逡巡のとりどり@京都


by anzu-ruyori
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カテゴリ:平和 自由 ( 118 )

京都市長選挙が2月5日にあります

現職の門川大作さんと弁護士の中村和雄さんが立候補されます。

私は中村和雄さんを応援しています。

中村和雄さんを市長にしよう!勝手連
http://for-kyoto.net/about

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BY渡辺あふる画伯






京都市民の行政訴訟の弁護をされてきた中村さんが市長になったら、京都がかわります。

夢かもしれないけど、「みんなで見る夢は実現する」とオノ・ヨーコさんがいっているそうです。

夢 見てみましょう!

中村和雄さん政策
http://neo-city.jp/manifesto/
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by anzu-ruyori | 2012-01-09 01:30 | 平和 自由 

★ガザ朗読劇をおえて★

おそくなりましたが、12月16、17日の朗読劇が、無事終了しましたので、報告します。

ご来場いただいたみなさま、ご協力いただいたみなさま、ほんとうにありがとうございました。

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制作者よりお礼とご報告
京都市国際交流会館 東日本大震災被災地支援チャリティ企画、「国境なき朗読者たち」による「The Message from Gaza ~ガザ 希望のメッセージ~」の公演は、おかげさまで無事、終了することができました。2日間3回にわたる公演で、200人以上のみなさまにご覧いただきました。寒い中、会場に足をお運びくださったみなさま、公演の実現にさまざまな形でご協力くださいましたみなさま、そして、思いを寄せてくださったすべてのみなさまに、心より御礼申し上げます。
本公演の収益は東日本大震災の被災地支援のために寄付されます。寄付の詳細については、追って、当HPにてご報告いたしますので、今しばらくお待ちください。

安藤栄里子、岡 真理

私にとっては、4回目の上演でしたが、はじめての2日連続公演、しかも連日午前中は仕事と、正直へろへろでしたが、やりとげることができました。
いままでになく、本番中に、さまざまに想いがめぐり、パレスチナと向きあう覚悟ができたといえる公演でした。
この公演をはじまりにして、深くパレスチナとむきあい、平和についてもっともっと考えていきたいと思っています。

「パレスチナが解放されたら、抑圧と戦う世界中の人々にとって、信じられないような希望のみなもととなるでしょう!」(レイチェル コリー)
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by anzu-ruyori | 2011-12-29 00:14 | 平和 自由 
2008年の年末、私のパソコンメールに次々届いたパレスチナ★ガザからのメール。

25の建物がイスラエルに空から攻撃された。建物はすべて地上レベルに崩れ去った。死者はすでに250名に達する。負傷者は何百人にものぼるが貧弱な設備しかないガザの病院では、彼らは行き場もない。電気も来ないが、ディーゼル発電機でなんとかこれを書いている。世界にメッセージを送るために。携帯電話もすべて使用できない!

Sent: Saturday, December 27, 2008 8:03 PM
Subject: FW: Christmas News


25 building have been hit by Israeli aircrafts. All of it have been leveled
to the ground. An estimation of 250 dead so far! Hundreds of injured find no
place in the poorly equipped hospitals of Gaza city. No electricity but I am
working on a desiel generator, to send off this message. All mobile phones
are out of work too!


Prof. Abdelwahed
Department of English
Faculty of Arts & Humanities
Al-Azhar University of Gaza


加入してほどないピースウォーク京都のMLでした。
京都大学の岡真理さんが訳してくださるガザからのメールに、私はとても混乱しました。

攻撃!すぐ近くで爆撃が!電気がとまったままだ。もう、水もない・・・。
ときおり添付される画像のリンクは怖くて、ひらけなかった。

すぐさま、新聞をみましたが、ガザのことはどこにも書いてありません。
テレビの報道もほんの少し。

このメールはいったい本当なのだろうかとさえ思いました。

刻々とふえていく死者の数に、おびえました。

年があけると、集会やデモが連日あり、1月末で仕事をやめたこともあって
連日、岡真理さんの講演や志葉玲さんの報告会に参加しました。

パレスチナのことを本気で知ろうと思った2008年年末年始から
もうすぐ3年。

忘却が、次の虐殺を準備している・・・

岡真理さんからのメッセージ

■忘却に抗するためにーー
3年前、ガザ攻撃のさなか、ガザの集会はどこも、数日前のメール告知
だけで、会場に入りきらないほどの、定員の2倍、3倍の人が集まり
ました。あれから3年…。
攻撃から3周年の12月、今、あらためてガザを想起しようと企図された
朗読劇は、公演の5日前になっても、まだ70名の予約しか入っていません。
3年たって、ガザはまた、私たちの関心の埒外に行ってしまったということ
なのでしょうか。結局のところ、私たちが、関心を寄せるのは、一時に大量
に人が殺されているときだけなのだ、ということでしょうか…。

