれに、「どくろ」を書いていったのだろうか?

翌日、戦争中に、靖国神社の大灯篭に「どくろ」がかかれてあったという証言を
ききました。いたづら書きのようだったけれど、消されることもなかったようです。

今では、「どくろ」は反戦、憂戦的かと思うけれど、当時は好戦的なシンボルだったので
しょう。

遊就館の展示鑑賞のあと、まちあわせしていたT沢さんと久しぶりの再会。
T沢さんは、高円寺で竹内浩三さんをしのぶ会を2度開催されている人で、
日大芸術学部の出身ですから、浩三さんの後輩です。

T沢さんの案内で、九段坂から、千鳥が淵の「戦没者慰霊碑」へ。
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ここでは、きちんと手をあわせ 戦没者の方たちに思いをはせました。
先週末に新しい遺骨が納骨されたので、「総理大臣」ほか、献花がならんでいました。

京都ではめったにきかれないミンミン蝉が、はげしくないていました。

そのあと、竹内Mさんとお友達のA沢さんと合流して、東大赤門前のわだつみ記念館へ。
ところが、夏季休暇中でした。残念。

東大安田講堂をみてきました。

夜は、阿佐ヶ谷でスペイン料理を堪能しました。最高のイカ墨スパゲティでした。
ありがとうございます!
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by anzu-ruyori | 2012-09-02 17:32 | 浩三さん(竹内浩三)
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2001年発行の「竹内浩三 全集」が、11年ぶりに改訂されて発行されました。

8月15日付けの発行ですが、もう書店に並んでいました。

 
 宇治山田中学時代の「当用日記」が、漫画もふくめてたくさん掲載されているのが
うれしいです。

 藤原書店さんは、誠実に良書を作り続ける出版社です。
http://www.fujiwara-shoten.co.jp/main/news/

アマゾンでも、購入可能
http://www.amazon.co.jp/%E5%AE%9A%E6%9C%AC-%E7%AB%B9%E5%86%85%E6%B5%A9%E4%B8%89%E5%85%A8%E9%9B%86-%E3%80%94%E6%88%A6%E6%AD%BB%E3%82%84%E3%81%82%E3%81%AF%E3%82%8C%E3%80%95-%E7%AB%B9%E5%86%85%E6%B5%A9%E4%B8%89/dp/4894348683/ref=sr_1_6?ie=UTF8&qid=1344680461&sr=8-6
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by anzu-ruyori | 2012-08-11 19:33 | 浩三さん(竹内浩三)
昭和19年

7月25日【火曜日】

 水戸行きの射撃にのこることになり、そのかわり、二十八日の衛兵に立つことになった。

7月26日【水曜日】

 水戸行きで、中隊の大部分が出て行った。
出てゆくのと前後して、ぼくは、中隊長の家へ公用に出た。家は安食にあった。

飛行場を半分まわったところで、つまり、ここから向い側になる。
奥さんは高峰三枝子そっくりとかで、見てやろうといきごんでいた。

ごくろうさんと云うイミで、アメダマを九つくれた。
十人なみであった。

吉沼まわりで帰ることにきめた。松林の中で、男が二人タバコを刷っていたので、そこで、休ケイした。

十一屋書店へよって、カミソリの刃と門馬直衛氏の『楽聖の話』と云う本とを買った。
カルピスとカボチャをごちそうしてくれた。

 帰ったら、午睡の時間であったので寝た。班内も五、六人で静かでよい。
夜は、のんびりと、乾信一郎の『コント横町」を読んで寝た。途中でふき出すような、おかしなものであった。

7月27日【木曜日】

 午前中、銃剣術であったけれども、さぼっていた。

雨と、太陽と、まだらにやってくる日であった。
班内がきわめてのんびりしている。寝台の上で、『コント横町』を読んでいた。こんなのんびりさが、うれしいほどだから、いまの生活は、かなり窮屈なものであろう。

去年の今ころは、これ以上ののんびりした生活をしていた。久居で、毎日、将集の当番をしていた。毎日、本を読んで、なんにもしなかった。

 十三時からの午睡も、気持ちよく寝た。午睡がすむと、ただちに銃剣術であったが、便所へにげて、寝た。くさいところで寝た。帰ってきて、班内でまた寝た。トマトが上った。うまい。玄妙な味であった。

 ひぐらしが鳴いて夕方がきた。
 今夜、おそく、水戸へ行った連中が帰ってきて、班内は、またうるさくなる。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ここで、筑波日記は突然 終わる。

このあとも、余白のページが残っているそうです。
「班内がうるさく」なって、見つかりそうになったので
いそいで日記を故郷に送ったのだろうか。

この後も、次の手帳に書いていただろうか。

きっと、書いていただろうと、私は思います。
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by anzu-ruyori | 2012-07-29 14:15 | 浩三さん(竹内浩三)