逡巡のとりどり@京都


by anzu-ruyori
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<   2012年 04月 ( 18 )   > この月の画像一覧

昭和19年
4月26日 【水曜日】

 一時間、起床延きであった。
 作業衣を着て、かけあしと称して散歩であった。
 田で蛙が鳴いていた。小学校には桜であった。

 飛行場の裏の松林へ来てびっくりした。兵舎のような建物が、
しらぬまに、しかもものすごい数で、新築されていた。
ただごとではない。一体なにをたくらんでいるのであろうか。

 ひるから、中村班長と、昨夜おとした薬きょうをさがしに行った。
すぐ見つかったので、昼寝をした。
二十九日から外泊があるけれども、ぼくは、一度帰ったからもう帰れない。

 あれも書こう、これも書こうと考えている。
この手帳を、さて、あけてみると、なにも書けなくなる。
まるで恋人の前へ出たように、うまいことばが出て来ない。

 雨曇り  故里はいま 花ざかり

4月27日 【木曜日】

 ばかばかしいほどよい天気であった。
 裸になって角力をしたが、負けてばかりいた。
 ひるからは、大隊の角力の競技会であった。
ぼくは応援団長で、旗をふっていた。うちの中隊はビリであった。

 たえず、ためいきをしている。

 気ちがいに、よくも、ならないものだ。

 故里にむかいて走る五月雲、これは近藤勇の句だと、ぼくは思いこんでいる。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「ただごとではない。何をたくらんでいるのだろうか」

「たえず、ためいきをしている。 気ちがいに、よくも、ならないものだ。」

このように思い、書くことだけで、「非国民」といわれた時代だろうに。


竹内浩三「筑波日記」は、
「五月のように」さんより転載させていただきます。
http://www.h4.dion.ne.jp/~msetuko/tkozo/takeutisakuhin.html

なお、竹内浩三著 小林察編 「日本が見えない」(藤原書店)より
筑波日記 全文と写真版を参照させていただいています。

http://www.fujiwara-shoten.co.jp/shop/index.php?main_page=product_info&products_id=510&cPath=177_222
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by anzu-ruyori | 2012-04-28 09:00 | 浩三さん(竹内浩三)
昭和19年

4月23日 【日曜日】

 検閲の演習があったけれども、その編成にもれたので、被服庫の使役と称してあそんでいた。


4月24日 【月曜日】

 ゆうべ夜間演習もあったので、全員1時間起床延きであった。

 角力の大会が近くであるので、その土俵つくりの使役に出た。
 一五時ころ終ったので、本部の裏の方で夕方まで昼寝した。

 四年兵の満期は、かくじつなものになっていたけれども、
 どうやら無しになったらしい。そのらくたんぶりは気の毒。

 営内に、新しい建物が立ちだした。背の高いのは、落下傘講堂だなど云う。

4月25日 【火曜日】

 ひるから、山砲中隊の検閲の対抗軍に出た。雨がすこし降っていた。

 夜も又、対抗軍であった。雨がひどくなった。
 まっくらになった。
 機関銃を据えて、状況のはじまるのを待っていた。ながいこと、ぬれて待っていた。
 おわった。

 雨がどしゃぶりになった。まっくらであった。
 細い田のあぜ道であった。たばこに火をつけたら、火に気をとられて足をすべらした。

 まっくらであった。
 どろ道であった。
 雨はどしゃぶりであった。

 前の方でも足をすべらせていた。ちくしょうと、つぶやいていた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

訓練が続く・・

竹内浩三「筑波日記」は、
「五月のように」さんより転載させていただきます。
http://www.h4.dion.ne.jp/~msetuko/tkozo/takeutisakuhin.html

なお、竹内浩三著 小林察編 「日本が見えない」(藤原書店)より
筑波日記 全文と写真版を参照させていただいています。

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by anzu-ruyori | 2012-04-21 01:09 | 浩三さん(竹内浩三)
昭和19年
4月21日 【金曜日】