イラクも、アフガニスタンも、原発も同じ。
スリーマイル、チェルノブイリ…、何か大事故があって、人が
死ねば関心をもたれるけれど、あとは忘却される。人々の苦しみは続いている
のに…。事故があろうとなかろうと、作業員は恒常的に被ばくし、からだが
ぼろぼろになるまで消費され、命を削っているという構造は問われずに…。

忘却が次の虐殺を準備するーー。3年前、各地で講演させていただきながら、
この韓国の詩人の言葉を繰り返し紹介してきました。「今は、大量に人が殺されて
いるからこれだけの人が関心を寄せてくれているけど、ひとたびこの殺戮が
終わったならば、私たちは果たして記憶し続けるだろうか、もし、私たちが
忘れ去るなら、私たちは次の虐殺への道を整えているということ、私たちは
ガザのあとにいるのではない、次の<ガザ>の前にいるのだ」と…。
あのとき、頷きながら、涙を拭いながら話を聴いてくださった方たちは、今、
どこにいらっしゃるのでしょう…。

パレスチナ人のこの60年の歴史は虐殺の歴史でした。来年2012年は、
2000名以上が殺された、1982年のサブラー・シャティーラの虐殺
から30周年を迎えます。
この虐殺を証言したAng Swee-Chai 医師の『ベイルートからエルサレムへ』
という本があります(日本語版の翻訳出版の準備を今、進めています)。
封鎖され、一方的に破壊され、殺戮されるサブラーとシャティーラの難民
キャンプの描写を読んでいると、これは82年のベイルートなのか、2008年
のガザなのか、分からなくなってきます。
サブラー、シャティーラの虐殺は、民衆法廷も開かれました。
でも、やがて忘れ去られ、そして、ガザの殺戮が起こりました。そして、
次の虐殺がまた、遠からぬ未来、起こるのでしょうか。

私たちはいつまで、こんなことを繰り返すのでしょう?
「もう、こんなこと、終わりにしたい!」
ガザでイスラエルのブルドーザーに轢殺されたレイチェル・コリーさんの
叫びです。

攻撃から3年目の12月にさえ思い出さないなら、私たちはいつ、思い出す
というのでしょう!

京都および関西在住の方の中には、2009年のかぜのね公演、今年5月の
京大公演をご覧になった方も多数、いらっしゃると思います。
かぜのね公演をご覧になった方はぜひ、この2年の私たちの「進化」を
観にいらしてください。
5月の京大公演をご覧になった方は、ぜひ、あのとき、ご覧になった感想を、
お友だちに、家族の方に伝えて、宣伝してください。
そして、まだ、ご覧になっていらっしゃらない方は、状況が許すなら、ぜひ、
足をお運びください。そして、どうか周りの方々に宣伝してください。

ガザへ、福島へ、東北へ、思いを込めて朗読します。
忘却に抗して、昨日とは違う明日をともに創るためにーー。



******************************************
朗読劇「The Message from Gaza ガザ、希望のメッセージ」
出演:国境なき朗読者たち(京滋・大阪 市民・学生有志)

■日時
1)12月16日(金)19:00~20:30
2)12月17日(土)14:00~15:30
3)12月17日(土)18:30~20:00
*開場はいずれも開演の30分前。
*回によって開演時間が異なります。お間違いのなきよう、
ご確認ください。

■会場 京都市国際交流会館 特別会議室
http://www.kcif.or.jp/jp/access/

■料金
前売り 一般1500円、学生1200円
当日  一般1800円、学生1500円

■予約・お問い合わせ
事前予約制となっております。下記の連絡先に、
氏名・希望の公演日時・人数をご連絡ください。

電 話 080‐5314‐1539(つくい)
メール gaza.kibou@gmail.com
*当日、満員の際は、入場をお断りすることもあります。
*事前予約された方は、遅くとも開演の10分前までには
受け付け(代金精算)をお済ませください。

■HP http://message-from-gaza.com

★毎日新聞 12月10日
http://mainichi.jp/area/kyoto/news/20111209ddlk26040559000c.html
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by anzu-ruyori | 2011-12-13 01:33 | 平和 自由 

