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逡巡のとりどり@京都


by anzu-ruyori
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4年ぶり二度目の【原爆の図 丸木美術館】へ行ってきた。(9月17日)

京都から同行の画家Aさんと東京在住の俳優Mさんと私、女性三人で東武東上線 東松山駅から小さなコミュバスにのって、「丸木美術館東」下車徒歩15分。

原爆の図は、静かに激しくそこに在った。
見覚えのある印象的な人物やモチーフの中に、「あれ、はじめて見るような・・・」と思える人物や情景を見つける。
作品が大きくて描かれているものが膨大な量なので、見過ごしていたものも多いことに、気が付く。
なんどでも、繰り返しみたい作品たちだ。

山形で巡回展示されている作品の代わりに【大逆事件】が展示されていたのは貴重だった。展示は4年ぶりとのこと。
1911年1月にくびき殺された大石誠之助 幸徳秋水 管野スガら11人の肖像が、くびき殺した縄の下に描かれている。 
絵をみて連想するのは、2018年に死刑執行されたオウム真理教の13人のことだった。
絞首刑が今この現在に存置されていることを、自分事として考えたい。

東京アート行  丸木美術館_f0032106_14030140.jpg

  ↑「原寸大エノラゲイの操縦席」が、ロシアウクライナ戦争の影響で搬入できなくなり、新しく制作された「日系人収容所~原爆バラック」



【蔦谷楽はニューヨークを拠点とし、核の歴史的悲劇をテーマとして日米両国でのリサーチやインタビュー、またアーカイブの研究を通して、制作活動を続けてきた。核問題は日本で語られる物語とアメリカのそれでは大きく違うところもあれば、共通点もある。蔦谷はその両方に目を向け耳を傾け、国境を超えて共有されるべき物語を美術作品として構築しようと模索する。(ホームページより)】

はじめて知ったNY在住16年の蔦谷楽というアーティストさん。
日本初個展とのこと。学芸員の岡村幸宣さんが「他で(初個展)されたらくやしい」と思い、すぐオファーされたとのこと。

POPなイラストレーションや映像作品、人物を動物やゴルフボールにしたてることで、可愛らしさと不可解さが混在された世界。
1940年代のウラン採掘から原爆製造の物語が、語られる、アメノ国とか比喩的な名称と動物や昆虫に摸された人物によって描かれるうちに、「これは、過去の物語ではなく、SF? そして、未来予想か?」と思ったら、ぞっとした。
緻密な取材と調査とアメリカ在住であるからことの視点は、

「原爆の図」のリアルと「ワープドライブ」のメタファー この二つが同時にここ丸木美術館にあることの稀有さを実感してザワザワ およそ11時から15時まで滞在したが、まだまだ立ち去りがたかった。

詳細な評論 画像も多数 ↓


東京アート行  丸木美術館_f0032106_14282886.jpg
           ↑暑い日でした。俳優Mさんと


2018年8月の丸木美術館訪問記→https://miteikou.exblog.jp/29985268/

# by anzu-ruyori | 2022-09-25 14:37 | アート

つくば行2021 

2年ぶりにつくばに行くことができた。
11月14日 下北沢での坪井美香さんによる朗読と音楽の【浩三さん 筑波日記】を見に行くことにして、
さて、翌日はどうしようと思って、『そうや 北條に行こう!』と思い立った。

北條までは、下北沢から小田急線に乗り、常磐線のりいれで、松戸駅でのりかえ。
北へ向かうにつれて、どこまでも続く関東平野に見とれていた。
(関西ではどこにいってもだいたい山が見えるからね。)
浩三さんは東京から離れていくのが、さみしかっただろうな。

土浦から関東鉄道バスで北條仲町下車。
連絡していた「北條ふるさと館」のみなさんが、待っていてくださった。

2年前は友人が車を運転してくれて、北條~部隊跡~吉沼~下妻を巡りましたが、
今回は、北條の方に自転車をお借りしました。

浩三さんのように、自転車で北條から作谷の部隊跡まで行ってみようとおもっていたが、
「ふるさと館」のみなさんが、「作谷までいったら遠すぎる!」と強くいわれるので、
吉沼まで往復することにした。道路地図で走りやすいところを指示してもらって、出発!
そして、奇跡のめっちゃ晴れ!寒かろうと着こんできたが、上着なしでOKでした!

