逡巡のとりどり@京都


by anzu-ruyori
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カテゴリ:日々ログ( 75 )

雪うさぎ

ことし京都市内は雪のお正月でした。

私は年末年始も在宅介護の仕事を休みなく続けました。
大晦日の夕方、自転車では危ないので徒歩で、あるおばあさんのお家に向かいました。
おばあさんのお家につくと玄関で、ふと思い立ち、雪をひとすくい片手にとりました。
「こんばんわあ!雪ですよ」といって、部屋にはいりました。
雪をお皿にのせて、おばあさんのおうちにあった千両の赤い実を目に緑の葉を耳にして雪ウサギをつくりました。

足が悪く、窓から外を見ることもできないそのおばあさんはとても喜んでくださいました。
そして、思いがけず私自身がとても感激していました。
子どものころ、雪がつもると母が、いつも雪うさぎを作ってくれたのです。
自分で雪ウサギをつくってみて、そのことが鮮やかに思い出されました。
白い雪のかたまりが、赤い実と緑の葉で、かわいらしいうさぎにみえる不思議に
わくわくしていた子どものころの気持ちを思い出していました。
母の優しさを思い、自分が母と同じことを自然にしていたことに感激したのです。

それから、3が日の間、私は数件のおうちで雪うさぎを作りました。
うさぎ年のはじめのうれしい出来事でした。

(京都新聞 こまど1月15日掲載)

ことしは、どんな年になるのかなあ。
いいことも、わるいこともたくさんあるやろうなあ。

私は、50代にむけて、粛々と日々を重ねていきます。
この10年は、せいらい働きます。
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by anzu-ruyori | 2011-01-19 10:20 | 日々ログ

春から春へ  冬の朝の

きょうの雨で、染井吉野さんもまた来年やねえ。
今年もいたるところで、桜を堪能しました。
ちょっと、食傷ぎみになるくらい・・・
ありがとう 京都!

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3月のはじめに京都新聞の「こまど」という読者投稿欄に文章が掲載されました。

そのことを訪問ヘルパーで伺っている方に、お話したら、
その方も60代には何度も投稿されていて、掲載された新聞記事の
切抜きをたくさん見せていただきました。
おつれあいの逝去やご自身の入院で、最近は書いておられないそうですが
「また、書いてみようかしら」といってくださったので、うれしいです




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「冬の朝」

私が小学校のときのことだから 今から40年くらい前のことです。

冬の朝、洗顔のお湯が「あるとき」と「ないとき」がありました。
「あるとき」は、ほうれん草のおひたしが朝ごはんの一品にあるときでした。
母が、ほうれん草のゆがき汁をなべごともってきて洗面器にいれてくれるのです。
アルマイトの洗面器に、薄い緑色になったお湯がいれられてそれを水でぬるめます。
まろやかなお湯が、心地よくてとても幸せでした。

ある朝、学校で友だちが「あごになんかついてるで」といいました。
それは、ほうれん草の葉っぱの小さな切れ端でした。
私は、「きょうは、お湯で顔 洗ろたからやわ」 と 
当たり前のように答えたのですが、友だちは少しけげんな顔をしていたかもしれません。

寒い朝、母の「お湯あるで」の声が本当にうれしかったことを今も覚えています。

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by anzu-ruyori | 2010-04-12 17:36 | 日々ログ

バレンタインと俺

一度だけ、手作りチョコを作ったことがある。

子どもとふたりで暮らした小さなアパートの小さな台所で。

それは、小学校2年の子どもが作りたいといったからだった。
うちの子は、男の子だった。

ちいさなチョコをいくつか作って、包装してリボンをかけた。
誰にあげるのかは、いわなかった。

ホワイトデーには、
おいしいクッキーのお返しがきた。

後日、うちの子がチョコをあげたのは、
クラスで一番 頭がよくてかっこいい男の子だとわかった。

そんなうちの子が、もう20才。時々、朝まで帰ってこない・・・。



「俺」

 うちの子には、一人称がなかった。

身体的には男の子だけど、スカートをはいたり 性別の男と女の真中に〇をしたり、
男の子をすきになっていた彼は、自分のことを「僕」とか「俺」とはいえずにいた。

ある時期は 女の子のように「うち」といっていた。

そんな子が、大学生になった。

そして、「俺」というようになった。
はじめて、それをきいたとき 
私はおもわず顔をあげて、
「オレ?」と、ききかえしてしまった。

「友だちと話すときは だいたい俺っていう」と、
めんどくさそうにいいかえした。

やせて背が高く ジーンズにダウンジャケットのよく似合う、
すっかり「男子学生」となった彼は、大学生活を楽しんでいるようだ。

さて、彼がはじめて「付き合う」のは彼氏だろうか彼女だろうか。

私はとても楽しみにしている。
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by anzu-ruyori | 2010-02-06 18:17 | 日々ログ
子どもを産んで20年たった。

