逡巡のとりどり@京都


by anzu-ruyori
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カテゴリ:平和 自由 ( 118 )

韓国ツアー 3日めの午後は、ソウルにもどって「戦争と女性の人権博物館」へ

ずっと、募金をあつめていたので、正直「いったいいつできるのだろう」とおもっていたが、2012年5月に完成!

決して大きくないが、かえってそれがとてもよく活かされる 
被害にあった女性たちの心によりそう博物館になっていると感じた。

戦争と女性の人権博物館 ↓

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少し、きつい坂道をのぼったところに 小さな入口がある。この小ささがいい。
(長野の無言館の入口も小さかったことを思い出す)

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館内は、日本語音声解説がある。展示の最後に「少女像」が。
「どうぞ少女と話してみてください 少女の声にみみをすませてください」という意味で、
となりの席が空いている。
  
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たくさんの資料の中に、日本人軍人のちいさな手帳があった。鉛筆でちいさな文字が縦書きにしるされている。



○月○日 

きょうは楽しい外出日。

石川といっしょに まづ、朝鮮征伐にいく。

次は、支那征伐だ。一番乗りだった。




手帳には、軍服姿の写真もそえられている。
貴重な記録を提供されたご家族に感謝したい。




企画展示では、「解放をまつ女性たち」と題して、ベトナム戦争での韓国軍による性暴力被害があきらかにされていた。

2015年4月に被害者が韓国を訪れ、水曜デモに参加で 日本軍「慰安婦」被害者たちと出会った。

「私たちは、アジアの戦争が生んだ同じ被害者だと思います。あの方たちは日本軍の被害にあい、私たちは韓国軍の被害に遭ったということです」




この日の夜は、ふぇみんと提携しているインターネット新聞のイルダの記者たちとの韓定食を食べながら交流。30代の女性たちがスポンサーなしで運営している気鋭のジャーナル。
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   http://www.ildaro.com/index.html


「韓国では日本に平和のイメージはまったくない。しかし『日本の国民』には期待している。」という発言が印象に残った。

 会食中、40代前半の女性が来年、広島と屋久島への旅行を計画しているという。
なぜ、屋久島かときいたら、「山尾三省さんの著作を読んだから」と。韓国で三省さんの名をきくとは!

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4日め 尹東柱文学館

2012年7月に完成した「尹東柱文学館」

ここも決して大きな施設ではないが、尹東柱の精神性が表現されていてとてもよかった。
この地は尹東柱が小説家金松の家で文友の鄭炳昱と共に下宿生活をしたゆかりの地で、「星を数える夜」「自画像」「たやすく書かれた詩」など代表作とも言えるこれらの作品はこの時期に書かれたと言われています。」
visit korea より引用)

文学館が出来る前から「詩人の丘」と呼ばれていたそうだ。

建物はなんと高台の住宅地のための上水道の加圧場と3つの水タンク。
女性建築家の設計で、鎮魂と追悼の場所としてうまれかわっている。


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観光バスは、青瓦堂(大統領府)見学の観光客のもの。ハイキングの人も多い。
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3つあった水タンクは、一つ目が展示室「詩人の棟」
↓二つ目は天井をあけて中庭「開かれた井戸」
    三つの水タンクは「閉ざされた井戸」拘置所の中のイメージ (映像鑑賞)
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    韓国アート散歩さんのブログより 雪の尹東柱文学館の写真がすてきです。
        http://koreart.exblog.jp/19619602/


展示室には、尹東柱の生家の井戸が展示されている。

  尹東柱にとって「井戸」は大切なキーワード


「自画像」      

 
山の麓をめぐって 田んぼのそば ぽつんとある井戸を
ひとり尋ねて行っては、そっとのぞいて見ます。

井戸の中には、月が明るく、雲が流れ、天(空)が広がり、
真っ青な風が吹き、秋があります。

 そして ひとりの男がいます。
 なぜかその男が憎らしくなって、帰って行きます。

 帰ってから考えると、その男がかわいそうになります。
ふたたび行ってのぞいてみると、男はそのままいます。

 またその男が憎らしくなって、帰って行きます。
 帰ってから考えると、その男がいとおしくなります。

 井戸の中には、月が明るく、雲が流れ、天が広がり、
真っ青な風が吹き、秋があり、
追憶のように 男がいます。

1939年9月           訳詩 井田 泉牧師



↓ 井田泉牧師のブログより転載させていただきました。
http://blog.livedoor.jp/izaya/archives/50696382.html

当時の韓国キリスト教会の状況についての資料も掲載されています。

井田牧師は、君が代ピアノ伴奏拒否裁判(東京地裁2015年10月判決)に陳述書意見書 を提出されている方です。キリスト者として論理的な拒否理由をのべられていて感服しました。

私は以前、井田牧師と京都宇治での尹東柱追悼集会で詩の朗読をごいっしょさせて頂いたことがあります。

 

11月25日のニュース↓

【ソウル聯合ニュース】ソウル・鍾路区は24日、区内にある尹東柱(ユン・ドンジュ)文学館が国家報勲処の顕忠施設に指定されたと明らかにした。 
同館は国民的詩人・尹東柱(1917~1945年)の記念館。
尹東柱は日本に留学し同志社大に在籍中、ハングルで詩をつくったとして治安維持法違反の疑いで逮捕され、1945年2月16日に福岡刑務所で獄死した。 

