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逡巡のとりどり@京都


by anzu-ruyori
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1945年2月16日に獄死した尹東柱の立教大学での追悼集会にはじめて参加することができた。
立教大学では、2008年から「詩人 尹東柱とともに」という集いを2月に開催されています。
礼拝堂は1919年落成で、2013年に建て替えられたものですが、たしかに尹東柱がこの場にいたことを感じて厳粛な気持ちになりました。

2024年2月18日(日)14時~
詩人尹東柱とともに・2024 @立教大学諸生徒礼拝堂

主催
詩人尹東柱を記念する立教の会
共催
平和・コミュニティ研究機構

  【第一部】追悼の祈り

聖歌「いつくしみ深き」日本語と韓国語
聖書 マタイによる福音書第5章第3節~11節 ← 八福(尹東柱)
教話 柳 時京司祭 (日本聖公会川口基督教会)
お祈り
詩の朗読
アリラン 合唱

  【第二部 公開講演会】 @8号館講義室

尹東柱の今日性 後期詩が伝える今日の課題について

講師 上野潤

上野さんは17日に京都芸術大学の追悼式に参加して、詩を朗読した学生の感想を紹介された。
「尹東柱の詩はまるで私ひとりに語りかけられているような気持ちになる」
上野さんはまさに、これは尹東柱の詩の本質だといわれた。
尹東柱の詩を読むことは、対話することだと。

1939年9月から1940年12月までの詩が残されていないことから、尹東柱の詩をこの時期を境に「前期詩」と「後期詩」にわけ、後期詩」の特徴である「光」と「闇」の対比、「原罪観」「救済観」「終末観」について、詩の文言から具体的に分析をされた。

上野さんは、尹東柱の同級生「柳 玲」(ユ ヨン)さんを恩師といわれて、びっくりした。
日本初の尹東柱詩集「空と風と星と詩」(1984 伊吹郷)には、柳 玲さんの「窓の外にいるなら、叩け」という鮮烈な詩が掲載されている。
その詩は1947年2月16日の尹東柱追悼集会で朗読されたものだった。

講演の最後に私は思い切って質問をして、柳玲先生からお聞きしている尹東柱の思い出を教えてくださいといった。
上野さんは、柳玲先生には孫のようにかわいがって頂き、とてもとても穏やかな方だったけれど、
尹東柱はそれよりも、ずっとずっと穏やかで、尹東柱がいることで、みなが穏やかになるような人だったと話された。そして、同じく同級生の文 益喚(ムンイッカン)さんは、尹東柱がいつも上履きのかかとを踏んではいていたという、ちょっと意外な面も話されたと紹介してくださいました。

講演会が終わり、外にでると風にながれる雲が青い空にみえました。

この日はアサイチ「平和記念展示資料館 シベリア抑留者の文化活動」
ヒルイチ「高麗博物館 ハンセン病と朝鮮人」の展示で学びました。
立教大学のあと、新宿南口「ラファに侵攻するんじゃないよ!スタンディング」に参加して新幹線で帰りました。

いや、そもそも 国分寺で竹内浩三の映画上映があるので上京したのでした。
立教大学にいけてよかった!
 
しかし、何回きても、東京なれんわ~ 
駅でうろうろして舌打ちされるのも、なんか、ちょっとうれしい(東京きたー!って感じ) 
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↑1920年の礼拝堂
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# by anzu-ruyori | 2024-02-19 12:59
那覇空港から羽田に飛ぶ。

なぜに? それは3年越しいやそれよりずっと前から行きたかった大切な場所に行くため。

まだコロナ時代の前でした。
染色家の斎藤洋さんが、全国各地で野染めをしておられ、
千葉県館山市の「かにた婦人の家」で野染めをするご縁ができたことをお聞きして、
それはぜひとも、おともさせてもらいたいと楽しみにしていました。

それが、コロナ時代に突入して延期延期の、いつのことやら~
で、3年。

斎藤さんから「かにた やっと決まりました」と連絡がきたのが、11月15日。
既に27日からの沖縄行の予定が決まっていたが、私に「かにたに行かない」という選択肢はなかった。

「かにた婦人の家」にかつて入所されていた城田すず子さん。
日本人女性として慰安婦被害を告白されている稀有な方だ。
城田さんの人生を知ったときから、1985年に建立された
「噫(ああ)従軍慰安婦」
の碑にいつの日にかお参りしたいと思ってきた。そのときが来たのだ。


沖縄4泊の予定を2泊に急きょ変更。飛行機のチケットを取り直す。
千葉県館山市へは、羽田空港から東京アクアラインでバスでいけることがわかり、
23時到着の満席のナイトフライト。羽田空港第一ターミナル内の「ファーストキャビン」に
宿泊。お風呂がうれしかった!
翌朝は、6時45分のバスで木更津→館山駅前8時30分着 
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      ↑羽田空港からの朝日

館山駅前で斎藤さんや京都から参加の蒔田さん、旧知のぺこさんと16歳の少年、
そして、かにた婦人の家とつないでくださったKさんと合流!