北條➡君島➡若森➡大穂➡大砂➡西高野➡吉沼 と筑波日記に出て来る地名を辿る楽しさ。


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                筑波山を背に走る。君島付近
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  豊里中学への通学自転車だったので、ぐんぐん走ってくれました。

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                  浩三さんのころは、こんな道だったのかな~。君島橋付近
             
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                戦後の開拓地。ご苦労の末に「筑波芝」で成功。大穂

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               芝の収穫をされていました。大砂


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浩三さんが子どもたちとオルガンを弾いて歌った吉沼小学校

小学校近く 駄菓子屋さんか、文房具屋さん だったような気がする






十一屋書店さん 営業中 店内の写真はNGでしたが、1970年ごろ移転したまんまの昭和の本屋さんでした。なつかしすぎる~。

戦時中は原ケイシロウさんが妻と営業していて、兵隊さんにカルピスをおごってやったりしていたと娘さまよりお聞きしました。
宮沢賢治の文庫本を買いました。

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ホテル十一屋 この前が十一屋旅館だった 今は駐車場 
 
沿道に蔵元が。明治5年創業 吉沼米の霧筑波を購入。
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夕景 霧がたっていました 
 



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無事に暗くなる前に帰ってきました。田村呉服店(現ふれあい館)の前で。吉沼⇔北條 往復20キロ、約3時間半のサイクリングでした。















# by anzu-ruyori | 2021-11-21 18:56 | 浩三さん(竹内浩三)
竹内浩三さんの姉 松島こうさんは、その後半生を浩三さんを伝えるために生きたといえるが、
インタヴューや聞き書きなどが多く、その文章は多く発表されてはいない。
歌集が残されている。

1992年5月伊勢シティフィルハーモニー管弦楽団の定期演奏会のパンフレットに、
こうさんの文章をみつけたので ここに転載します。

「悲愴交響曲」に寄す 

 私は昭和57年、伊勢シティフィルハーモニー管弦楽団第1回定期演奏会よりの大ファンです。
今回、チャイコフスキーの「悲愴」が演目に入れられたことを聞きまして、胸に溢れる感激を覚え
ております。伊勢フィルの皆様によって、この曲が演奏される日をどれほど待ったことでしょう。
 伊勢市郊外の朝熊山金剛証寺奥の院、極楽門をくぐったところに、竹内浩三の「骨のうたう」の
詩の一節を刻んだ小さな詩碑が建っております。
 竹内浩三は大正10年、伊勢市(宇治山田市)吹上町呉服商竹内善兵衛の次男として生まれ、宇治
山田中学より、日本大学芸術学部へ進み、戦時繰り上げ卒業、久居の中部38部隊に入隊しました。
入隊の当日、出発の時間がせまりましても奥の部屋から出て来ませんので、呼びに参りますと、身体を
折り曲げるように膝を抱え込み、じっとレコードを聴いておりました。
チャイコフスキーの「悲愴」でした。
出発を促すと「姉さん、こんな音楽、もうこれからは聴けないのだから終楽章まで聴かさせてくれよ」と
申し、最終楽章までを聴き終えて出征して行きました。
彼は再び伊勢でこの曲を聴くこともなく、昭和20年4月9日比島で戦死いたしました。23才でした。
 
 伊勢の人は死んでから50年、岳(たけ)さんの上空に魂がとどまると伝え聞いております。
彼が世を去って47年。間に合いました。本当によかった。彼の最も愛した故郷伊勢で、彼のうまれた5月に、
伊勢フィルの皆様の演奏される「悲愴」を、朝熊山の上空でどのような思いで聴くでしょう。
 ありがとうございます。伊勢シティフィルの皆様、本当にありがとうございます。