ガザ★希望のメッセージ

現代アラブ文学者 岡真理さんの脚本、演出による
メッセージ フロム ガザ ★希望のメッセージ

再演します。私は4回めの出演となります。

2008年12月27日からのイスラエルによる「ガザ攻撃」から3年目。

ガザの攻撃のさまと東北震災の情景がかさなります。

国際交流会館の被災地支援の一環として、収益は被災地におくります。

どうぞ、おはこびください。

http://message-from-gaza.com/

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2010年3月広島公演
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by anzu-ruyori | 2011-11-29 22:59 | 平和 自由 
パレスチナの若者が平和と自由をもとめて、バスにのります。
50年前のアメリカの公民権運動のように・・・

【転載・転送歓迎】

In solidarity with Freedom Riders in Palestine
-----------------------------------------------------------------------------------

京都の岡真理です。

自由と平等と人間の尊厳を求める闘いは普遍です。
その闘いの記憶は、歴史の地脈となって、時代を超え、国境を超え、
いつの時代、どこの国であれ、自由と平等のために闘う人々に繋がり、
その滋養となって、歴史の地表に湧きあがります。

明日、11月15日火曜日、パレスチナの若者たちが、西岸からエルサレムに向かう
ユダヤ人入植者専用のバスに乗り込みます。
50年前の1960年、公民権運動さなかのアメリカで、人種隔離政策に対する
抵抗として実践された、フリーダム・ライドの市民的不服従に倣ったものです。

当時のアメリカ南部では、黒人はバスの後部座席に隔離されていました。
しかし、占領下のパレスチナでは、パレスチナ人はそもそも、ユダヤ人専用バスに
乗ることさえ許されていません。そのバスに彼らは乗りこもうとしています。
入植者のバスに乗り込もうとすることは、入植者からの暴力を招き、殺されるかも
しれません。アメリカ南部で、白人との平等を求める黒人たちが、KKKによって
私刑に処せられていたように。
あるいはイスラエル軍に逮捕され、何カ月、何年も投獄されるかもしれません。

その危険を冒してなお、彼らはこの非暴力不服従の抵抗を実行しようとしています。
それによって、世界の関心を惹起し、イスラエルによるアパルトヘイトの実態を
世界に知らしめようとしています。
50年前、平等と尊厳を求めて立ち上がったアメリカ南部の黒人たちの勇気に
鼓舞されて、今、パレスチナで自らの自由と平等と尊厳を勝ち取るために。

アメリカの場合は、合衆国市民であるアフリカ系の人々が、公共交通機関
への平等のアクセスという、白人と平等の待遇を求めてフリーダム・ライドを
おこないました。しかし、パレスチナのフリーダム・ライドは、占領という
システムそのものに対する闘いです。

それは、凄惨な暴力をもたらすかもしれません。でも、自らの血を流すことなく、
自由を手に入れることなどできないということを、彼らは知っています。
どうか、明日、11月15日のパレスチナを注視してください。
そして、不正に抗し、自由と尊厳を求めるパレスチナの人々のその闘いに
連帯してください。

私には夢があります。
パレスチナで、エルサレムで、近い将来、幼いユダヤ人の少年少女が、
幼いパレスチナ人の少年少女と手をとりあって仲睦まじく暮らしていける日が
必ず来ると、そう私は信じています。
明日は、その私たちの夢を現実のものとするための、第1歩です。

参考 
http://palsolidarity.org/2011/11/palestinian-freedom-riders-to-ride-settler-buses-to-jerusalem/

http://jewschool.com/2011/11/08/27266/from-the-american-south-to-the-west-bank-a-freedom-rider-bears-witness-to-human-rights-in-israelpalestine/


http://www.alternativenews.org/english/index.php/topics/news/3888-freedom-rides

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by anzu-ruyori | 2011-11-14 21:48 | 平和 自由 
午後は、太刀洗平和祈念館へ。

4太刀洗平和祈念館

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太刀洗駅

シアターで30分の映画と詩の朗読がありました。
おばあさんがひ孫に戦争を伝えるとう内容で、「頓田の森」の悲劇も
詳しく描かれていていい内容でした。
朗読は、有名な特攻隊の話「ほたる」を朗読されました。
特攻隊の本体基地がここ太刀洗飛行場だったのです。