尹東柱が学生時代に同区内に下宿していたこともあり、2012年7月に水道加圧場の跡地を利用して同館は開館した。
写真や原稿、関連する映像物など133点が展示されている。 

顕忠施設に指定されたことで、施設の改修や補修、顕忠施設であることを示す案内板の設置にかかる費用の一部が国費から支給される。
2015年11月24日15時3分配信 (C)YONHAP NEWS
http://www.wowkorea.jp/news/korea/2015/1124/10156102.html


文学館をあとにして、ホテルにもどり、空港へ。

初日の仁川、ナヌムの家、戦争と女性の人権博物館、そして尹東柱文学館には、ぜひ、来年中にもう一度訪問したい!とおもっています。

ご同行のみなさん、ふぇみんのみなさん、現地ガイドさん、旅行社 たびせん・つなぐさん ありがとうございました。

いい旅でした。宿題いっぱい。















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by anzu-ruyori | 2015-12-01 00:07 | 平和 自由 
韓国ツアー 2日目 

タプゴル公園

1919年3月1日 独立宣言書を読んで独立運動はじまった場所
現地ガイド キム・スヨンさんの詳細な解説でレリーフを見学

紅葉がきれいだった。この公園には早朝からおじさんたちがいっぱいきていた。
退職後のおじさんたちが日がな一日すごす場所で、昼食の提供もあるとか。
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レリーフのひとつには、キーセン(芸妓)の女性たちが日本人警官と対峙している姿がある
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水曜デモ
日本大使館前の「日本軍慰安婦」問題の正式な謝罪と賠償をもとめる抗議デモ行動に参加。
1992年から毎週水曜日に欠かさず行われています。

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日本大使館は、建替え中でした。
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「慰安婦」とされた少女の像 毛糸の帽子とマフラー、ストールであたたかくしてもらっていました。
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こどもたちのアピールもありました
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ナヌムの家

ソウルから1時間半ほど車で走ってナヌムの家へ。
日本軍によって「慰安婦」とされた女性たちが暮らす場所。
今は10人の方が入居されています。
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2009年にお会いした カン・イルチュルさんと再会。
京都で、毎月1回「日本軍慰安婦問題」を街頭アピールしている写真をお渡しできた。

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リビングに、4人のハルモニがきてくださいました。にこにこして、ずっと手を握ってくださるパク・オクソンさん。
2009年に訪問したときは、入居されたばかりでおとなしく黙っておられたが、今はここに馴染んで安心して暮らしておられるご様子でした。


カン・イルチュルさんは、「みなさんにいいたいことがある」と、いわれ「日本は韓国を36年間も支配してきた(両手を広げて、下に押しつけるしぐさ)。
私は中国につれていかれて、帰ってこられたのは2000年だ。両親も兄弟も誰もいなくなっていた・・・」


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1ヶ月まえに訪問した人は、カン・イルチュルさんが「アベはこないのか!」と発言されたと、いわれていました。
88歳になられたカン・イルチュルさんの怒りを忘れていけない。











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by anzu-ruyori | 2015-11-30 13:29 | 平和 自由 
2015年11月10日から13日の4日間 韓国にいってきました!
出発1週間前から風邪をひいてしまい、体調不安と準備不足でしたが、韓国では体調もよく充実した旅でした。韓国料理の底力か!

ふぇみん(婦人民主新聞)70周年記念のスタディツアーで、参加者20人。
20代~80代の社会問題にとりくまれている方が多くて、興味深い話も色々おききできました。

私は6年ぶり2度目の韓国訪問。 
前回訪問の2009年9月 ブログ↓
http://miteikou.exblog.jp/11905297/

 
関東組は成田空港から関西組は関西空港から出国して
仁川空港で合流、総勢20人+日本人添乗員で、大型観光バスに乗り韓国ツアー出発!



1日目 仁川(インチョン)

仁川在住の作家 戸田郁子さんの案内で、商店街に残る日本人が暮らした痕跡を辿る
ちょっとディープな町歩き。

仁川は、日本統治以前の1800年代後半から、長崎と交易があり最も多い時期には既に2万人もの日本人が居住していたと知り、びっくり。

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港から、自由公園をのぞむ。紅葉がきれい。自由公園にはマッカーサー像がある。朝鮮戦争のとき、仁川上陸作戦が成功して、南軍の勝利となったので、マッカーサーが自由を運んできたということ。元々はロシア人が整備した近代公園で、万国公園とよばれていた。日本統治時代に植えられた桜がいまも4月には満開になる。

日清戦争 日露戦争 そして、朝鮮戦争、いつも 仁川は戦場だった。

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一見するとハングル文字の看板のある現代的な商店街も70年以上まえの日本建築の木造長屋だという。 表通り側だけが平面でうしろは三角屋根のいわゆる「看板建築」。

             ↓ 日式(日本式)木造建築
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            ↓ 日式住宅をリノベーションした「茶具博物館」
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        ↓ 昭和30年代の日本住宅みたいだが、70年以上前の建物
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    ↓日本人がつくった石垣。角がきっちり直角になっているのが日本式。
      大根葉がほしてある。おつけものにするのかな。
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          ↓ 日本統治時代の建物に3階部分を増築。
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↓ 1900年代はじめの仁川港  瓦葺の日本家屋がならんでいる。
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  ↓ 戸田郁子さんの「官洞(カンドン)ギャラリー」

