逡巡のとりどり@京都


by anzu-ruyori
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京都市市長選挙★ 中村弁護士に一票!

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ロックなちらしやねぇ
「こっちのほうが、オモロイやろ★」

みんなで、選挙にいきまっしょい!



私は昨日、左京区役所で期日前投票してきましたよん。
不便なとこにですが、でっかい新区役所のまんまえが「畑」っていいよね。
畑よ いつまでもそこにあれ!

中村市長になれば、吉田の元区役所(昭和初期の建物)も活用されますよ!
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by anzu-ruyori | 2012-01-31 16:21 | 平和 自由 
「五月のように」さんより転載させていただきます。
http://www.h4.dion.ne.jp/~msetuko/tkozo/takeutisakuhin.html

なお、竹内浩三著 小林察編 「日本が見えない」(藤原書店)より
筑波日記 全文と写真版を参照させていただいています。

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1944年 昭和19年

2月1日
 朝は、演習であった。
 ひるからは、帰る準備。
 夜は早くねた。
 23時30分におきた。


2月2日
 0時40分に出発した。

 ねむりこんだ村を歩いた。

 夜ふけ、ふとんの中でふと眼がさめて、
おや、いまごろ兵隊が歩いてゆく、さむいことだろうと、
寝がへりをうつと云う身分になりたいものだ
と考えていた。

 5時ごろ乗車。車中、寝ていた。
 筑波は、うんと暖い。

 117のグライダーが空中分解して、田におちて、
6人の兵隊が命をなくしたと云う。地中へ1Mも入りこんでたと云う。


 注 117 
竹内のいた滑空機搭乗部隊が東部116部隊、
滑空機操縦部隊が東部117部隊と呼ばれていた。(小林察 「日本がみえない」より)

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「夜ふけ、ふとんの中でふと眼がさめて、
おや、いまごろ兵隊が歩いてゆく、さむいことだろうと寝がへりをうつ」

モノクロ映画のワンシーンのような「情景の浮かぶ一節」です。
行軍していても、浩三さんにはリアルな想像力が働いていたのですね。

117部隊には、「靖国合祀違憲訴訟」の原告 古川佳子さんのお兄さんが
在籍されていた部隊です。古川さんのお兄さんは、フィリピンへ向かう輸送船が爆撃されてなくなられました。
 松下竜一さんが著作『憶い続けむ----戦地に果てし子らよ』(1984年筑摩書房)で、古川さんのお母さんの痛恨の想いをその歌とともに、残されました。

 是れに増す悲しき事の何かあらむ亡き児二人を返へせ此手に
 忘れむと務めしことの愚かさよ憶ひ続けむ生きの限りを

古川佳子さんは、大阪府箕面市の「忠魂碑訴訟」のときから、竹内浩三さんの
「骨のうたう」を法廷で読み上げらておられ、その後、偶然の出会いから浩三さんの
姉、こうさんと出会われて、伊勢の集いにも足を運ばれています。
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by anzu-ruyori | 2012-01-31 15:59 | 浩三さん(竹内浩三)

脱原発市長を京都から★

京都市長選挙が、2月5日に迫りました!
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きょうは、あの山本太郎さんが京都にきてくださいました!

やっぱ、俳優さんってかっこいいですねぇ。
まじかにいても、おもわず見とれてしまいました、顔に。

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http://www.youtube.com/watch?v=_y0sW40WRXk&feature=youtu.be

http://www.youtube.com/watch?v=ooG3_zFWM9g&feature=youtu.be&a


勝手連ホームページ
山本太郎さんからのメッセージ
http://for-kyoto.net/message/yamamoto.html



私もちょっこし、マイクをもたせていただきました。
(仕事の合間の奇跡の一時間に自転車を走らせました、昼ごはんぬきで)

「脱原発市長が実現したら、世界中の抑圧や不平等や貧困と戦うすべての人々にとって、
信じられないような、希望のメッセージとなるでしょう! 

脱原発市長を京都から!