 入隊式であった。
 ぜんざいが上った。
 酒が上った。まんじゅが上った。
 岡安から、小包がきた。「アサヒ」が入っていた。


4月22日 【土曜日】

 四十キロの検閲行軍であった。
 ぼくは、弾薬箱をかついだ。
 蚕飼の小学校で、15分休んだ。

 六キロ行軍になった。
 田町で休んで、めしになった。
 銃手と代って、銃身をかついだ。目まいするほど、苦しかった。
 高祖道で休んだ。
 また弾薬手にまわった。

 六キロ行軍であった。
 白い桜の花が、目の中でかすんだ。ドオランのにおいが流れた。
 ピカピカのアルミニウムのコップにミルクをと、考えつづけた。もうだめだと思った。

 沼田で休んだ。北条で休むかと思っていたら、休まず通りこした。
 一中隊が二度休むうちに、こちらは一度しか休まない。

 大穂の小学校で夕食であった。めしを喰ったら元気が出た。

 出発しはじめると、黒い雲が出てきて、雷がとどろいた。
 その辺一帯にうすぐらくなったのに、兵隊の頭の上あたりが、ばからしいほどに明るく見えた。

 雨になった。雨にまじって、○これほどの大きさの霰であった。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「岡安」は、浩三さんの亡母の姉。いつも心配してくれている伯母さん。

「アサヒ」はタバコだろう
http://www.lsando.com/oldcigarette/oldcigarette12.htm

「6キロ行軍」・・・これは1時間に6キロ歩くということで、途中「小休止」「大休止」があり、この休憩時間を含め ての1時間に6キロだから、歩くというよりほとんど駆け足に近い。
([50年目の日本陸軍入門](文春文庫)より)

弾薬箱や銃身を担いで、駆け足とは、「もぅ だめだ」と思うだろうなあ。
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by anzu-ruyori | 2012-04-21 01:02 | 浩三さん(竹内浩三)
「私が息を吸える場所はどこ?」

化学物質過敏症の早苗さんは、近所のゴルフ場の農薬散布で息ができなくなり、
母と二人で呼吸できる場所を探して車で旅にでる。

しかし農薬や排気ガスで発作を起こし、旅は困難を極める。
二人が辿りついたのは標高千メートル地点でのテント生活。
しかしそのテント生活も安全ではなかった。
また大阪の入江さん一家の長男紘司さんと次男茂弘さんは、
学校の無理解から重症の道のりをたどることになる。



大阪で上映があります 

2012年 4月 28日 (土曜日)
場所
阿倍野区民センター・小ホール(大阪市阿倍野区阿倍野筋4-19-118) (地図)
説明
交通:地下鉄谷町線・阿倍野下車 6番出口西へ1分
    阪堺電鉄上町線・阿倍野下車 西へ2分

上映:(1)10:00~12:00 (2)13:30~15:30
    (1)、(2)終了後監督・プロデューサートーク

    (3)17:30~ 講演 吹角隆之医師、18:00~ 上映

入場料:(1)(2)前売り1100円 当日1300円
    (3)前売り1500円  当日1700円

チケット予約:メール pfcjr772ba@yahoo.co.jp

携帯 090-1651-4496(担当 馬場)

主催:ビックリ・バン「いのちの林檎」大阪上映会
    TEL:090・1651・4496(担当 馬場)
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by anzu-ruyori | 2012-04-21 00:37 | 平和 自由 
4月17日【月曜日】

   寒雷や天地のめぐり小やみなし。

   北吹けば紅の花に霙降り

   春三月は冬より寒し

   菜の花や島を廻れば十七里
 
 めずらしく伊丹万作氏からはがき来て、そんな句が書いてあった。
 居所がまたかわっている。
  愛媛県松山市小坂町二三七 門田方

 てんてんと居所がかわっているのが、どう云うものか、ものがなしいことであるような気がした。

 宮崎曹長の正当番に命令が出た。

4月18日 【火曜日】

 弁当持ちで、演習であった。
 重たい弾薬箱をかついで、息を切らして小田城跡をかけのぼった。
 桜が、咲いていた。

4月19日 【水曜日】

 ものすごい雨の中を、外出であった。北条から、汽車で筑波へまわった。

 117の格納庫で、夜、「桃太郎の荒鷲」と「母子草」を見せてもらった。

4月20日 【木曜日】

 吉沼にいた初年兵が、入ってきた。

 夜、本部のうらで、きのうの映画をまた見せてくれた。
「クモとチウリップ」を云うやつがあった。これはよい。

 ひるめしのあとで、ラジオが、シベリウスのバイオリンコンチェルトを鳴らしていた。
すごいと思った。

 それでなくともせまい班内へ、十人も入ってきたから、ものすごいごったかえしだ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