きのうは嵐のような天気だったそうだが、ゆっくりと晴れてくる気配が感じられた。

「かにた婦人の家」に併設されている通所施設「かにた作業所 エマオ」の利用者さんたちと野染めを行う。
作業所の外にでてきた10代から40代くらいの利用者さんたち、エプロンをつけている人もいる。彼らに斎藤さんが「おはよう!晴れたね~元気?一緒に染物やろうね!」と大きな声をかけていた。
作業所の所長 佐々木さんがKさんとご縁があり、きょうの野染めイベントとなった。
斎藤洋さんは、1965年16歳のとき、この「かにた婦人の家」の建設ボランティアとしてひと夏をすごしていたというのだ。
 
 ひろばに白い布がひろげられるところから、野染めがはじまる。
斎藤さんのトークが炸裂!「おにぎりマン」とか「メロンちゃん」とか絶妙な名前で利用者さんを呼び、みんなにオオウケ 大爆笑が続く!
沖縄から千葉へ 2022年11月30日_f0032106_23300068.jpg
刷毛をもつと、それぞれのこだわりのままに布にむかっていた。
うつむいて立っていた少年が、いつのまにかキラキラした目をして刷毛を動かしていた。
近くにいるけど、参加せずにいる男性もこの場にいるという選択をして、彼なりに参加しているのだと、次第にわかってきた。

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ちてきしょうがい だうんしょう かんもく はったつしょうがい じへいしょうなどと、名付けられ、地域や家庭で生きにくいことも多いだろう彼らが、毎日ここにきて、みんなといっしょにいて、同じことはしなくても、同じ場所で同じ時間をすごすことが、どんなに大切であるのかと思った。
この平和な時間がいつまでも続いてほしい。

なにより、彼らの笑顔に私が救われ、幸せを一杯もらいました。ありがとうございました。
また、会いましょうね。

おいしい昼食のあと、佐々木さんに園内を案内していただく。

山を登る坂道に畑ややぎ小屋や果樹園が続く。
その先に礼拝堂 鐘楼以外は手作り。
地下には亡くなられた方の写真とお名前の陶板 
ここで城田すず子さんの本名をはじめて知る。
「そう M Y さんだったんですね」と胸に刻む。
佐々木さんはいつも城田すず子さんの車椅子を押しておられたそうだ。
私が、どんな方でしたか?とお聞きすると
「さっぱりした気性の方でしたよ。いろいろお願いされて、できないことがあって、
それは出来ないんですというと 『あっそう』って 言われましてね」
と教えてくださった。
城田すず子さんと直接お会いしていた方のお話を伺えて感慨無量だった。


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「噫(ああ)従軍慰安婦」
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一緒に京都で慰安婦問題を取り組んできた蒔田直子さんと一緒にくることができてよかった。

最後に戦争遺跡を見る。
この地は「洲の埼海軍航空隊」跡 
戦闘指揮所として建設された地下壕が残されていた。

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館山駅から東京八重洲口行のバスに乗って、東京アクアラインから首都高で東京駅まで。銀座の安藤栄作展にかけつけた! 私は安藤さんの作品は木彫よりドローイングが好きなので、2点あり嬉しい。はじめて見るブロンズの作品は、一瞬「コルヴィッツがあるのか!」と思った。
 
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 初辺野古座り込み記念に、「うづくまる自由」とツーショット。
「座り込む」と「うづくまる」は違うけどな~と思いながらも。
 
うまい中華料理を食べて、新幹線で京都に帰りました。

11月27日~30日
沖縄~千葉~東京 我ながら、よく行きました。無事でよかったあ。
その後も疲れなし~110.png   
                           2022 12 14 記








# by anzu-ruyori | 2022-12-14 01:08 | 平和 自由 
初辺野古座り込みのあと、雨があがり辺野古の浜へ。

大宜味村在住のOさんが、来てくださり、埋め立て地がみえるところまで案内してくださった。

あれ、全然、できてへんやん と思った。
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それから、瀬嵩の美しい浜と貝殻たちを見て、安和と塩川の抗議活動の現場へ。