  90年前に建てられた6軒長屋の日本式木造建築。
  2013年に戸田さんと出会い、建築家富井正憲氏に
  よる「日式住宅再生プロジェクト」で、蘇った。

 「官洞」とは終戦後に韓国人がつけた町名。官舎のある町だから。
日本統治時代は「仲町」と呼ばれていた。

  日本と仁川の今と昔に、時空を超えて出会える場所でした。
  
  紹介記事↓ 

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2015年1月 オープン 
             ギャラリー ゲストハウス セレクトショップ
   
ホームページには戸田さんから以下のよびかけがある。
  
  「仁川に所縁のある日本のみなさんへ」

仁川官洞ギャラリーは仁川市中区の、かつて「日本人租界」のあった町にオープンした展示と交流の空間です。

多いときには二万人もの日本人が住んだと言われるこの町には、過ぎた日の痕跡が今も数多く残っています。


私は現在、この町に住む唯一の日本人として、思い出の場所や人をお探しの方々のために、

​なにかお役に立つことはできないだろうかと考えております。


ご質問、ご要望などございましたら、どうぞ、このメールあてにご連絡くださいませ。


仁川官洞ギャラリー 戸田郁子

gwandong14@gmail.com



  仁川官洞ギャラリー営業案内

開館時間:金/土/日 10時~18時  観覧無料。

住所  :〒22315 韓国仁川市中区 新浦路31番gi 38

電話  :032-766-8660

e-mail :gwandong14@gmail.com 

http://www.gwandong.co.kr/


出版社「土香(とひゃん)」→http://www.tohyang.co.kr/jp/about.htm

↓ 中華街にある「仁川近代博物館」
館長さんが、若い頃から収集してきたモノたちでいっぱい!  
仁川の100年前からの息吹を感じた。         
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↓ 港のレンガ倉庫は、「アートプラットホーム」という名で、
芸術作品の制作工房と発表の場となっている。
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↓商店街の広場にある銅像 左から韓服の親子、中国服の男性、着物の女性と三つの民族が仁川で、共生していた姿があらわされている。
中国人が手にしているのは、ごぼう。
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↓ 日本人街(観光用に作られている。あまり人気がない うどん屋とかある)にある人力車の像。
韓国で、日本人のとくに男性の着物姿の銅像はとても珍しいそう。統治時代の差別や恐怖の象徴だからか。

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  空港の名前でしかなかった仁川に、こんなに日本式の暮らしぶりがあり今も活躍していることに驚いた。
近いうちに、ぜひまた来てみたい。まずは、戸田郁子さんの著作を読んでみようと思う。
  
 戸田郁子さん著作 

     · ハングルの愉快な迷宮 講談社文庫

     · ましくて愛しいハングル 講談社文庫

     · 悩ましくて愛しいソウル大家族  講談社文庫

     · 中国朝鮮族を生きる 旧満洲の記憶 岩波書店



つづく、ソウルへ。


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by anzu-ruyori | 2015-11-23 14:48 | 平和 自由 
2009年9月以来 参加している「朗読劇 ガザ希望のメッセージ」を、
2月に大阪市と津市で公演します。

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↑ 2014年 京都YWCA 

この朗読劇は、2007年12月~2009年1月のイスラエルによる
ガザへの攻撃をうけて制作され、
日本にいる私も何かしなくては、という思いで参加しています。


2009年 9月京都 (多目的カフェかぜのね)
2010年 3月広島 (カフェ コパ)
2011年 5月京都 (京都大学 中東学会)
2011年12月京都 (京都国際交流センター)
2013年12月東京 (東中野ポレポレ座)
2014年 1月京都 (YWCA)

と、6回の公演を重ねてきました。

そして、朗読劇の舞台ガザでは 2007年の攻撃のあとも、
イスラエルからの攻撃と封鎖がつづいています。
昨年2014年7月の攻撃では2000人以上の死者がありました。
ほとんどが、非戦闘員で子どもも多く含まれています。

たくさんの方に、この朗読劇を「体験」していただき、
ガザの人々を思ってもらいたい気持ちでいっぱいです。

お早目のご予約をお願いします。

 2月1日  大阪 ドーンセンター  
 
 2月8日  三重県津市  中央公民館ホール

事前予約 1500円  (障がいのある方及び介助の方・学生 800円)
当 日  2000円  (同 1300円)

〇予約・お問合せ ※メール、またはお電話でお願いします。

大阪 080-5314-1539(つくい)、 tsubamegekidan@gmail.com (つばめ劇団)

三重 059-229-3078(FAX兼)、090-1239-1410(宮西)、syashinten@za.ztv.ne.jp


http://readers-without-borders.org/

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by anzu-ruyori | 2015-01-05 12:11 | 平和 自由 
イスラエルのガザ攻撃が終わりません。私は喪章をつけて、仕事をしています。

ガザを悼み 平和を祈る キャンドルビジルを行います。

19日午後 7時から8時半まで、
京都 三条大橋


ぜひ、ご参加ください。

以下の写真は2013年12月27日 2008年ガザ攻撃から5年目を悼む雨のキャンドルビジル
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*****

みなさん

パレスチナ・ガザが大変なことになっています。
イスラエルによるすさまじい攻撃が続いています。
白昼堂々、住宅が密集した市街地にミサ イルを撃ち込み、無差別に市民を殺戮しています。

2006年来続く違法な封鎖によって、ガザに閉じ込められた180万もの人々が、
逃げる場もなく、攻撃にさらされているのです。
たくさんの子どもたちを含む200人以上の人々が殺されてしまいました。