伊丹万作さんからはがきがきた。
筑波日記の一冊目は、カタカナで書かれている。それは万作さんの影響。

松山の「伊丹十三記念館」では、企画展「父と子 伊丹十三が語る伊丹万作の人と芸術」
開催されている。


「桃太郎の荒鷲」は、1943公開のようです。アニメです。
ミュージカル風で作詞はサトーハチロウ

1945年公開の「桃太郎 海の神兵」がYOUYUBEにありました
http://www.youtube.com/watch?v=AOkzahUbiJk

「母子草」1942年公開 松竹映画 田坂具隆監督 

「クモとチウリップ」1943年公開 秀逸なアニメーション。

http://www.youtube.com/watch?v=EH1v4vkUBt8

かわいい天道虫の女の子を、黒いクモがつかまえようとして、チューリップに隠れるという話なのですが、カンカン帽にハマキをくわえて唇のあつい黒いクモが、黒人のようで、ちいさくて白い天道虫が日本人の暗喩かとおもってみていたけれど、ウィキペディアによると

「公開時には監督官庁から、てんとう虫の女の子が白いことから白人、黒いクモを当時で言う南洋の土人と解釈された。大東亜共栄圏を築くため、日本が南洋の原住民と友好関係を築く必要がある時節に、日本人の味方とすべき南洋の土人を悪役として描き、可愛らしく描いた白人をいじめるという内容とみなされ、文部省の推薦を得ることが出来なかったという」

とのこと。

解釈はともかく、映像も音楽もとても素敵で、製作者の熱意が伝わる作品です。

シベリウスのバイオリンコンチェルト
http://www.youtube.com/watch?v=jPWpQE7v4bw

兵舎できくこの曲は、格別であったろう。
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by anzu-ruyori | 2012-04-19 11:07 | 浩三さん(竹内浩三)
昭和19年

4月15日 【土曜日】

 飯がすむと、さっそく林中尉が、部隊へ帰る用意をせい、8時のバスで帰ろうと云う。
えらいことになったと思ったら、よるは、又寝に帰るのだと云うので、安心した。

 部隊の動員室で、一日仕事をしていた。ひるめしの伝票がどこからも切ってなかったので、
喰いはぐれた。中隊へ帰ると、佐藤伊作君がめしを半分くれた。

 又、めしを食べそこなうといかぬと云うわけで、ぼくだけ一足さきに、吉沼へ飯の心配をしに帰ることになった。その途で、こないだの娘さんの家へよってみた。たまごを2つくれた。

 帰ってみると、飯はなかった。頼んで、すこしものにしたが、それだけでは足りそうもないので、米をもらってきて炊いた。おかずの肉と、帰り途にぬいてきたニラと醤油を入れて、うまいやつを作った。

 風呂にも行かず、火に当たりながら三島少尉とはなしをしていた。三島少尉の口は大きくて、紅く、よだれが絶えずそれをうるおしている。兵隊にはなく将校にある特権を、ぼくの前でふりまわしたがる。
 こちらが外に出られないと思って、ちょっと出て、十一屋の女中さんでも、からかってこようか、竹内お前も一緒に行くか、しかし、お前は出られんであかんのう。

こんなたぐいである。あほらしなったり、くやしなったり、する。


4月16日 【日曜日】

 非常呼集のラッパが鳴った。けれども、こちらは状況外であるので、寝ていた。
起床ラッパが鳴っても寝ていた。

 今日はいよいよ帰る日である。
 そこには、絶えず、銃や剣ががちゃがちゃなっていた。
 そこには、絶えず、怒声があった。
 そこには絶えず、勤労があった。
 そしてすべてが活気よく、
 ワッワワッワと音を出して、規則によって動いていた。