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沖縄行 その2 2022年11月28日~29日_f0032106_16324525.jpg
幟旗をもって歩く年配の男性が野武士のようでかっこよかった。
ゆっくり歩くことで、ダンプの入港を阻止している。
この抗議行動が朝7時から夜8時まで続けられている。
この地味だけど、過酷な抗議行動に、毎日参加している人たちに頭が下がる。
沖縄行 その2 2022年11月28日~29日_f0032106_21071943.jpg

夜は【ミサイル配備から命を守る市民の会】の発足集会へ。
わけも分からずいきましたが、行ってよかった。
予定されていた100人を超えて、続々と人が来てびっくりしました。
山城博治さんのウチナーグチを混じえての連帯の挨拶が嬉しかった。
何より、会則やアピール文への意見が会場からたくさんの出てくる様は圧巻で、
直接民主主義を目の当たりにしました❗沖縄すげーと思いました😄

11月29日の辺野古 キャンプシュワブには、サンタがいた。

沖縄行 その2 2022年11月28日~29日_f0032106_16332784.jpg
朝9時と12時の座り込みに参加。きょうは2回とも機動隊に排除されてみた。
椅子に座ってたら、排除しやすいなと思った。
ほんまに地べたに座り込んでうづくまってみたらどうなんだろう。

島袋文子さんも車椅子で参加されていた。11時くらいまでお話を伺った。
山城博治さんがリーダー。きょうは岐阜から10名くらいの人が来られた。

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                         ぐるぐるデモ


北部土木事務所での交渉で、名護に来ておられたKさんが辺野古にこられ
再会をよろこび、ヘヴンヘヴンで、昼食。
15年以上前に京都から移住されたKさんには、いつもいつも「沖縄に来てください」と
いわれてきたのに、こんなに月日がたってしまいました。ごめんなさい。

辺野古をあとにして、今帰仁に向かう。なきじん?

昨晩 うるま市の集会で私は見覚えのある女性に出会った。
「なんで、はじめて来たうるま市で知ってる人がいるの?」
少しして思い出した!「京大琉球遺骨返還訴訟の原告 亀谷正子さんだ!」
亀谷さんは、会場の一番前の席に座り、質問もしておられた。
集会が終ったあと、「京都から来ました。訴訟の傍聴にも参加しています~」と
ご挨拶するととても喜んでくださった。

 京大琉球遺骨問題とは、
 1928年~1933年、京都大学病理解剖学門下の金関丈夫と三宅宗悦により
 今帰仁運天にある「百按司墓」(むむじゃなばか)を含む沖縄県各地から、その子孫や門中および地域住民の了承を得ることなく、少なくとも、遺骨59体(金関)70体(三宅)を持ち出して、京都帝大および台北帝大に送付した。
 このご遺骨の保存状態や研究成果についての質問に京都大学は一切答えず、ご遺骨を閲覧することもさせないということで、裁判が行われいる。
 私は京大のそばに住んでいることもあり、提訴の前から京大への申し入れやアイヌ遺骨の追悼式や学習会に参加してきた。
  京大琉球遺骨返還訴訟 ←ここをクリック!

亀谷正子さんは琉球王朝時代の第一尚氏の子孫で「百按司墓」(むむじゃなばか)がその墓所である。

車のナビでは、運天の港(2019年3月ジュゴンの亡きがらが流れついた港)につれてこられたが、グーグルマップさんで「百按司墓」(むむじゃなばか)に辿りつけた!

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まさか来れるとは、思わなかった!
この壁は明治時代に骨がさらされるのは「見栄えが悪い」と、いわれ作らされたもの。

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お墓から見える運天の海 

お参りをして帰るとき、足元でガサッと動くものがあった。
おおきなオカヤドカリだった。昼間はでてこないものなのに、なんで?ここに?
第一尚氏の時代から命をつないでいるオカヤドカリかもしれないなと思った。

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旅から帰って、翌日!12月1日大阪高裁第2回公判へ。
             ↑公判後の報告集会 次回期日は2月9日14時~







# by anzu-ruyori | 2022-12-13 22:44 | 平和 自由 
初めて辺野古にいった。
米軍基地埋め立て反対の抗議行動。
10年以上前から平和運動をしている友人たちがよく沖縄に行っていて、
自分もいつかはと思っていた。6年前と 5年前には宮古島と与那国島に行った。