2008年暮れの攻撃以来、この5年半の間で実に3度目の攻撃です。
目の前で、理不尽な人殺しが繰り返される。

こんなことはもうたくさんです。
私たちは「イスラエルは無差別殺人をやめよ」、「封鎖をやめよ」
という声を街頭であげることにしました。

19日午後 7時から8時半まで、
京都の三条大橋の上で、ピーススタンディングビジルを行います。

犠牲になったすべての人々に弔いの意を表すとともに、
イスラエルのジェノサイド的行為に抗議します。
キャンドルとメッセージボードを持って立ちます。
どうかご参加下さい。

参加にあたってはできるだけ黒っぽい服をご着用ください。
出来る限りご自分で作ったメッセージボードをご用意ください。

キャンドルは用意しますが、可能ならご自分でもご持参ください。
雨天でも行います。

ピースウォーク京都
つばめクラブ
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by anzu-ruyori | 2014-07-17 19:50 | 平和 自由 

ガザ攻撃をやめろ★

いま、またイスラエルが、ガザを攻撃しています。

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土井敏邦さんのメール 拡散希望。(強調部分は、私が大文字にさせていただきました。)


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土井敏邦です。
ガザ在住の人権活動家ラジ・スラーニ氏に、現在のガザの状況について
7月10日、スカイプでインタビューしました。

多くの方に知っていただきたいガザの現実です。
この記事の拡散にぜひ力を貸してください。

                     7月13日 



「子どもたちの眼に羞恥ではなく、“誇り”をみたい」

―ラジ・スラーニ氏・インタビュー(7月10日)―


土井敏邦

(Q・今のガザの状況を教えてください)

 この新たな「戦争」は、3人のユダヤ人入植者が誘拐され殺されたことのきっかけですが、
イスラエルは事件があったヨルダン川西岸のヘブロン市だけではなく、西岸全体またガザまで攻撃の対象としたのです。西岸では大量にハマスの指導者たちを逮捕し、ヘブロン市とその周辺の村々に外出禁止令を敷き、家を一軒一軒捜査し始めました。

また住民の家々を急襲し、住民を脅迫し侮辱し、ハマスの指導者たちの家屋を破壊しました。
さらに以前ガザで誘拐されたイスラエル兵(シャリート)との捕虜交換で釈放された元政治犯のパレスチナ人を再び逮捕しました。その数は数百人に及びます。

イスラエル軍はパレスチナ自治政府の治安警察も無視して、少しでも不審だと思ったら、たとえ自治政府の人間でも射殺します。彼らはフリーハンドなのです
 3人のイスラエル人少年の誘拐・殺害後はイスラエルの中に怒りが渦巻き、パレスチナ人少年が犠牲になりました。モハマド・アブクデール(16歳)です。それがまた西岸で怒りと暴力の新たな波を引き起こしたのです。
 また同時に、西岸の事件とはまったく関係のないガザ地区でも、イスラエルは繰り返し、ハマスの指導者たちを暗殺すると脅迫しました。それも公にです。そしてイスラエルの世論は復讐を要求したのです。

 イスラエルは10日前(6月30日)からF16やドロン(無人飛行機)、アパッチ・ヘリコプターなどによってガザの攻撃を開始しました。

 いわゆる「クリーンな爆撃」と彼らは言います。


 それはガザ南端のラファから北端のベイトハヌンまで空爆し、個々人を標的して住民を殺すことはせず、
ただ住民の間に恐怖心を植えつけるというのです。そしてガザ全体には安全圏はないと感じさせるようというのです。

 しかしこの「戦争」の最初に、イスラエル軍は6人のハマス武装メンバーを殺害しました。つまりもはや「クリーン」ではないのです。ハマスはそれを受け入れることができません。
 イスラエルは自らの宣言を破ったのです。それでパレスチナ人側は報復しています。
つまりイスラエルが挑発し、この「戦争」は始まったのです。

 それがこの「戦争」の引き金なのです。イスラエルは当初から、ハマスが反撃を開始することを望んでいました。それに応戦し降伏させようと考えていたのです。

 その空爆のやり方は、気が狂ったように猛烈に激しい爆撃です。

 ガザ全体を爆撃し、標的にした者は確実に殺害し、破壊する。イスラエルは新たな作戦を作り上げ、12時間の間に24人を殺害し、220人を負傷させました。また85軒の家を破壊しました。

 その作戦は、例えば私、ラジ・スラーニがハマスがイスラム聖戦のリーダーであったとすれば、私がそこにいようといまいと、私の家を爆撃するのです。
 F16によってです。

 ガザ中部のハンユニスのアブ・カワレ一家がその一例です。5人の子どもを含む7人を殺害し、28人を負傷させました。ベイトハヌンのハマッド一家も同様に、近所の男性がコーヒーを飲んでいて、傍にハマッドの妻と母親がその部屋にいました。そのとき空爆され、孫たちを含め6人が死亡したのです。

 イスラエル軍は住民、家族を破壊し抹殺しようとしています。破壊とテロです。
 軍事的な攻撃目標などないのです。

  これまで犠牲者の中にハマスやイスラム聖戦のメンバーは6人から多くても10人ほどです。他の犠牲者は一般市民で、その数は今のところ87人です。その数は時間ごとに増えています。

 武装組織のメンバーたちの大半が地下にもぐって表には出てきません。だからイスラエル軍は彼らの家、農園、インフラを狙って攻撃するのです。そこに人がいようがいまいが構わないのです。