子どもは すぐに大人になるのに、

大人はいつまでたっても「大人」になれないのよ。

と、ほろよいコンサートで加藤登紀子さんがいっていたなあ。



ああ、いろいろあって 楽しかった。

ーーーーーーーー 「楽しかった」と思うことで、そうじゃなかったことを
          封印して、自分は不幸ではなかったと自分に思い込ませてきたという
          ところも あったことに 最近 気がついて愕然とした。
          私もサヴァイバーであったと自覚することも大切だと思った--------

いろいろあったから、20年どころじゃない 50年くらいたった気がする。

でも、子どもは20才だから、やっぱり 20年なんだ。

「はたちってどんなかんじ?」と聞いたら、予想どおり「別に」という返事の

絵に描いたような 普通のはたちの男の子になりました。


私は、寅年で、つぎの周り年には 還暦だと 気づいて 笑けた。

ああ 早く還暦になりたい!



牛の鈴音 という映画をみた。

http://www.cine.co.jp/ushinosuzuoto/index.html

ハルモニとハラボジと牛の話。まさに、牛歩の物語。

土のにおいをかぎたいと思った。

ゆっくりと時間の流れるところにいる人のことを思いながらみていた。


はたちの青年は、「怪獣たちのいるところ」をみにいきました。

2年前の誕生日の話↓

http://miteikou.exblog.jp/7370912/


はたちの青年が帰ってこない晩に、

山尾三省さんの詩集を出して、「食パンの歌」を声に出して読む。

20歳を前に屋久島をでていく長男にむけて歌われた詩だ。

●−♢−●−♢−●−♢−●−♢−●−♢−●−♢

おまえもよく知っているように
私達の家ではめったに食パンを食べない
たまに食パンを食べるのは 病人が出たときとか
順子 が熱病のように食パンを食べたくなったときか
思いもかけないお金が入ったときかである
……

東京というところは 食パンなどありふれた食べもので
……
それをみすぼらしい食べものと感じ、時に汚らしい食べのものと感じるところだ
……
いつか食卓の上のひときれの食パンを
そのように感じて見向きもしないときがくる
……
その時は
(よく覚えておいてほしい)
父親である私の思想が死に直面している時であり
父親でも私でもないひとつの真理が 死に直面しているときである
……

●−♢−●−♢−●−♢−●−♢−●−♢−●−♢

私は三省さんのようには、生きていけないけれど

ただ この詩のなかで

「私はこれまで ただ一緒に住んできたというだけで おまえに何ひとつしてやれなかった」

というところでは、三省さんと同じだと痛切に感じている。
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by anzu-ruyori | 2010-02-05 21:43 | 日々ログ

100歳!

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私は、100歳まで生きようと思った

年末の朝、自転車で東大路通りを走っていた

青空がきれいで 晴れ渡っていた

「100歳まで生きよう」と思った

どんなにぶざまでも きれいでなくても

この青空を見ていたい

この鳥の声を聞いていたい

私は生きていたいと思った





100歳の私へ

皺だらけでも

シミだらけでも

100歳のあなたは、とてもすばらしい

あなたが、100歳までいきてくれて

竹内浩三もユンドンジュも、きっと喜んでいるよ

生きていきなさい これからも ずっと

迷惑かけても 役に立たなくても

生きていきなさい これからも ずっと

47歳のわたしより
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by anzu-ruyori | 2009-12-30 11:07 | 日々ログ
「特急サザンは、うしろ4両自由席です」と、駅員さんにきいて 久しぶりの南海本線。

子供のころ、母ときょうだい3人とでこの電車にのって「みさき公園」にいったことを覚えている。
そのころは、車窓にたまねぎ畑が広がっていた。
海がまじかに迫ってきて どきどき 初秋の海。

和歌山にいく目的は、和歌山県立近代美術館の「田中恒子コレクション」展!
http://www.bijyutu.wakayama-c.ed.jp/exhibition/tanaka_tsuneko.htm

「自宅から美術館へ」

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去年の3月に偶然に出会った田中恒子コレクション太田三郎展↓
http://miteikou.exblog.jp/7656398/
軍人像の兵士の顔が、忘れられない。

田中恒子さんとは、その後何度かお出会いすることになったが、いつもにこにこされている印象。
実は、住居学という学問の研究者として名高いそう。

現代美術とともに暮らしてられる田中恒子さんは、核や戦争のことにも心を配られていて、
思想ある作品を選ぶ審美眼は、すばらしい。

私の好きなやのべっちことヤノベケンジの作品もあって、ゆっくり「森の映画館」をみることができてうれしかった。
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常設展では、和歌山ゆかりの作家たちの戦前の作品と、佐伯祐三と懇意であった郷土画家の川口軌外の
縁により、佐伯祐三の作品をたくさんみることができた。「下落合風景」は、はじめてみる佐伯の描く日本の風景。







和歌山市立博物館では、

南方熊楠の世界 
http://www.wakayama-city-museum.jp/exhibition-now.html

まったく 期待せずにいったけど 堪能しました。ああ おもしろかったあ!