 その音が、飛行場をよこぎり、麦畑をわたって、ここまで流れてくる。
 その中へきょう帰る。
 ぼくは、目をとじる気持ちであった。飯もうまくなかった。

 その飯が、この上もなくうまくなった。
 又、電報で西部の部隊に天然痘が出た。「
 カクリヲナオ一ソウゲンカクニシ、二九ヒマデヤレ」と。

 二十九日までここに居ることになった。
 そこへ、小林曹長が来て、すぐ帰れと云った。
なにをまぬけたことを云っているのであろう、と思った。そのことを云うと、困った顔をしていた。

ざまみろと思っていると又来て、軍医大尉どののゆるしを得てきた、お前らはここに居ても、もう用事はないのだから、帰れと云った。ぼくは、ふたたび、目をとじた。

 吉沼村に移動演劇隊の慰問が来ていた。
米の供出が特別よかったからとのことであった。それを見ながら、ゆっくり帰ろうではないかと曹長が云った。見たくもなかったが、たとへ一分でものびた方がよいので、よろこんだ。

 帰り途、畑にはたらいている娘さんがあった。
その様子が、とおくから見ていても、非常にきれいであった。曹長は、なかなか女好きと見えて、なにやら冗談を云いながら近寄った。

ふりかえった。その首にちかりと光ったもの。銀の十字架であった。

 とうとうと流れている水も、ながめているとなかなかものすごいが、飛び込んでみると、さほどでもない。

と同じことで、中隊のわずらわしさも、さほど苦にならぬ。

・・・・・・・・・・・・・

小学校での別動作業が終わり、本隊に戻る。

移動の連絡に一喜一憂する浩三。命令に翻弄される一兵卒。

帰りに出会った美しい娘さんの十字架が印象的。映画的。浩三の妄想かな。
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by anzu-ruyori | 2012-04-19 10:05 | 浩三さん(竹内浩三)
昭和19年

4月14日 【金曜日】

 飯がすむと、子供のところへ遊びに行った。
 みんな集まってこいや。ぼくは、わけもなく、ただにこにこして、
ものも云わず、ただにこにこしていた。

やすをくん、たかしくん、ちえ子くん、とし子くん、えへへと笑って、たわいもない。

 この動員室の仕事も、きょうでどうやら片が付いたかたちで、ごくろうであったと云うわけで、林中尉が十一屋へ連れてってくれて、風呂に入らしてくれた。

 書きわすれたが、林中尉は動員室の親分である。非常にハンサムに見えることもあるし、猴類に似て見えることもある顔である。この人を知らない前から、なんとなく好きであった。

 十一屋の女中部屋で、古い「新女苑」を見つけた。ああ、昔。「ヴォーグ」に出てくるきれいなおんなの人よ。ぼくのたましいは、きみたちがすんでいた昔に、しきりとかえりたくなる。

 十一屋から帰ると、裁縫室で、酒とすき焼きであった。

ぼくはほかのことを考えていて、ことば少なであった。


 戦争のはなし、戦争のはなし。
まっち箱の大きさのもので、軍艦を吹っとばす発明がなされたはなし。

 いいか。いいか。
 みたみわれ。いいか。いけるしるしあり。あめつちの。さかえるときにあえらくおもえば。
 いいか。

  ぼくが汗をかいて、ぼくが銃を持って。
  ぼくが、グライダァで、敵の中へ降りて、
  ぼくが戦う。
  草に花に、むすめさんに、
  白い雲に、みれんもなく。
  ちからのかぎり、こんかぎり。
  それはそれでよいのだが。
  それはそれで、ぼくものぞむのだが。
  わけもなく、かなしくなる。

  白いきれいな粉ぐすりがあって、
  それをばら撒くと、人が、みんなたのしくならないものか。

 ものごとを、ありのまま書くことは、むつかしいどころか、できないことだ。
書いて、なお、そのものごとを読んだ人にそのまま伝えることになると、ぜったい出来ない。

 戦争がある。その文学がある。
それはロマンで、戦争ではない。感動し、あこがれさえする。

ありのまま写すと云うニュース映画でも、美しい。
ところが戦争はうつくしくない。地獄である。地獄も絵にかくとうつくしい。
かいている本人も、うつくしいと思っている。人生も、そのとおり。

 ことがらをそのまま書くには、できるだけ、そのことを行いながら書くとよい。
日記よりも、もっとこきざみに、つねに書きながら、そのことがらを行う。
「書いている」と云う文句が一番それである。

 この日記はどうかと云うと、ふるいにかけて書いたものである。書きたくないものはさけている。と云って、うそはほとんど書いていない。

 うそがないと云うことは、本当なこととは云えない。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

きょうも、子どもたちとオルガンをならしていたのだろうか。
筑波の子どもたちといるのが、浩三はうれしくてならないようだ。

「まっち箱の大きさのもので、軍艦を吹っとばす発明がなされたはなし」は原爆のこと?