 住民の殺戮と負傷によって、住民に恐怖を植え付けようとしています。それが、200万人が暮らすこの360平方キロの広さしかない狭いガザ地区で起こっているのです。

 ここは世界でも最も人口密度の高い地域です。
イスラエルにはF16やアパッチ・ヘリコプターがあり武装艦船を持っています。それを用いて24時間、砲爆撃を繰り返しているのです。
 それだけでは満足せず、ある地域では地対地ミサイルまで用いています。
 誰も満足に眠ることができません。
 夜に動くものは、車でもモーターバイクでもすべて爆撃されます。即座に、です。夜の間、ガザをマヒ状態にしようとしています。

日中でもガザでは普通の車を使うことが困難です。
私は今60歳ですが、こんなことは私の人生の中で一度も経験したことがありません。



 この「戦争」、爆撃の前からガザ地区はとても特殊な状況に置かれていました。

これまで2度もイスラエルの激しい攻撃にさらされ、多くの建物は再建されてはいません。

また封鎖によって、ガザは経済的にも社会的にも窒息状態に置かれています。

その封鎖の影響はあらゆるところに及んでいます。ハマスとファタハの連立政府が成立したばかりですが、ヨルダン川西岸から新たな政府要人がガザへ来て業務を引き継ぐこともできません。ガザ地区は非常にひどい状況下にあるのです。

 現在、イスラエル軍の地上侵攻についての噂が大きくなっています。

イスラエルには大きな政治的な意見の分裂があります。ネタニヤフは気が狂っているかようです。

もしイスラエル軍がガザ地区に侵攻してきたら、多くのイスラエル兵が殺されます。

今は空爆によって、ガザはまさに「象が侵入した庭」のような状況です。

しかしイスラエル軍がガザに侵攻したら、何千人という兵士が殺されます。

一方、ガザ住民は少なくとも1万から1万5千人が殺されることが推定されます。

イスラエル軍はガザに侵入すると流砂の蟻地獄のような状況になります。

だからイスラエルの軍や諜報部門は侵攻を望んでいないのですが、政府が圧力を加えています
。しかもまったく仲介者がいません。ハマスはエジプト政権に、「我われはあなた方と話をしたくない。あなた方はイスラエルの側に立っていて、我われはあなた方を信用しない」と言っている。そのハマスの指導層の大半は地下に隠れています。彼らが表に出てくれば、即座に暗殺されるでしょう。

 この事態は短期間では終わらず、長期化すると私は思います。とても困難で、血にまみれたものになるでしょう。何日かではなく、何週間も続きます。


 ガザの住民はまだ抵抗を支持しています。ハマスに対する不平・不満はなく、イスラエルと彼らがやっていることに対して激しい怒りを抱いています。

またイスラエルを支持するアメリカやヨーロッパなどの立場と対応に怒っています。

2008-2009年、また2012年のガザ攻撃で犯した罪によってもイスラエルは何の罰も受けなかったので、自分たちは免罪され、やりたいことは何でも自由に行動できると思っている、と多くのガザ住民は感じています。

 ここで起こっていることは簡単です。ここは法が支配する世界ではなく、ジャングルの掟(おきて)が支配している世界なのです。


一般市民を保護する基本的で原則的な法さえ欠落しているのです。
私は今国際的な組織と接触をとっています。彼らは住民が標的にされ、多くの人が殺され、負傷していること、ガザ全体に医療品が不足していること、また病気や負傷した人が封鎖によって治療にエジプト側に出られないことをとても心配しています。


 あらゆるガザ住民が不安に震えています。まったく展望が見えないからです。

イスラエルはここでは「全能」です。

住民は苦しみ泣いています。それは道理にかなったことです。

私は最悪の事態が起こることを恐れています。時間が経つごとに、前よりさらに事態は悪化し、今日は前日よりもひどい状態になっています。



(Q・夜は動くものが標的にされる中、救急車は動けるのですか)

 爆撃は四六時中続いています。24時間ずっとです。夜に動く物体や人は全て爆撃されます。

(Q・もし夜に負傷した場合、どうやって負傷者を病院に運ぶのですか)

 とても難しい状況です。動くのがとても困難なのです。

昨夜、ハンユニスの海岸で爆撃がありました。住民はただカフェに座っていただけです。

電気もなく、テレビも見られない状態でした。それに対してイスラエル軍は海上の艦船から砲撃したのです。5人が死亡し、20人が負傷しました。

病院に駆け込むことができなかったからです。その1人は脚が切断され、本人がその切断された脚を抱えてジャーナリストたちに見せたのです。

とても困難な状況です。まったくイスラエルはガザ住民の被害など気にかけない。女性や子どものこともまったく気にかけないのです。

(Q・薬品や食料が不足しているとのことですが、説明してください)

 ガザの保健省の大臣が昨日(7月9日)私のところに電話をしてきて、病院で必要な医薬品の種類の25%が不足しているとのことでした。

さらに他の25%も明日までに底をついてしまうというのです。

今朝(7月10日)までの負傷者は520人です。

その負傷者のすべてに薬品や手術、縫合糸が必要です。その基本的な薬品がないのです。とても深刻な状況です。

いつもなら、エジプトとの国境が開かれ、エジプトやトルコやチュニジア、フランス、英国から医薬品や医者や看護師など医療関係者たちがエジプトから入ってくるのですが、今は誰も救援に来ません。

国境が封鎖されているからです。もちろんイスラエル側の境界からも入ってこれません。だから殺戮、負傷、破壊がさらに深刻なレベルとなっているのに、明日(7月11日)までに医薬品の種類の50%が底をついてしまうのです。


 ICRC(赤十字国際委員会)ガザ支部の幹部と昨日話をしましたが、2、3日の間に医薬品を搬入しようと試みていますが、それはわずかな量で、不足している薬品全てを補うものにはならないとのことでした。それさえできなければ、深刻な事態になります。


 それ以外にも、手術や透析のための電気が不足しています。
またガザ全体が燃料不足の状態です。だから事態はとても複雑な状況です。
これは人工的に生み出された大惨事です。


(Q・食料は?)