その力は、みなさん、お一人お一人にあります。どうぞ、選挙にいってください。
選挙権のない、在日朝鮮、韓国人の人たちの分まで、私たちの気持ちを届けましょう!」

朗読劇、ガザ希望のメッセージより、レイチェル・コリーさんの言葉を、お借りしました。

みんなで、見る夢はかなう!そうです。夢見てみましょう!
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by anzu-ruyori | 2012-01-29 23:42 | 平和 自由 
「五月のように」さんより転載させていただきます。
http://www.h4.dion.ne.jp/~msetuko/tkozo/takeutisakuhin.html

なお、竹内浩三著 小林察編 「日本が見えない」(藤原書店)より
筑波日記 全文と写真版を参照させていただいています。

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1944年 昭和19年

1月29日
 朝もひるも、夜も演習。
 仕事が時間を追ってくる。
 夜、肥料くさい畑の中をはいながら、きかん銃をひきずっていたら、
うしろの方で、見事な火事がはじまった。ひさしぶりでみる火事である。
 オルゴールを(2字不明)まきしたら、こんなことになるのではないかと思うように、
方々からカンコン、カンコン鐘がなりだし、あびきょうかんが、かすかにきこえた。
 寝たのは23時。


1月30日
 起きたのが2時。
 れい明攻撃であった。
 はげ山の原に、寝ころがっていた。こんな寒さは、はじめての経験である。
土に顔をあてて、ヒウヒウ泣いていた。
 朝の演習で対抗軍になったら、いねむりばかりしていた。
ひるから1時間半ほどひるねがあって、また、演習であった。
 点呼が早かったので、20時にはもうねていた。


1月31日
 朝は、特火点の中で対抗軍をした。銃眼から妙義山をみていると、
状況がはじまり、火えん発射器のの火がとんできた。
 ひるからは、兵器けんさで、夜はまた夜間演習であった。
風が出てきた。はるな山から、砂やら雪やら吹きつけてきた。

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極寒の中、きびしい演習が続いています。
浩三、泣いてしまいましたね。浩三、がんばって!

自転車で仕事の移動中、風に吹かれて寒いけど
(68年前の)今頃、浩三も相馬が原で冷たい風に吹かれている
と思うと、元気でる私です。
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by anzu-ruyori | 2012-01-28 22:39 | 浩三さん(竹内浩三)
「五月のように」さんより転載させていただきます。
http://www.h4.dion.ne.jp/~msetuko/tkozo/takeutisakuhin.html

なお、竹内浩三著 小林察編 「日本が見えない」(藤原書店)より
筑波日記 全文と写真版を参照させていただいています。

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1944年 昭和19年


1月27日

 0時半起床。
 星の下、北条駅にむかった。
 5時ころ乗車。車中、ポソニイの『今日の戦争』を読む。
 14時ころ高崎着。相馬ヶ原の廠舎まで、分解はん走で、3里。
 汗びっしょり、風呂に入り、ぜんざいを喰って、寝た。

1月28日
 
 朝も、ひるも、夜も、演習。
 きかん銃の銃身を背おって坂を行くとき、十字架を負ったキリストを考えた。

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1月27日から2月2日まで一週間 遠征演習。
5時に乗車して7時間の列車の旅。
(今は下妻→高崎 3時間くらいのようです)
 
読んでいたのは「今日の戦争」岩波文庫の赤本(昭和15年発行 50銭)

    京都府立図書館にありました!(ちなみに蜷川虎三元知事の旧蔵図書でした)

「今日の戦争 その計画・遂行・経費」
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著者ポソニー(オーストリアの軍事評論家)
訳 大内愛七  検索すると出てきました。
  たぶん、この方。軍人ですなあ。
http://homepage2.nifty.com/nishidah/pe04.htm

内容は、訳者大内さんの「訳者序lによると

 本書は近代戦争の技術的性質を説き、それを基礎として如何に多種多様の物資が
 必要であるかを論じ、その一々についてその需要数量を計算し、これにもとづいて
 戦争の準備と戦時の動員とを如何に計画遂行すべきかを論じたものである。