それでも、沖縄島の抗議行動に踏み出せなかったのは、心の奥で
『ほんまに、基地建設を止める効果があるのか? もう遅いんちがう?』
と思っていたからだ。
自分がやれることは少なすぎると感じていた。

それが、今回、休みを取って行こう!と思ったきっかけは、二つ。
10月に①ヒロユキの言動をネットで目にしたことと、②ウトロ平和祈念館に行ったことだ。
ヒロユキの人を貶める言動は嫌な気持ちがしたけど、少し同感するところもあった。
それは、ずっと座り込みしてるんじゃないところと、他の方法があるのじゃないかというところ。
運動のための抗議活動という気持ちがしていたから。

そのすぐあとのこと、生活クラブ生協Lコープ平和部の企画で【ウトロ平和祈念館】の見学会で初めて、ウトロ地区に足を運んだ。駅をおりて、記念館に向かう一歩一歩、足が重かった。
『今頃、何しに来たんや』と自分で自分を叱責しながら歩いた。
ウトロ地区はきれいに整地されて、新しい市営住宅が建ってた。
2021年に放火された住宅がそのまま残っていたが、人の営みが感じられるところは少なくなっていた。
【ウトロ平和祈念館】を見学し周辺をフィールドワークして熱い想いの解説をして頂いた。
今頃きたけど、ずっと差別と闘ってきた人たちの声に耳をすませていかなくてはならないと強く思った。

それで、やっぱり【辺野古に行かなあかん】という結論になった。

11月27日(日) 神戸空港に向かう。
一人で飛行機に乗るの緊張する。手順がわからない。ネット予約したけど、ほんまにとれてるのか、スマホ故障したらどうしよとか、大きなリュックは手荷物になるのか、ペットボトルは?などなど不安しかない。
無事に乗船、久しぶりに離陸の轟音、『死ぬ可能性』を確認する。
着陸したら、隣の席の兄ちゃんが上着を脱いでタンクトップになったので、ギョッとする。
沖縄まだ夏か?

那覇空港出口で、一足早く来ていたYちゃんの顔を見つけて、ホッとする。

最初に連れていってくれたのは、空港から車で15分ほどの海岸。
PARCOが建っている向いの浜【浦添西海岸】だった。
青い水平線と遠浅の干潟が広がる美しい浜。日曜なので子どもたちが網をもって干潟に入っている。カッブルが堤防に目転んでいる。長閑な光景が広がっていた。
空港からすぐのところに、こんな浜があるなんて、沖縄すげー!となる。

ところが、この浜を米軍の軍港にするという。沖縄県による埋め立て承認が出たのだと。
砂浜は、真っ白で様々な形のサンゴで一杯だった。靴下をぬいで海に入ってみる。小さな魚が泳いでいる。
『一番きれいなところを米軍はほしがる』とYちゃんがいった。
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  浦添西海岸の埋め立て反対署名 ←クリック!

佐喜真美術館や嘉数の丘 みちのえき嘉手納から米軍基地を初めてみる。
車窓には、いつまでも続くフェンスや緑の芝生で整備された基地。
米兵の姿は見えないが、本州の基地の無い場所とは大きく違うと感じる。
高速道路を走る観光客は米軍基地を実感しにくいのかもしれない。
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嘉数の丘にはトーチカや壕あともあった。丘に地下壕が広がっていて、それは住民や朝鮮人の労働によって作られたそうだ。

11月28日
辺野古の宿に泊まって、朝を迎える。
ラッパの音が聞こえる。
米軍基地の起床ラッパ。
ラッパの音で起きなくてはいけない兵隊のことを思って少し泣く。
浩三さんといっしょやん。
戦争、終わってへんやんか。

外は雨。激しく降っている。用意してきたカッパ上下のフル装備で傘をさして、
キャンプ・シュワブの工事車両の搬入ゲート前へいく。
宿から歩いて、5分ほどで歩道に設けられた小屋掛けが見えてきた。
折りたたみ椅子とプラカードの準備もある。
それらを持って、ゲート前の警備員さんが並んでいる前に、座るのだ。
警備員さんたちに『おはよーございます』と挨拶すると、頷いてくださる。
警備員の上司の人が、並んでいる部下たちの服装や姿勢をチェックしている。
軍隊式に整列して指先まで揃えて起立。
まるで、初年兵と上官のようだった。
『歯を食いしばれー』といってビンタされるんじゃないかと、デジャブ。
こんな仕事いややろーな。