 今のところ、食料は大丈夫です。もちろんいい状況ではありませんが、人々はなんとかしのいでいます。

ガザ地区では野菜や果物などが生産できます。しかし長期的にはわかりません。
イスラエル側から物資が入ってくる検問所は今、機能していません。だからまもなくこの問題が深刻になるでしょう。

 ガザ住民の85%に食料を配給しているUNRWA(パレスチナ国連難民救済事業機関)は深刻な危機にあります。深刻な財政難のためであり、食料を搬入できない状態です。すぐに食料配給ができない状況に追い込まれます。しかも今はラマダン(断食月)です。


(Q・ラファとエジプト側との地下トンネルはどういう状況ですか。機能していますか。イスラエルがトンネルも爆撃していると聞いていますが) 


 全体としてトンネルは機能していません。物資の搬入は枯渇しています。

この2、3日間、ガザ・エジプト間の14キロの国境線沿いの地域全体をイスラエル軍は爆撃しています。しかも特殊な爆弾によってです。とても大きな重量の爆弾です。

(Q・外国のジャーナリストはガザにいるのですか)

 昨日から外国人の存在を確認できました。昨日になってやっとできたのです。

BBCワールド、BBCチャンネル4、BBCラジオ、それに「シュピーゲル」などドイツのメディアなどです。

だから昨日から外国のメディアの存在について話ができるようになりました。

特派員たちがガザに入ってきています。

(Q・2012年のガザ攻撃と今回では何か違いがありますか)

空爆のレベルも質も違います。

今回はF16、ドロン(無人飛行機)、アッパッチ・ヘリコプター、地対地ミサイルなどあらゆる武器を用いています。また標的もガザの指導者たちの大半の家を攻撃しています。

すでに125軒のハマス指導者たちの家が破壊されました。ハマス指導者たちは誰もがその家を破壊され、さらに死傷者が出ています。

 もちろん2012年のガザ攻撃もひどいものでした。しかし今回は住民を心底からの恐怖に陥らせています。

前回はイスラエルも一般市民の被害を避けようと注意を払っているようでした。

しかし今回は誰もがこの攻撃から自由にはなれないのです。

自分の家に留まっていたとしても、比較的静かな地区に住んでいても、家が空爆の衝撃で揺れるのです。

家の天井が自分の頭上に崩れ落ちるのでは感じるほどです。非常に危険な状況です。

 この状況は前例はありません。こんな事態に直面したことがありません。

(Q・なぜイスラエル軍はハマスの指導者たちを攻撃できるのですか。情報をイスラエル側に流すパレスチナ人の「協力者」がいるのですか)


 「協力者」(collaborator)はいつでも存在します。占領者がいる所には必ず「協力者」がいる。

彼らが占領者イスラエルの眼、耳、鼻、手となっています。とりわけF16やドロンには協力者が必要です。「協力者」たちは標的の家や車を特定します。その動きや武器倉庫などの情報をイスラエル側に流します。

 イスラエルはハマスやイスラム聖戦のメンバーたちに「死刑判決」を下し、それを実行しています。
しかもそれを彼らの権利だと思っている。例えばラジ・スラーニを殺そうと思えば、私の家を爆撃し破壊する。

そして家族を殺す。これは戦争犯罪です。誰も暗殺する権利はないのです。組織の指導者たちを「懲罰」するためにこれほど冷血な手法で殺害し、家を破壊することは許さないことです。

ジュネーブ条約や国際刑事裁判所でもこれは戦争犯罪です。これは全く違法な行為です。

(Q・世界の眼はイラクやシリア情勢に向き、ガザの情勢だけに注目しない状況です。また3人のイスラエル人少年の誘拐と殺害が事の発端であると報道されています。このような国際社会の見方にあなたはどう反応しますか)

 シリアやイラクの問題はあります。イエメンやエジプトやチュニジアの問題もあります。
パレスチナだけが特別な問題ではないことはわかっています。

 しかし我われはこのタイミングを自ら選んだわけではありません。
 もう1つ忘れていけないのはブラジルでのワールド・カップです。世界の関心がそこに向かっている時期です。