太刀洗平和祈念館ホームページ
http://tachiarai-heiwa.jp/

職員の方に、
「朝鮮や台湾の人たちが太刀洗飛行場におられてことはあるのですか?」と
おききしました。

 証言では、朝鮮、台湾の人がいたという話はあるが、資料としては残っていない。

 1亡くなられた飛行兵の一人の方の出身が、「慶尚南道」ということで
  日本名の表示でしたが顔写真が掲示されている。

 2技能者養成所に台湾から選抜された人がきていたらしい

 3甘木の生徒隊に朝鮮、台湾出身の人がいた

 4昭和20年4月18日陸軍機「屠龍」がB29に体当たりして撃墜した。
  機体が、農家に墜落して農民の家族3人がなくなったがその人たちが朝鮮人であった。

と、教えていただきました。

図書室の本も充実していて、堪能しました。

5記念碑 遺跡

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雨がふってきてこの慰霊塔のそばの集会場の前で雨宿りをしていると
おばあさんが雨の中、慰霊碑をそうじされて、千羽鶴にビニールをかぶせようと
されていました。
おもわずお手伝いして、お話するとその人は今さっき「太刀洗平和祈念館」で
証言ビデオをみた床屋さんの「伊藤月路」さんでした!
証言↓
http://www.ahiguchi.com/stroll/log/hidiary.cgi?yyyy=2010&mm=11&dd=15

お家におじゃまして、新聞記事や証言集をいただきました。
しかも、きょうは月路さんの誕生日だったとのこと、赤いおまんじゅうをおみやげに頂きました。
ありがとうございました。

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帰路は、博多で九州ラーメンを食べて夜行バス!

次回はぜひこのつばめカフェにいきたいです。

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by anzu-ruyori | 2011-10-17 23:58 | 平和 自由 
甘木鉄道で甘木へ。
台風15号(旅館でTVをつけてびっくり!まだそこにおんのか15号!)の影響で、
夜はすごい雨。
でも、翌日は晴れ間もみえて、
「女子挺身隊甘木日記」(寺西マリコ著 1983 石風社)の見開きにある
地図を手に甘木の町を自転車で走りました。

1甘木の昭和な建物たち

この甘木に敗戦末期に1000人以上の女性が、旅館などに分宿して「女子挺身隊」と
して、太刀洗飛行場で働いていたのです。
毎朝、歌を歌って駅まで隊列を組んで歩いていったのです。

この道を歩き、この神社で飛行兵たちの無事を祈り・・・



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須賀神社とりい

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なにかおしゃれな建物


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炭坑王貝島財閥の「貝島本家」と標識のある旧家。今も貝島さんお住まい。



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2記念碑たち

高台にある丸山公園(現甘木公園)の広場には記念碑が並んでいました。

大きな大きな「忠霊碑」を中心にして
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女子挺身隊の碑、「甘木日記」の出版を機に元挺身隊の女性たちが集い、
1984年に碑が建立されました。













3頓田(とんだ)の森


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 1945年(昭和20年)3月27日。
当時アジア最大の陸軍航空基地であった大刀洗が、米軍空襲に襲われた。
当日は修業式。空襲警報がなり式は中断、激しい空爆下、
立石国民学校(現朝倉市立立石小学校)の集団下校がはじまった。
 一人の先生が一ツ木地区の児童たちを連れて帰宅を急ぐ。
しかし、地面が震動する絨毯爆撃。
やむなく、先生は頓田の森に一行を避難させるが・・・。
 そこを一発の爆弾が直撃。 31名の幼い命が奪われた。
 

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子どもたちの名前が刻まれた延命地蔵。毎年3月17日に法要がある。


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大きなシイの木に爆弾がおちて、子どもたちはその木の下でたくさんなくなっていたのです。
シイの木は1995年に枯れてしまいましたが、その根元から若木が育っています!


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枯れたシイの木は図書館の入り口でモニュメントとして保存されています。

絵本 「シイの木はよみがえった」飯田よしひこ著別府ひろみ絵 1995年
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甘木の戦跡について↓
http://kurumenmon.com/tatiarai/tatiaraihikoujyoukanren/higaijyoukyou.html
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by anzu-ruyori | 2011-10-17 22:29 | 平和 自由 

九州の旅★筑豊編その3

「旅の朝だけは早起き」の私は朝の散歩へ。

広い敷地の「筑豊ハイツ」 昭和48年竣工
 立派なレリーフの説明板によると
「わが国産業の発展に貢献した石炭産業に従事しさらに石炭産業斜陽後は筑豊地区再興の原動力として働く筑豊地域勤労者およびその家族の福祉の増進を図るため緑と太陽に恵まれた当地を選定し、これを筑豊ハイツと名づけ昭和44年以降4年の歳月を費やし整備した。総事業費 7億円・・・・」

屋内外のテニスコートと温泉、宿泊施設のあるこの場所を元炭鉱労働者の人とその家族が利用しているのだろうか?