 前編 現代戦争の技術的性質 
   陸上戦/空中戦/防空/人員,運送及び資材の必要額/将来の見通し

 後編 戦時経済編成の問題
戦争経済学/戦争経済の補助手段/経済動員/合理的な戦争経済の要綱/


    

相馬ヶ原は、今も自衛隊の駐屯地。
「分解搬送」していたのは、機関銃か。
銃身を背負いながら、ゴルゴダの丘をのぼるキリストのような兵隊たち・・・。

「父よ 彼らをお許しください。自分がなにをしているのか彼らはわからないのです」と
つぶやいたりしたかな、
それとも「神よ どうして、私をお見捨てになったのか」といったかな。
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by anzu-ruyori | 2012-01-26 00:51 | 浩三さん(竹内浩三)
「五月のように」さんより転載させていただきます。
http://www.h4.dion.ne.jp/~msetuko/tkozo/takeutisakuhin.html

なお、竹内浩三著 小林察編 「日本が見えない」(藤原書店)より
筑波日記 全文と写真版を参照させていただいています。

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1944年 昭和19年

1月26日

 伊丹万作氏から、ひさしぶりで、はがきがきた。

 山口県大島郡白木村西方  服部方

 めずらしく雨であったが、すぐやんで、青空になった。

中村班長が外出の出がけに頭を刈ってくれと云い、刈ったことがあるかと云う。
刈ったことはないけれども、あると云って刈ってやった。云わなかったけれども、
顔をしかめていたから、大分痛かったのであろう。餅を一つくれた。

 ひるめしは、うごけないほど、喰った。その上、飯盒でおじやをつくった。

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伊丹万作氏とかいた文字が、ギザギザの吹き出しで囲まれている。
うれしかったのだろうな、浩三さん。

伊丹万作さんは、映画監督、脚本家。(1900ー1946)
代表作『国士無双』『赤西蠣太』

浩三さんが、この筑波日記をカタカナで書いていたのは「万作サンノマネデス」とのこと。

2008年公開の「母べえ(かあべえ)」(山田洋次監督、吉永小百合主演)の原作者が
黒澤明監督のスクリプターの野上照代さん。
野上さんも伊丹万作さんに師事されていて
昭和21年伊丹万作さんが、急死されたあと、遺品にあった浩三さんの手紙を読まれた。

野上さんが、浩三さんの姉こうさんに宛てて書かれた手紙を転載します。

「・・・私が女学生のころ、赤西蛎太という伊丹先生の映画を見てすっかり感心し、
それから伊丹先生に手紙を出し、ずっと亡くなられるまで文通して、また、可愛がって
いただいていたのです。
 ちょうど私が先生と文通しているころ、浩三さんもやはり部隊からお手紙だしていられた
らしく・・・・
 先日、伊丹さんの家にはじめていき、・・・浩三さんが、はじめて自己紹介をするといって
先生にあて長々とかいた手紙があったのです。・・・
 その長いお手紙をよみ、私はいっぺんで浩三さんをシンから好きになってしまったのです」(昭和22年12月)


野上さんは、ずっと浩三さんのことを映像化する企画をあたためておられています。
1987年には「色のない旗」というタイトルでシナリオを執筆されています。
山田監督は、「母べえ」の撮影のとき、輸送船のセットがとてもよくできていたので
「壊すのがもったいないなあ、これで竹内浩三のが撮れるに」といわれていたそうです。
(「伊勢人」2007年盛夏号より)

浩三さんが、伊丹万作さんに送ったたくさんのお手紙は今では行方知れずとなってしまいました。

伊丹十三記念館で「父と子 伊丹十三が語る伊丹万作の人と芸術」開催中!
http://itami-kinenkan.jp/exhi14.html
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by anzu-ruyori | 2012-01-24 23:16 | 浩三さん(竹内浩三)
「五月のように」さんより転載させていただきます。
http://www.h4.dion.ne.jp/~msetuko/tkozo/takeutisakuhin.html