そのあと、神教の祝詞?のような呪術的な言葉が続く

「いいか いいか みたみわれ。いいか。いけるしるしあり。あめつちの。
 さかえるときにあえらくおもえば いいか」

と、おもって検索したら、
これ万葉集でした。

御民われ生けるしるしあり天地の栄ゆる時にあえらくおもえば

 戦時、小学校で唱和していたという人もいるので、一般的だったようです。

作者は、海犬養岡麻呂(あまのいぬかいおかまろ)

意味・・天皇の民である私は、ほんとうに生きがいが
    あります。天地の栄える時世に生まれ遇わせた
    ことを思いますと。

 注・・験(しるし)=かいのあること。効果。
    あへらく=会へらく。出会う、遭遇する。

この歌を「いいか いいか」と自分にいいきかせていた浩三。

しかし 次につづく詩には、  

  わけもなく、かなしくなる

  白いきれいな粉ぐすりがあって、
  それをばら撒くと、人が、みんなたのしくならないものか

と、心情が綴られる。

 最後は、この日記について「うそは書いていない」が、「ほんとうのこととはいえない」と
複雑な気持ちが、こぼれている。
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by anzu-ruyori | 2012-04-14 10:24 | 浩三さん(竹内浩三)
昭和19年
4月12日 【水曜日】

 いよいよここを引きあげて、あしたは部隊へ帰らねばならない。
 夜、十一屋へ行った。

4月13日 【木曜日】

 唱歌室へ行って、オルガンをならしていたら、子供がどっさり集まってきた。

「空の神兵」をひいたら、みんなそれを知っていて、声をそろえて歌いだした。
自分も歌って、きわめていい気持になった。
そこへ、笠原房子に似た女の先生が入って来たので、ていさい悪くなって逃げて帰った。

 きょう、部隊へ引きあげるはずになっていたが、西部のある部隊に天然痘が出たと云う電報が来て、ここもその部隊から兵隊がきているので、ここへ来ているものが全部、隔離の扱いを受けることになって、帰り日がのびた。

軍隊は、こう云うことには馬鹿馬鹿しいほど用心深い。のびるなら、いくらのびてもそれは有難い。

 部隊へ公用で出かけた。
 よるになって、雨になった。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

部隊を離れての学校での宿営が、延長になって、ほっとしているようす。

「空の神兵」http://www.youtube.com/watch?v=sZwRg-rNnzs

オルガンをひく浩三さんの笑顔がうかぶ。

笠原房子は、不明?女優か?



竹内浩三「筑波日記」は、
「五月のように」さんより転載させていただきます。
http://www.h4.dion.ne.jp/~msetuko/tkozo/takeutisakuhin.html

なお、竹内浩三著 小林察編 「日本が見えない」(藤原書店)より
筑波日記 全文と写真版を参照させていただいています。

http://www.fujiwara-shoten.co.jp/shop/index.php?main_page=product_info&products_id=510&cPath=177_222
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by anzu-ruyori | 2012-04-12 10:21 | 浩三さん(竹内浩三)
昭和19年

4月9日 【日曜日】

 満州から来た兵隊にもらって吸ったタバコ。きょっこう。REVIVAR。大秋。
 たそがれて、うすぐらくなった。
 唱歌室で、オルガンをならしていたら、三島少尉に見つかった。