南方さんの書いた「犬乗天狗」の図 猫の絵など 上手くておもしろい!

明治19年 アメリカ行きの旅券

右亜米利加合衆国へ
赴クニ付 通路故障ナク旅行セシメ 且 必要の保護扶助ヲ与ヘラレン事ヲ ソノ筋ノ諸官ニ希望ス

「その筋」って・・・

でも、発行人は、日本皇帝陛下外務大臣 井上馨  げっ大物!歴史っ

熊楠さん 19才と7ヶ月の渡航・・・

神社合祀反対運動で 自然環境を保護したことが「エコロジー」の日本先駆者といわれているそう。
晩年は、昭和天皇に「ご進講」したときは、キャラメル箱に標本をいれてもっていったそうです。

11月23日まで 14日と15日は入場無料。



リュックを背に、地図を片手に歩いていくはじめての町。
空が広くて、明るい日差しは南国っぽい。

和歌山城は、昭和20年の空襲で全焼したそうだ。城まで焼くか・・・と愕然。
天守閣にのぼると、大きな紀ノ川の河口 工場群 紀州の山々・・・。

茜色の雲をみあげながら、帰りました。
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by anzu-ruyori | 2009-10-21 21:01 | 日々ログ
3日めは、ソウル駅からKTX (新幹線みたい 平均時速290キロでした)で、テグ(大邱)市へ

2004年 京都でのはじめての証言集会に 来てくれた イ・ヨンスさんに会いにいきました。

高層アパート群のひとつに、イ・ヨンスさんのお部屋がありました。
小さいけれど、きれいに整頓されてこざっぱりしたお部屋でした。
この部屋で、イ・ヨンスさんはテレビで初めて慰安婦であったと名乗りをあげた金学順さんをみたのです。

それまで、自分と一緒にいた数人だけが、
そんな目にあっていたと思いこんでいたイ・ヨンスさんは、
勇気をだして、支援団体にこの部屋から電話をかけたのです。

イ・ヨンスさんは、70歳をすぎて テグ大学に入学して「名誉学生」になられました。
日本語が、とても上手で、日本やアメリカに何度も、一人で飛行機にのっていかれます。
私だったら、できるだろうか?といつも思います
お昼前に、3人でお風呂にいきました。
イ・ヨンスさんの散歩道をたどって お風呂やさんへ。日本のスーパー銭湯とあまりかわりないのですが、
あかすりコーナーがあったり、水風呂がひろかったり、湯船にゆっくりつかることはあまりされないところが違うところでした。
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高層住宅群の前に、屋台がならぶ
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お昼ごはんは、おいしいきのこチゲやさん!ありがとうございました。
そのあと、「ハルモニとともにする市民の会」の事務所に案内していただきました。
「市民の会」は、テグに住む日本軍性暴力被害者のハルモニたちを支援してきた団体です。
http://www.1945815.or.kr/

広い事務所には、ハルモニたちの写真と亡くなられたハルモニの遺品も展示されていました。
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韓国では、駅で たくさんの軍服をきた若い男性を見かけました。
徴兵されている人たちです。彼らは、休みの日に町にでかけているだけれど、
そのときも軍服をきていないといけないのです。

「軍隊のある国」です。
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イ・ヨンスさんと、タクシーにのっていると運転手さんが、
自分の父親が日本軍の徴用で酷い扱いをされたことを、少し激昂して、話されました。
私は、「ミアナムニダ」(ごめんなさい)としか、いえませんでした。
運転手さんは、笑顔で、「ケンチャナヨ」(気にしないで 大丈夫だよ)と
いってくれました。
私は、タクシーを、精一杯の笑顔で、手を振って見送りました。

この国の、そしてアジアの人たちは皆、日本植民地時代を経験している。
言わないけど、きっと 私を「日本人」と認識したとき、
色々な思いを抱いていることだろう。

「ミアナムニダ」としか いえない。ごめんなさい。

ハングルの勉強をもっと頑張ってやろうと思います。



たくさんの人に親切にしていただいた韓国の旅、ありがとうございました。

また 行きます!次は、ぜひいってみたい↓

ソウル平和博物館 〒110-170)ソウル市鍾路区99-1

http://www.peacemuseum.or.kr/
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by anzu-ruyori | 2009-09-15 20:51 | 日々ログ
韓国 友達のMAKKYと二人旅。たのしかったああ。

関空を16時出発、ANAやけどヒコーキが小さくて離陸のときの急角度!