なお、竹内浩三著 小林察編 「日本が見えない」(藤原書店)より
筑波日記 全文と写真版を参照させていただいています。

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1944年 昭和19年

1月25日

となりの杉原上等兵が、先発で4時ころ起きて出かけて行ったにもかかわらず、
ボクが大きな顔で寝ていて、なんの手伝いもしてやらなかったと云うので、
竹口兵長と佐竹上等兵が、あさっぱらからおこっていた。

17日の会報で、航空兵器の発明を募集していた。
その案がないでもないように中村班長に云っておいたのを、
今日、松岡中尉に云いにゆき、正式に発表することになった。
いざそう云うことになると、急に自信がなくなった。

一口に云えば、空中写真に、ズームレンズを付けると云うことで、
これ位のことは、とっくに人が考えているにちがいないし、
それをやらないところをみると、やる必要がないか、やれないからであろうけれども、
もったいぶった風で、その原稿書きに午前中をついやして、演習をのがれた。
わかりきったことを、くだくだ書いて原稿にしたものだ。

 ひるからは、軍装けんさの準備で、15時からけんさ。
それがすむと、松岡中尉に呼ばれて、その原稿を浄書して呈出と云うことになった。
とんでもない恥をかかねばよいが。

 明日は、水曜日で外出があるのだけれども、ボクは、出られない。
正月以来、1日しか欠かしていないからである。
明日はぜひとも十一屋で餅をよばれようと考えていたが、これもやむをえぬ。


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航空兵器の原稿書きのため、「演習をのがれた」浩三さん。

上官の「三嶋少尉」について

小林察さんの「恋人の眼やひょんと消ゆるや」(新評論 1985)に
記載があったので、転記します。

「三嶋氏によると、竹内一等兵は、兵器の操作こそ不器用であるが、陽気で愛すべき兵卒であった。
だから、4ヶ月の教育機関終了後は、なるべく中隊当番や使役にまわしてできるだけ演習には
出さなかったという。

戦後、フィリピンから帰還した三嶋与四治氏は、「人生劇場」「砂の器」などの
名プロデューサーとして松竹文芸映画の黄金時代を築く立役者となった。
竹内浩三とは、明暗を分った運命の皮肉である。」

三嶋さんは2002年になくなられているようです。
http://www.producer.or.jp/kaiho/kaiho-2002/kaiho-0207/kaiho0207-04.htm

直接、浩三さんのお話を伺いたかったです、残念。
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by anzu-ruyori | 2012-01-24 01:29 | 浩三さん(竹内浩三)
「五月のように」さんより転載させていただきます。
http://www.h4.dion.ne.jp/~msetuko/tkozo/takeutisakuhin.html

なお、竹内浩三著 小林察編 「日本が見えない」(藤原書店)より
筑波日記 全文と写真版を参照させていただいています。

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1944年 昭和19年

1月23日

朝から、事務室で、駒つくりであった。
これは又、気楽な仕事である。みんな演習で、はあはあ云っているのに、
すまないみたいである。
ひるからも、であった。
岡安から、いもの切干と餅とタバコをどっさり送ってきた。
ビーズ玉を糸をとおして、それが鉄条網であった。
作れとも云わなかったけれど、紙の家も作った。紙のトーチカも作った。紙の川も作った。

1月24日

 朝から、ビーズ玉つなぎであった。
 下士官室で餅をやかしてもらった。
 藷も餅もなくなった。あっけないものである。
じぶんの喰ったのは、その5分の1ほどであったであろうか。
 ひるからは、演習に出た。寒くて、体がふるえた。かぜを少しひいいている。
◎谷田孫平のデッサン
    ほこりをどうして、ぬぐおうともしないのか。
    そのきたない眼鏡の中にある眼がよろしい。
    じつにしずかな眼だ。この眼はうそを云わない。けんかもできない。
    むかし、能面師であったと云う。その次は医者であったと云う。
    今は、百姓で、孫平は農学校を出た。

 あしたは、27日からの廠営の軍装けんさで、
夜はその準備であった。なんの検査でも、けんさは、どうも好かぬ

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浩三さんは、芸術学部だったからか、こういう工作の仕事をまかされたのでしょうかね。
字は上手じゃないけれど、細かい作業が結構得意だったようです。