4月10日 【月曜日】

 部隊へ公用で出かけた。

 十一屋書店でコーヒーをよばれて、道草を喰った。
 腹いっぱい道草を食べてやろうときめた。

 畑でニラをぬいて、ポケットに入れた。
 卵でも買う気で大砂にまわってみた。卵はないか、卵はないかとまわった。
みんないないので、どうかわからないのですと云うのが、17,8の娘さんであった。
 ここで油を売ってやれときめて、あつかましくも腰をすえた。
ひなにまれなとでも云うのであろうか。
ぼくの尻は重いのであった。娘さん相手に気げんよく、だぼらを吹いていると、
ものすごい音がした。
 外へ出て見ると、麦畑の中で飛行機が火を吹いていた。
わるいことでもしていたように、あともみずに逃げて帰った。
 と云うのはうそで、
 飛行きが落ちたのは、学校へ帰ってからであった。

 今夜は、いよいよ転属要員の合否を決める会議で、
その筋のえらい人人が裁縫室で徹夜じゃといきごんでいた。

 勝手にいきごんでくれ。 こちらは寝るわいと思っていると、
白い腕章をつけた連中、つまりぼく達なんだが、
それも裁縫室でつきあえと云う。とんでもないことになった。

 2時30分におわった。

4月11日 【火曜日】

 ゆうべ遅かったので、起床えんきであった。寝ながら起床ラッパを聞き、
飯ラッパを聞くのは、きわめて痛快なことである。

 よる、十一屋へ風呂へ入りに行った。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

きょっこうは、「極光」満州でつくられた軍用たばこ、銃を構える兵士のパッケージ。
REVIVARと大秋は、不明。

8日の「キンシ」もたばこ ゴールデンバッドが、時局的に 「きんし 金鵄」(金色のトビ)にかわった。
昔のタバコ博物館↓
http://www.lsando.com/oldcigarette/oldcigarette3.htm

10日の日記は、2時30分に夜勤が終わってから、書いたのだろうか。
娘さんと話ているときに、飛行機がおちたと「うそ」を書いたのは、シナリオ的に
そのほうが画になると思って、筆がすべったのだろうか。

11日は、起床延期 よかったね浩三。
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by anzu-ruyori | 2012-04-10 17:18 | 浩三さん(竹内浩三)
昭和19年

4月5日 【水曜日】

 北条へは、きょうはもう行かない。事務室に一日いた。
 よる、十一屋旅館へ風呂に入りに行った。
いんばいだと云ううわさのある女中どもと、冗談など云って、
長火鉢のところでうどんを喰った。

 九州へ行っていた部隊が、今日帰って来た。

4月6日 【木曜日】

 辻准尉が、ぼくの字の下手なことでおこっていた。
 よる、また十一屋旅館へ風呂に入りに行った。十一屋書店の方へもあそびに行きたいと思うのだが、そのころはいつも戸がしまっているので、具合がわるい。帰りに、あんこをたべた。

4月7日 【金曜日】

 雨であった。
 唱歌室へオルガンをひきに行った。
 事務室にいた。

4月8日 【土曜日】

 朝めしがすむと、オルガンをひきに行った。
 部隊へ公用で出た。
 十一屋書店の好意が五つの「キンシ」であった。
 雨あがりの道は、まるで泥海のようで、ぼくは自転車の上で汗をかいていた。

 辻准尉はぼくのことをぼろくそに云うのである。字はおどったような字であり、
こよりを作らすとふやけたみみずをつくり、電話をかけさせると、どもりさらす。
一向に役に立たんと云う。

 十一屋旅館へ風呂に入りに行ったが、めんどうくさくて、はいらずにあそんでいた。

 点呼がすんでから、裁縫室で蓄音機をならした。
 子供に聞かすレコードで、わりあい気のきいたのがあったけれども、
蓄音機がだめであった。なさけない声を出した。ファウスト、森の鍛冶屋、
森の水車、カッコウワルツ、そんなものであった。
国際急行列車と云うのは、はじめて聞いたが、ふざけている。
そしていろんなポルカがあった。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


竹内浩三「筑波日記」は、
「五月のように」さんより転載させていただきます。
http://www.h4.dion.ne.jp/~msetuko/tkozo/takeutisakuhin.html

なお、竹内浩三著 小林察編 「日本が見えない」(藤原書店)より
筑波日記 全文と写真版を参照させていただいています。

http://www.fujiwara-shoten.co.jp/shop/index.php?main_page=product_info&products_id=510&cPath=177_222
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by anzu-ruyori | 2012-04-10 16:43 | 浩三さん(竹内浩三)