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雨は降り続いている。
9時前から、抗議行動がはじまる。まずは歌、シュプレヒコール。
そうしてると、ダンプがやってくる。
ダンブの列 機動隊の兄ちゃんたちが黒いサングラスをして出てくる。
機動隊の兄ちゃんが「もう立ちましょうか?」「立てますか?」「立って歩けますか?」と聞いてくる。
見えない目に向かって、「立ちません」「戦争反対」という。
となりの人が立ったので、私も椅子とプラカードをもって立つ。
コロナ感染予防、非接触のため、激しい抵抗はしないとのこと。
それでも、立たずに4人がかりで、排除される男性もいた。
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ダンプが動きはじめるまで、ゲート前の警備員や機動隊にむかって、
「戦争あかんやん あなたたちも そう思ってるやろ 戦争するための基地を作らないで」
など 言わずにはいられない。


資材を積んだダンプがどんどん入っていって、そのあとゲート前でぐるぐるデモをして
抗議行動は終了した。

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はじめての辺野古座り込みの感想は
「見たり聞いたりしていたのと、実際に座り込むのとは、全然違う」ということ。

警備員の前の狭いところに座って見える景色や機動隊員の黒いサングラスや制服やダンプの大きさやらは、ここに座らないとわからない。

ひろゆき氏も高須氏も誰でも、辺野古に来たなら、ここに座って、ここから見て、
発言してほしいと強く思った。

座り込んでいて、忘れていたことを思い出した。
2007年2月に、大阪長居公園の野宿者排除阻止の行動に参加したときのこと。
私は段ボール人間になって、野宿者の段ボールハウスを壊す大阪市職員の前に立っていた。

詳細↓ 













# by anzu-ruyori | 2022-12-12 22:04 | 平和 自由 
4年ぶり二度目の【原爆の図 丸木美術館】へ行ってきた。(9月17日)

京都から同行の画家Aさんと東京在住の俳優Mさんと私、女性三人で東武東上線 東松山駅から小さなコミュバスにのって、「丸木美術館東」下車徒歩15分。

原爆の図は、静かに激しくそこに在った。
見覚えのある印象的な人物やモチーフの中に、「あれ、はじめて見るような・・・」と思える人物や情景を見つける。
作品が大きくて描かれているものが膨大な量なので、見過ごしていたものも多いことに、気が付く。
なんどでも、繰り返しみたい作品たちだ。

山形で巡回展示されている作品の代わりに【大逆事件】が展示されていたのは貴重だった。展示は4年ぶりとのこと。
1911年1月にくびき殺された大石誠之助 幸徳秋水 管野スガら11人の肖像が、くびき殺した縄の下に描かれている。 
絵をみて連想するのは、2018年に死刑執行されたオウム真理教の13人のことだった。
絞首刑が今この現在に存置されていることを、自分事として考えたい。

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  ↑「原寸大エノラゲイの操縦席」が、ロシアウクライナ戦争の影響で搬入できなくなり、新しく制作された「日系人収容所~原爆バラック」



【蔦谷楽はニューヨークを拠点とし、核の歴史的悲劇をテーマとして日米両国でのリサーチやインタビュー、またアーカイブの研究を通して、制作活動を続けてきた。核問題は日本で語られる物語とアメリカのそれでは大きく違うところもあれば、共通点もある。蔦谷はその両方に目を向け耳を傾け、国境を超えて共有されるべき物語を美術作品として構築しようと模索する。(ホームページより)】

はじめて知ったNY在住16年の蔦谷楽というアーティストさん。
日本初個展とのこと。学芸員の岡村幸宣さんが「他で(初個展)されたらくやしい」と思い、すぐオファーされたとのこと。

POPなイラストレーションや映像作品、人物を動物やゴルフボールにしたてることで、可愛らしさと不可解さが混在された世界。
1940年代のウラン採掘から原爆製造の物語が、語られる、アメノ国とか比喩的な名称と動物や昆虫に摸された人物によって描かれるうちに、「これは、過去の物語ではなく、SF? そして、未来予想か?」と思ったら、ぞっとした。
緻密な取材と調査とアメリカ在住であるからことの視点は、

「原爆の図」のリアルと「ワープドライブ」のメタファー この二つが同時にここ丸木美術館にあることの稀有さを実感してザワザワ およそ11時から15時まで滞在したが、まだまだ立ち去りがたかった。

詳細な評論 画像も多数 ↓


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           ↑暑い日でした。俳優Mさんと


2018年8月の丸木美術館訪問記→https://miteikou.exblog.jp/29985268/

# by anzu-ruyori | 2022-09-25 14:37 | アート