 しかし私が腹の底から感じるのは、今のガザの状況の特別な“空気”です。

一般に国際社会が事態を理解するのに2、3日を要します。今ここで起こっている事態を国際社会がやっと把握し始めています。


今回のようにテルアビブやエルサレム、昨日のディモナ(イスラエルの核施設のある町)、ハイファへのパレスチナ側のロケット弾攻撃はこれまでにない事態です。

テルアビブはマヒ状態にあります。多くの市民がシェルターに隠れ、この3日間は学校や仕事に出られない状態です。イスラエル人はこの事態に怒っています。

彼らは今ジレンマに陥っています。セキュリティー(安全)に不安を感じ、今は「抑止力」について話を始めています。しかし誰も抑止できないのです。

ガザからのロケット弾攻撃はずっと続き、ガザ住民は降伏もしません。自分たちの強靭さを自覚しています。

もちろん住民はイスラエルの攻撃に苦しみ、恐怖に怯えています。


しかし同時に、この攻撃を甘受し何の抵抗もしない「いい犠牲者」でいいと思っている者はだれもいません。

中にはこの被害を自分たちが求めているものを手に入れるための“代償”なのだと考える者さえいます。我われは「いい犠牲者」にはなりません。

他のアラブ世界からも連絡が届いています。エジプトからもです。この2日間に驚いたことにエジプトの知人から電話をもらいました。

彼らは「パレスチナ・ガザへの連帯」と言うのです。彼らもとても動揺し、とても後ろめたく感じています。これがパレスチナとそれを取り巻く“空気”です。

パレスチナで起こっていることを誰も無視できません。これまでイスラエルといろいろ共謀してきた自治政府のアブマーゼン(大統領)でさえです。西岸のパレスチナメディアも変わってきています。パレスチナTVは24時間体制でガザの状況を伝えています。西岸のメディアがです。


西岸の住民はガザ攻撃に抗議するデモをやり、イスラエルに対する抗議行動を起こし始めています。

国連の安全保障会議では、私はナンセンスだとは思うけれど、協議が行われています。

国際刑事裁判所もイスラエルを非難し始めています。アブマーゼンはイスラエルを非難し始め、「この事態は決して受け入れがたいことだ。ひどすぎる」と公言しています。

彼ははハマス指導者のメシャルと電話で会談し、またエジプト側に国境を開けるように要請しました。

(Q・昨日、あなたは私に「人間の尊厳が命より大切だ」と言いましたが、爆撃で家族を殺された住民の中には「ハマスのロケット弾攻撃のために自分たちはイスラエルの攻撃によって、さらに苦しまなければならない。後生だから、ロケット弾で攻撃するのは止めてくれ」という住民も少なくないと思いますが)


もちろん多くのガザ住民は「人間の尊厳が命より大切だ」ということに賛同しないかもしれない。

我われは弱い人間だし、個人の利益を最優先に考えがちです。「人間の尊厳が命より大切だ」というのは、私自身について言っているのです。ただ私だけではく、私の周囲の理性的な人もそうです。

この封鎖や攻撃の後は、ガザは“動物農場”のような状況です。

封鎖、失業、貧困、分断、爆撃、殺戮、流血・・。下水道も管理できず、下水を海に流さなければならず海を汚染している状態、自分の運命も自分で決められず、建設的な生活をすることもできず、普通の人間のように行動することもできない。

だからガザの人々はもう失うものはないのです。


この悲惨な状況、非人間的な状況に置かれているのです。

私たちは今すぐにはパレスチナを解放できなことはわかっています。

しかし少なくとも人々はイスラエルの抑圧と攻撃を甘受するだけで抵抗しない「いい犠牲者」ではありたくはないのです。

人間としての“誇り”と“強さ”を持ちたいのです。



たしかに人々は流血し、気を失い、すべてを失ったという絶望感もある、

それでも人々は自由と人としての尊厳を大切に思っているのです。


そして自分の子どもたちの眼に、羞恥ではなく、“誇り”をみたいと願っているのです。




ラジ・スラーニさん プロフィール

Raji Sourani
パレスチナを代表する人権活動家、オピニオン・リーダー。
1995年、ガザ市で「パレスチナ人権センター/Palestinian Center for Human Rights(PCHR)」を創設。イスラエル占領時代、5年近く逮捕・拘留され、激しい拷問を受けた。
長年の人権擁護の活動は国際的に高く評価され、ロバート ケネディ人権賞(1991年)、フランス人権賞(1996年)などを数々の国際的な賞を受賞。2013年12月には、“第二のノーベル平和賞”ともいわれるライト・ライブリフッド賞を受賞。
1953 年、ガザ市生まれ。

http://doi-toshikuni.net/j/info/raji2014.html
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by anzu-ruyori | 2014-07-13 17:47 | 平和 自由 
速報★ 京都公演決定!


12月東京公演では、連日満員御礼のおはこびを頂きありがとうございました。

京都で、再演します。どうぞ お越しください。



2014年2月2日(日) 午後2時開演!

場所  京都YWCA 上京区室町出水上がる近衛町44 


料金1000円(前売り 予約) (当日1500円)
   障がいのある方と介助の方、大学生以下 800円 (当日1200円)

定員80名です。 ご予約ください!

予約 080-5314-1539(つくい)   
    tsubamegekidan@gmail.com


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by anzu-ruyori | 2014-01-14 11:06 | 平和 自由 
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東京で、朗読劇に参加します。
どきどきの5回目の再演。

放射能と地震と寒さの三重苦? でも 楽しんできます!