二日目もマイクロバスで移動。

5福吉伝道所 と ボタ山跡

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犬養光博さんがこの3月まで46年間、活動された福吉伝道所を訪問。いまは無人

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周辺には、新しくなった炭坑住宅と崩れたボタ山が、緑に侵食されていく姿が。

6仁保炭坑 坑口 セメント台座


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巻き上げ機の台座 セメント製は戦後のものとのこと。

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炭坑口が、むき出し。閉山のあと一時造成されたが頓挫して、そのまま放置されている。
子どもが遊んで事故がおきたりしないのだろうか。
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炭坑あと全景、ボタ山がみえる。地図にも載らない小ヤマといわれる零細炭坑。
戦前からも戦後もひどい労働条件で搾取があったことだろう。暗い坑口をみていると怖くなった。今も、人々の怨念がそこにある気がした。

7無窮花堂(むぐんふぁどう)
2000年12月に建立された無窮花(むぐんふぁ)堂 
飯塚市の霊園の中にあります。

お堂の中には、いまだ身元のわからないお骨が納骨されていました。
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韓国からもってこられたむくんふぁ(むくげ)の花が咲いていました。

お堂の後ろには、「歴史回廊」と題して陶板による朝鮮と日本の歴史がわかりやすく
解説されています。
韓国からの訪問者がこのお堂で「アイゴー」と泣かれるという。
日本人こそがこの場所にくるべきだと私は思いました。

アリランを心の中で歌いました。

8炭鉱犠牲者復権の塔

若宮市の千石公園というキャンプ場のある山の中にある「復権の塔」は、1982年服部団次郎という牧師が、建立に尽力された。台座のレリーフには山本作兵衛さんの絵もある。レリーフの下にはめ込まれた左右6枚の石は、炭坑で働いた日本人以外の6ヵ国からとりよせた石とのことだが、その説明はない。
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9三菱・飯塚炭坑巻き上げ台座 

大正時代につくられたレンガの巻上げ台座が二つ並んで、遺っている場所がある。
大正7年創業した中嶋鉱業が昭和に入って三菱飯塚炭鉱に合併されたところ。
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第二坑本卸 入気・石炭運搬用
すぐ下に民家がある。大正時代は蒸気で稼動していたこの巻き上げ機のとなりに
太陽光発電のパネルのある民家の屋根があります。

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連卸 排気・人車運搬用

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車が走っている道が、炭坑があったときは鉄路があり、石炭が運搬されていた。

レンガ色の大建造物は、まるで「ジブリ」のアニメのようでもあった。「ジブリ」の
世界も結構「蒸気機関偏愛」です。

このあと、嘉穂劇場を外から、旧伊藤伝右衛門邸を見学して新飯塚駅でマイクロバスを
おりて、二日間の筑豊フィールドスタディが終わりました。

犬塚光博さんは、昼食先の「林田春次郎旧宅」や「伊藤伝右衛門旧宅」は筑豊に46年いて
はじめて行かれたそうです。極貧の労働者たちや朝鮮人の苦労を知っている犬養さんにとっては田川市の初代市長林田氏や炭坑王伊藤伝右衛門は、仇敵でしょう。
私は、贅をこらした旧宅が、にがにがしくて仕方ありませんでした。
林春次郎邸の二階からは、遠賀川と筑豊の山並みがよくみえました。炭坑があったころはここから町をみおろして気持ちのよかったことでしょう。働いている労働者たちのことは見ていても「見えていなかった」のか。
伊藤伝右衛門邸では、年配の女性案内員の名調子で、楽しく案内していただきましたが、炭坑王を褒め称える文言ばかりでした。しかし、帰りに少し声をかけたら、彼女自身が炭坑住宅で育った労働者の子どもだったのです。心中複雑ではないでしょうか。
 
 炭坑遺産が観光化され、山本作兵衛さんの世界記憶遺産登録で拍車がかかっていますが、「昔、日本人はがんばった」的にひとくくりされて、労働者の苦しみが美化され、朝鮮人や中国人がまったく「いなかった」ように、されていると強く感じました。

 犬養さんは最後にバスの中で、マツオくんという筑豊出身の男性のお話をされました。
筑豊に生まれ育ち、学校を卒業すると京阪神に働きに出たけれど、精神を病んで、もう長い間入院されている方です。(筑豊の大きな病院は元炭坑主が経営しているそうです。飯塚病院は元麻生病院。精神科が多いそうです。)
そのマツオくんからの手紙にはいつも「先生のいわれたように、正々堂々ウソをつかないで生きていきます」と書かれているのです。

 犬養さんは、筑豊でキリストに出会ったといわれました。

 伺ったこと、伝えたかったことなど、いっぱいの宿題をもらった気持ちで、私は犬養さんとお別れの握手をしました。

 みなさんと別れてオプションで
10飯塚歴史資料館 

 炭坑の詳細が展示されていましたが、田川の炭坑博物館の技術中心の展示ではなく、
炭坑労働やくらしに焦点が当てられているように思えて、好感でした。朝鮮人の記述はないけど。