仁川(インチョン)空港は、関空みたいに大きな空港、ツアコンのお姉さんに連れられて
ワゴン車に乗り込み、流暢な日本語で「エステ・買い物・焼肉」の話しを延々と聞かされました。
8時すぎに、やっとホテルについて、MAKKYのかわいい娘さんがお出迎え!
20歳の彼女は、ソウルに留学中で、ハングルも完璧なので安心して、インサ洞に案内してもらいました。

翌日、早起きして 延世大学へ。
ホテルの近くにある 宗廟で、カササギ発見! 濃青の美しい尾羽
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延世大学には、尹 東柱の詩碑があるのです。
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そして その後ろの建物の2階に 尹 東柱の記念室ができていました。
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想像復元された机や鞄をみて、ちょっと泣きそう。
尹 東柱が、ここにいたのは、日本留学前の1940年4月から41年12月。
詩をかき、教会にかよい、旅もしたそうだ。自作詩集「空と風と星と詩」を出版しようとしていた。
記念碑のまわりの木々は、尹 東柱のすがたをみていただろうか?
この地に、たしかに尹 東柱がいて、詩をかいていた。尹 東柱の気配を感じたいと思った。

延世(ヨンセ)大学のキャンパスを歩いて、地下鉄の駅まで。
「ミアナムニダ」(すみません)と声をかけて 切符の買い方をきいたりして
地下鉄とバスで、ナヌムの家へ。

日本軍「慰安婦」とされた女性たちが、暮らすところ。

http://www.nanum.org/jp/index.html
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居住棟が、立替中で 建設現場を目の当たりにして ハルモニ(おばあさん)たちがお住まいでした。


日本に長くいたハルモニは、日本語で気軽にお話をしてくださいます。
腰を痛めたハルモニは、それでも歩行器で室内を歩き、リハビリをされていました。



食事のあと、畑をされているハルモニについていきました。

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11月 京都にハルモニをお招きします。

ハルモニに会いにきてください。 
11月29日(日)14時~ ひとまち交流館(河原町五条下がる)
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by anzu-ruyori | 2009-09-10 11:21 | 日々ログ
風が、初秋のようです。

この夏、よく遊びました!そして あしたから 韓国にいってきまーす!

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↑高松市立美術館 大岩オスカール展 8月28日

8月、西伊豆へ。コバルトブルーの魚たちを間近に見ました。
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東名高速初運転!夜に走る日本を実感。





伊勢空襲展で、竹内浩三の詩の朗読をすこし 8月23日↓
http://blog.takeuchikozo.com/

浮島丸追悼式 (8月24日) チョイさんのブログ↓
http://blog.goo.ne.jp/chuy/e/ceef2d3437c6fba2a8349881c320290f





ドナドナっていった♂こやぎたちと・・・  8月15日
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by anzu-ruyori | 2009-09-01 16:03 | 日々ログ
7月22日から、一週間 滋賀県高島市今津町椋川に滞在していました。


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やぎチーズの制作のため、2年前に移りすんだN島さんの台湾アマア訪問旅行の間、
やぎの乳絞りをかって出ました。

でも、実は哺乳類が怖い私。

子供の頃、飼い犬になじめず、避けていた。よその猫にとびかかられたこともあった。
やわらかな脈打つ体に、さわるのが怖かった。
内臓を想像して 気持ち悪くなった。
そして、
「動物好き=いいひと」という固定観念があり、自分はいい人ではないと劣等感があった。

そんな私に、やぎたちは ずんずん近づいてきて 
大やぎは大人しく チビやぎはおおはしゃぎでいつまでも 私のそばにいてくれた。

うれしくて、たのしくて、いとおしくなった。
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携帯電話はつながらない、パソコンもひらかない、テレビも新聞もない。

かやぶき屋根のお家は、おばあちゃんの家の匂いがする。
蚊帳をつって、ひとりで寝る。早寝早起き、昼寝。
お昼は、玄関の土間に椅子をだして、柿の木と田んぼをみながら食べた。

山と空と田んぼと畑、川、風、それだけが、確かなものだと思う。

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N島さんのやぎチーズ ときどき かぜのねで食べられるかな?


椋川の里 ホームページ http://mukugawa.korekore.org/index.html

集落の方々にも、親切にしていただきました。ありがとうございました。

京都から 車で、1時間です。また ちょくちょくいきます。
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by anzu-ruyori | 2009-08-01 08:09 | 日々ログ