東中野での出会いを楽しみに。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「忘却が次の虐殺を準備する」と言います。
だとすれば、私たちは今、ガザを忘却することによって
次の虐殺を準備しているのかもしれません。

忘却に抗してガザを記憶し続けるために、何よりも、150万の人間を袋の鼠状態にして
一方的に殺戮するという、人間の想像を絶する出来事を前にして、
その攻撃に見舞われたガザと私たちを
「想像力」という人間の力によって架橋するために、

出来事から5年目のこの12月、
朗読劇「ガザ 希望のメッセージ」を再演します。

肉声を通して語られる、ガザの声、そしてガザへの思いに触れてください。

(作、演出 岡真理)


「国境なき朗読者たち」http://readersforpeace.sakura.ne.jp/

会 場:Space & Cafe ポレポレ坐 東京都中野区中野4-4-1 ポレポレ坐ビル1F

入場料:事前予約 1000円 (高校生以下 800円)/ 当日 1500円
予約・お問い合わせ  080-5314-1539 (つくい)/ gaza2013tokyo@ gmail.com

日 時:
1.12月13日(金)開演 19:00
2.12月14日(土)開演 14:00
3.12月14日(土)開演 19:00

注)開場は開演の30分前、受け付けは開場の20分前です。開演の15分前までに、受け付けをお済ませください。開演前15分を過ぎても受付をされない場合は、キャンセル扱いになりますのでご注意ください。
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by anzu-ruyori | 2013-11-29 22:06 | 平和 自由 
同志社大学で 毎年 学生主催で「日朝関係史講座」が開かれている。

10月11日「広島の在日朝鮮人史」の講座を聴講した。

私ははじめて「集団」とよばれた人たちのことを知った。

それは、広島市庄原市にある「高暮(こうぼ)ダム」の建設に、朝鮮人労働者が従事していたという事実だった。

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1940年から、建設がはじまり、約4000人の労働者のうち2000人ぐらいが朝鮮人だったという。
その中には トラックに乗せられてきた番号でよばれる朝鮮人たちがいた。集落の人たちは「集団」と
呼んでいたという。(講師のオ・インジェさんは当時の行政用語「集団移入労働者」からか?といわれていた)



「建物の周囲は板で囲いがしてあって、
坑木を立ち並べて出られないようにしてあった。
窓に はすべてタル木を5寸釘で打ち付け、
飯場によってはハッピ姿の用心棒のような者がいて、
シ ェパードを連れて見回っていた」

「生コンにまきこまれ埋まった人がいた」

「リンチがあった」

など、証言がのこされている。

過酷な労働と環境のため、たくさんの命が奪われた場所だった。

現地調査された元中学校教師の方の解説 ↓
http://www.saizenji.com/page031.html

1995年追悼碑が募金により建立され、追悼式が毎年開催されている。

朝鮮人と日本人が共同で建立され、追悼式が開催されている碑は
この高暮ダムと舞鶴の「浮島丸」殉難碑と北海道東川の追悼碑
だけとのこと。

いまの高暮ダム↓

http://side-way.jugem.jp/?eid=610
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by anzu-ruyori | 2013-10-14 20:39 | 平和 自由 
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日の出 



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この島にも 忠魂碑 大正6年建立   
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塔の上にあった 鷲が、取れてそのままに放置されていた。






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連絡船 6時45分発 一日3便 朝の船には中学生たちが乗っていました。

柳井湊から、JRに乗って広島へ。
2010年に朗読劇「メッセージ フロム ガザ」の公演以来の広島。
そのときのブログ→
http://miteikou.exblog.jp/13218392/

今回は「広島城」にいってみたいとおもっていた。

JR「横川」駅で降りる。映画」「黒い雨」で、重松さんが被爆した場所だと電車に乗ってから
気が付いたので、広島駅まで切符を買っていたが、おりてみた。
小説で読んでように、「可部行」の連絡駅だった。
そこから、少し市電に乗って、広島城へ。

暑い中、被爆ガイドの男性が声をかけてくださった。被爆樹や、やけた石垣の説明をお聞きした。

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大本営跡 
日清戦争がはじまった1894年に大本営が設置され、明治天皇が10か月間滞在していた。
仮首都として帝国議会もこの地で開かれたそうだ。



広島城の歴史
http://www.rijo-castle.jp/rijo/main.html

中国軍管区司令部防空作戦室 通信室跡

比治山高等女学校の生徒約90名が学徒動員で働いていた。
軍事専用電話で、被害の様子を連絡した、これが広島被爆の第一報の一つといわれている。
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入り口 毎年8月6日に公開されているそうです。行ってみたい。

被爆当時の通信室 
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広島ドームは「耐震調査のため」の足場が設置されていました。(7月下旬まで)
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かつて、京都を走っていた市電に乗って広島駅へ。

時間あったので、結局 在来線で関西まで、ゆっくり帰りました。
広島駅を出ると、海から離れて内陸へ列車が向かう。
安芸中野~瀬野~白市(しろいち)~入野(にゅうの)~河内(こうち)~本郷~
トンネルを超え、峠を越えて、田畑に沿って走る列車。
かつて蒸気機関車でたくさんの出征兵士たちが、戦地へ向かったのだろうと思う。
車窓から、この風景を食い入るように、見ていたのだろうと思う。
駅からではなく、列車の見える田畑や山裾から人知れず見送っていた人もいただろうと思う。

車窓から、「慰霊碑」がみえた。

神戸で降りて、「100人の母たち」写真展へ。

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写真集をみたときは、「母性礼賛」ってかんじでちょっと、ひきましたけど、
大きな写真で、インパクトあり、ぐっときました。8月11日までです。

「100人の母たち」フェイスブック→https://www.facebook.com/100mothers

4日間の夏休み終了!また、絶対いきたい祝島。次回はぜひ、農作業をしたい ひじきの収穫とか。
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by anzu-ruyori | 2013-07-22 22:56 | 平和 自由