 たばこの包み紙でつくられた炭坑労働の工作が、微笑ましかったです。煙草販売業婦人会作。

 また、古代の埋蔵品が展示されていて、古来、豊かな暮らしがここにあったのだとわかりました。
石炭が発見されなかったら、豊かな農耕文明が発達していたことでしょう。
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シェー的はにわ(資料館の庭)








11麻生家本宅
新飯塚駅から「麻生太郎の本宅」すぐ近くときき、見物にいってみました。

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資料館前に、長ーい塀が続いていました。中は森のよう・・・。

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資料館に「麻生大浦邸 秋のお庭公開」と日程が張ってありました。
見学できる日があるのですね。 太郎さんはこの家に帰ることもあるのでしょうか。



12筑豊本線 桂川(けいせん)~原田(はるだ)

 新飯塚駅から、筑豊本線 桂川(けいせん)駅で乗り換えて原田(はるだ)まで。
この鉄道が、面白かったのですよ。
 一両だけのコンテナカー 大好きな山岳鉄道!でした。
(伊勢にいくときの柘植から亀山のコンテナ車とおんなじ)
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もちろん 単線!
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はじめのんびり
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どんどん山の中!そして早い!ゴーゴー
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わあ!トンネルだあ! (冷水トンネル 長い!)

京都に帰ってから読んだ本によると、
私が今回通った経路は、昔からの筑豊への鉄路だったのです。

朝鮮から下関についた人たちは、門司に渡って小倉から日豊本線で、田川伊田駅まで。
また、福岡港についた人たちは博多から原田で乗り換えて、筑豊本線で桂川、飯塚まで。

あの山道をどんな気持ちで機関車にのって来ただろう。不安だったろう。くやしかっただろう。

桂川駅で、40分待ちだったので、そのとき撮った写真。
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これも、帰ってから調べてみてわかったのですが、
この山のむこう側に、私が筑豊にくるきっかけになった
服部百代さんが働いていた明治鉱業平山炭坑があったのです。

犬養さんにいただいた資料の福岡県特高課の「移入労務者調査表」によると
1944年1月末現在 明治平山炭坑 移入者数2487人 逃亡者数1365人 死亡13人 でした。

筑豊にあるたくさんの魂が、私をここに呼び寄せたのだと思います。

私がこれまで「見えなかった」「見ようとしなかった」人たちのことを知ることができて
よかったと思います。私が知らなかったこと、知ったことを伝えていかなくてはと思います。

今回、炭坑労働者の姿におのずと原発下請け労働者の姿を重ねずにはいられませんでした。
決して、遠い昔のことではないのです。

犬養光博さん、筑豊フィールドスタディのスタッフの方、参加者のみなさん 運転手さん、ありがとうございました。
また、お会いしたいと思います。

九州の旅★筑豊編おわり やれやれ。 次は、太刀洗編。
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by anzu-ruyori | 2011-10-03 20:20 | 平和 自由 

九州の旅★筑豊編その2

田川伊田駅前で、「フィールドスタディ」のみなさんと合流。
スタッフの方々もいれて、25名ほどの関西各地とその他から参加された人たちとマイクロバスに乗り込みました。

 講師は犬養光博さん 
 日本キリスト教団福吉伝道所の牧師として46年間筑豊に暮らしてこられた方。同志社大学在学中に、閉山炭鉱地区の子どもたちと過ごして卒業するとその足で妻 ともこさんと一緒に福吉に移住された。
この日の夜、宿舎で1965年ごろのNHKドキュメンタリーをみせていただいたが、大型トラックの運転手をしながら、夜は伝道所で子どもたちの勉強会や聖書を読む会をされていたようすに、頭が下がりました。今年3月に、妻ともこさんの意志を尊重して、長崎に移住されたそうです。
 犬養さんは、二日目の朝に「(筑豊を案内するのは)きょうを最後にするつもりです。」といわれた。「現場」にいなければできないことがある。筑豊で掘られているものをその現場にいるものが掘るしかない。
 
1炭鉱住宅の変化

炭鉱労働者たちの住宅は、炭住(炭鉱住宅)と呼ばれていました。
現存している炭住がバスの中から見えました。
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解体が決まったそうです (9月24日 読売新聞 )

田川市の松原地区に残っている炭鉱住宅4棟(計14戸)が近く解体されることになり、住宅をしのぶイベント「さようなら、松原炭住」が23日、既に解体された同地区の炭鉱住宅跡地で開かれた。かつて炭鉱に従事した人たちが集まり、石炭産業でにぎわった頃の生活を思い出しながら昔話に花を咲かせた。