谷田孫平さんは、この後も日記にでてくる、印象的な戦友。
孫平さんは、生きて帰ってこられたでしょうか・・・。
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by anzu-ruyori | 2012-01-22 23:59 | 浩三さん(竹内浩三)
「五月のように」さんより転載させていただきます。
http://www.h4.dion.ne.jp/~msetuko/tkozo/takeutisakuhin.html

なお、竹内浩三著 小林察編 「日本が見えない」(藤原書店)より
筑波日記 全文と写真版を参照させていただいています。

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1944年 昭和19年

1月22日

 西部116部隊長の兵キけんさで。てんてこまひであった。
親類の倉をのぞきにきたような あんばいである。
 15時から落下傘の学科。

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 これだけのノートしたら、田中准尉に呼ばれた。
 仕事がはかどっていないので叱られるかと思っていたが、叱られなかった。
 竹内吾郎から、久しぶりでたよりがあった。南からであった。ぼくも、南へゆきたい。
 南海派遣沼8925部隊太田垣隊


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この落下傘のイラストいいですねえ。

純白の花負いて―詩人竹内浩三の“筑波日記”
(1978年) (理論社ノンフィクションシリーズ)
桑島 玄二 (著)の表紙に使われています。

この南からのたよりを読んで、こんな詩ができたのだろうか・・・。

南からの種子

南から帰った兵隊が
おれたちの班に入ってきた
マラリヤがなおるまでいるのだそうな
大切にもってきたのであろう
小さい木綿袋に
見たこともない色んな木の種子
おれたちは暖炉に集まって
その種子を手にして説明をまった


これがマンゴウの種子
樟のような大木に
真っ赤な大きな実がなるという
これがドリアンの種子
ああこのうまさといったら
気も狂わんばかりだ
手をふるわし 身もだえさえして
語る南の国の果実
おれたち初年兵は
この石ころみたいな種子をにぎって
消えかかった暖炉のそばで
吹雪をきいている

注: 樟=くすのき
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by anzu-ruyori | 2012-01-22 23:41 | 浩三さん(竹内浩三)
「五月のように」さんより転載させていただきます。
http://www.h4.dion.ne.jp/~msetuko/tkozo/takeutisakuhin.html

なお、竹内浩三著 小林察編 「日本が見えない」(藤原書店)より
筑波日記 全文と写真版を参照させていただいています。

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1944年 昭和19年

1月20日
 朝、かけあしで吉沼まで行った。
 ひるから、朝香宮殿下がこられた。
 田中准尉に呼ばれた。砂盤戦術の、駒をつくる用をおほせつかった。
厚紙のうらおもてに、赤と青をぬる仕事だけでおわった。

1月21日
 きのうのつづきの駒つくりであった。
 ひるからは、兵器の検査の準備やらなんやらであった。
 三島少尉に呼ばれて、ゆくと、こないだの演芸会で発表した「空の神兵」のかえうたは、神兵をぶじょくしたものであるから、今後うたうべからず、作るべからずと

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浩三さんのつくった「かえうた」って、やっぱりシモネタかなあ・・・。


「空の神兵」
作詩 梅本三郎  作曲 高木東六

昭和17年

1 藍より蒼き 大空に大空に
  忽(たちま)ち開く 百千の
  真白き薔薇の 花模様
  見よ落下傘 空に降り
  見よ落下傘 空を征(ゆ)く
  見よ落下傘 空を征く

帝国陸軍落下傘部隊を描いた 映画『空の神兵』の主題歌としても採用された

http://www.youtube.com/watch?feature=endscreen&NR=1&v=CL961cStuis

この『空の神兵』は、帝国陸軍第1挺進団の事実上の後身である陸上自衛隊第1空挺団(習志野)にも承継されており、同隊の事実上の隊歌として使用されている。富士総合火力演習などの降下展示の際に演奏またはBGMが流される。(ウィキペディアより)
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by anzu-ruyori | 2012-01-20 22:45 | 浩三さん(竹内浩三)