 有志で作る実行委(村上博士代表、約15人)が市民に炭鉱住宅の記憶を残してもらおうと主催。会場では、同地区などで昭和30年代に撮影した炭鉱住宅などの写真パネル約30枚や、市内の二本煙突の手前に住宅がずらりと並んだ様子を描いた絵約15枚も飾った。元鉱員による体験談の披露や炭坑節の総踊りなどもあった。

 同地区の炭鉱住宅で20年以上暮らしていたという香春町の男性(79)は、「子どもの頃、炭鉱住宅の前でメンコやコマで遊んだ事が思い出されます」と写真を見ながら懐かしんでいた。

 同市にはピーク時、6130戸の炭鉱住宅があったといわれる。市は1973年から、空き家になった炭鉱住宅を解体。市営住宅への建て替えを実施している。ここ数年は歴史的価値が見直されたことなどから一時的に凍結されていたが、財政的な理由などから市は近く、解体に着手する。

http://kyushu.yomiuri.co.jp/local/fukuoka/20110924-OYS1T00341.htm


建て替えられて、市営住宅に。
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かつての炭鉱労働者たちは、今 生活保護を受けている人が多いとのこと。



2朝鮮人炭鉱殉職者の碑 「寂光

1975年、みかん箱にいれられた遺骨が発見された。包まれた布には金や朴と書かれていた。
寂光とは、お念仏の「常寂光土」- 常にやすらかな光に満ちた世界 -からとられたとのだが、なんだか寂しい気持ちがしました。安らかに眠られているだろうか、この地で。
 
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3田川市石炭歴史博物館

犬養さんが博物館を見学する前に、「朝鮮人の労働について記載があるか気をつけてみてください」といわれた。

入り口の「炭鉱公園案内図」には 真新しくA B C の表示が、貼り付けられている。
A 韓国人徴用犠牲者慰霊碑
B 田川地区炭鉱殉職者慰霊の碑
C 強制連行中国人殉難者 鎮魂の碑

以前は、表示がなかったそうだ。
前回、犬養さんが案内をされたとき、田川市議会議員の人が参加者におられ、その後要請されたそうだ。
以下のサイトには、表示のなかった案内図が掲載されています。
http://www.halmoni-haraboji.net/exhibit/report/201001fieldwk/page18.html




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韓国人徴用犠牲者慰霊碑 (1988年建立)



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碑の足元には、北を示す方位板が。魂が迷わず祖国に向かえるように。

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慰霊碑は、筑豊の地を見下ろす一番高いところにあります。
慰霊碑がみている筑豊の風景。



炭鉱歴史博物館には、朝鮮人の記述はまったくありませんでした。
世界記憶遺産に登録された山本作兵衛の絵や文章にも残っていません。
作兵衛さんの絵は、絵巻物のようで私ははじめから、違和感がありました。
まっくろな炭鉱夫を描かなかったのは、作兵衛さんの愛情だったのでしょうか。

私は、なんだか「近代化遺産」の大号令に鼻白んでしまいました。
犬養さんによると、博物館にあるように機械化が進んだのは大手の炭坑で、小ヤマといわれる中小炭鉱は明治時代のように人を機械のように使う状態が最後まで続いていたそうです。

帰ってきてから、上野英信の「追われゆく坑夫たち」を読んでよけいそう思いました。
昭和30年代の小ヤマの労働者たちの姿に驚愕しました。労働組合にも見捨てられて飢餓状態になっていたのです。

4日向墓地

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そこは、道路から小山に入ってしばらく歩いた場所にありました。
案内がなければこれない、表示板もなにもないところでした。


犬養さんは自分が死んだときはこの地に散骨してもらいたいと話されました。
日本人である犬養さんが、そこまで朝鮮人に心を寄せるのはどうしてだろうと思いました。

この地に朝鮮人が埋葬されたというのは、伝承しかなく、本当にこの石が墓石で、骨が埋まっているかは、わからないし、「この地には埋葬されていない」という証言もある。しかし、私はそういうことは関係ないと思った。ここでないにしても、数え切れない朝鮮人たちがこの筑豊で虐げられてなくなったという事実は、変わらない。どの地であっても鎮魂の場所だと思う。そして、この石がそのシンボルなのであれば、私はここで祈りたいと。

このあと宿泊地 筑豊ハイツへ。九州の旅★筑豊編その3につづきます。

以下は、犬養光博さんが案内された 
「在日コリアン一世の炭鉱労働を学ぶ 下関・筑豊フィールドワークの旅」
  2010年1月14日(木)~16日(土)
の記録です。参考にさせていただきました。
http://www.halmoni-haraboji.net/exhibit/report/201001fieldwk/page00.html

こちらは、古絵葉書でみる三井田川炭坑。炭坑節の世界ですね。
http://www.asocie.jp/archives/fukuoka/tagawa/mitsui.html
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by anzu-ruyori | 2011-09-26 18:50 | 平和 自由 

九州の旅★筑豊編その1

2年ぶりに、九州にいってきました。
筑豊と太刀洗に。どちらも私が出会ったおばあさんにゆかりある土地です。

「筑豊」は、今まで私にはまったくなじみのないところでした。
8月のはじめ竹内浩三の幼馴染みの服部百代さんの訃報を知った翌日に、「炭鉱労働者のくらしと歴史を学ぶ旅IN筑豊」というスタディツアーの案内をみつけました。
服部百代さんは、三重県津市在住でしたが、昭和19年「奉仕隊」として筑豊の明治鉱業平山炭鉱で
働いていたことがあり、そのとき朝鮮人の少年に助けられたという話を伺ったことがあったのです。
「これは百代さんのかわりに筑豊にいけということか」と思い、休みをとりました。

百代さんの文章と短歌→http://blog.takeuchikozo.com/

「太刀洗」のことを知ったのは、訪問介護で伺ったおばあさんのおうち。
入院中の夫さんは「太刀洗飛行場」の軍曹でした。
戦闘機の空中戦の絵が壁にかけてあり、本棚にあった「太刀洗飛行場物語」(桑原達三郎著 1981葦書房)と「女子挺身隊甘木日記」(寺西マリコ著 1983 石風社)をお借りして読んで以来、一度 いってみたいと思っていたのです。
入院中の夫さんは、昨年年末になくなり、おばあさんもこの夏入院されたままです。

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往復夜行バスの九州行。京都駅発のバスに乗り遅れそうになるわ、台風の大雨で高速道路通行止めで、遅れるわ、どきどきでしたが無事関門トンネルを通りすぎました。
スタディツアーの集合地点は「JR田川伊田駅」なので、高速バスを小倉で下車。

お電話で連絡していた「在日人権資料センター」へ地図を頼りに向かった。

在日大韓基督教会 小倉教会は、崔昌華(チォェ チェンホア)牧師の名前裁判や指紋押捺拒否の闘争の発信地であり、崔牧師が急死されたあと、人権資料センターとして開設されました。
早朝の訪問を歓迎してくださった朱文洪(チュ ムンホン)牧師と案内解説をしてくださった金貞子(キム チョンジャ)さんに、心から感謝します。
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崔牧師の人権獲得闘争の資料が主かと、予想していたら、筑豊で働いていた朝鮮人労働者の写真がたくさんあり、びっくりしました。ノンフィクション作家の林えいだいさんからの提供写真が多いとのことでした。
 まさに、金貞子さんのお父さんは、1934年に強制連行で九州に連れてこられた方でした。炭鉱住宅で育った金貞子さんは、仕事を終えた労働者たちが金つり(ふんどし)姿で、貞子さんの家の前に並んでいる光景を毎日見ていたそうです。お父さんの作るマッコリがおいしいので、労働者たちが真っ黒な体のまま、平てん一枚(酒のあて)を手にもって列を作るのです。貞子さんのお姉さんが、看板娘でお酒をひしゃくで汲んでいたそうです。

 
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サハリンから沖縄までの朝鮮人たちの苦難の写真をみて、知らなかったことの多さにびっくりしました。改めて、日本と朝鮮の歴史に向き合わなければいけないと思いました。
奥の部屋には、ナヌムの家のハルモニたちの絵の複製が展示されていました。亡くなられたハルモニの絵は、今も私に話しかけているようでした。

小倉駅に戻って、JRで田川伊田駅まで。一時間半ほどの列車の旅。車窓の風景と知らない駅名にわくわくしながら、はじめての筑豊へ。

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日田彦山線 田川伊田駅 





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←香春(かわら)駅からみえる香春岳。日本セメントの採掘場。
空からみると広大なクレーターがみえるそうです。
莫大な自然破壊の上に現代がなりたっている現実を突きつけられました。




↓田川伊田駅、かつて炭鉱の町としてにぎわったいたちょっとレトロな駅。
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幹線道路に面した長野写真館
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いよいよスタディツアーはじまり。筑豊編その2につづきます。
 

 
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by anzu-ruyori | 2011-09-26 11:33 | 平和 自由