(松島こう)  ← パンフレットにお名前の記載はありませんでした。


チャイコフスキー「悲愴交響曲」に寄す_f0032106_15272721.jpg

                            2008年5月 松島こうさん



# by anzu-ruyori | 2021-08-02 15:28 | 浩三さん(竹内浩三)
劇団石(トル)の「在日バイタルチェック」をみた。

済州島で生まれた女性の90年の人生が、ひとり芝居でくりひろげられる。
それは朝鮮人の歴史であり、日本人の歴史だ。
「ここで生きていく」私たちの歴史だ。

幸いなことにスタッフ「きむきがんと愉快な仲間たち」のひとりとして、お手伝いをすることができた。
劇団石(トル)の みなさんから聞く「在日」のリアルな現実が刺激的だった。
出会いと出会いそこないと _f0032106_00022433.jpg

記憶がよみがえる・・・

40年近く前のことだ。
私は大阪府堺市で府立高校に通っていた。

高校1年のとき、帰りの駅のホームで同級生の女の子が

「私、日本人と違うねん」といった。

「え? ちゅうごく?」と私はいった。

彼女は「韓国人やねん」といった。

それから、すぐ電車がきて、次の駅で彼女が降りるまで、私は何もいえなかった。

私はそのとき、「在日韓国人」という存在をしらなかった。
なぜ、韓国の人が日本に住んでいるのか、日本語を話しているか、知らなかった。

彼女は新井という名字だった。ニックネームは「ちゅー坊」(ドリフターズの荒井注から)。

それから高3まで、クラスは変わっても同じクラブでずっと仲良くしていたのに、
韓国の話は、それっきり一度もしなかった。

卒業して、2,3年してから、彼女から手紙がきた。
キリスト教を信仰して、すべてが解決した、救われたという長い手紙だった。

返信はしなかったと思う。
統一教会に入信したと、別の友人からあとで聞いた。


忘れていたけど、彼女の下の名前をふと思い出した。

友子だった。

今は、ウジャと 呼ばれているのだろうか。


「韓国人やねん」ときいて、そのとき、なんていえばいいのか、わからなかった。

「何人でも、ちゅー坊は ちゅー坊やん!」 と、いえたら よかったのに

と 今は思っている。

出会いと出会いそこないと そして いつの日にか 再会と。


劇団石(トル)と愉快な仲間たち  「人の値打ち」2020年秋公演 メイキング ↓






# by anzu-ruyori | 2021-02-14 00:04
梅雨が明けない7月27日 月曜日。
朝いちばんのバスにのり、京都から近鉄電車で伊勢にいきました。

9回目のお墓参り登山。
はじめては 2007年3月4日 ➡ https://miteikou.exblog.jp/4793592/

朝熊駅到着、午前9時40分。 
雨は降っていないが、今にも降りそうな空。

登り口の「であいの広場」で少し腹ごしらえをして、10時に登りはじめた。
下山してこられる早朝登山の人たちと、挨拶を交わす。


雨が続いていたので、「石ころの道」は、水が流れて川のようになっているところもあった。
長靴で来てよかった。湿度が半端ない。
朝熊山お墓参り登山 2020年7月_f0032106_23244446.jpg                
朝熊山お墓参り登山 2020年7月_f0032106_22215680.jpg






















  



↑1944年に廃止となった登山ロープウェイと廃線跡 


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↑この桜の木までくると、ほっこりする。幹の真ん中が空洞になっている。
途中、大きなミミズとマムシに遭遇!ヒルにも、ひっつかれた!

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↑山頂にあった旅館 「東風屋」(とうふうや)1964年焼失


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↑東風屋の遺構 浩三さんは中学時代にこの近くでキャンプをしている。


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↑奥の院入り口にある 竹内家の墓所 浩三さんのお墓と詩碑 


お墓についたのが、11時30分。これまでで、一番へこたれた登山だった。
雨が降ってきたし、山頂にも奥の院にもいかず、
お墓のお掃除もせず 13時04分の電車に間に合うように、傘をさしての弾丸下山。
行く先が雨にけぶって、南方熊楠が出会った森の妖怪が出てきそうな不思議な世界でした。

河崎 古書「ぽらん」に立ち寄る予定だったが、雨がきつくなっていたし、そのまま奈良方向に帰ってきました。
そのあと、室生口大野のギャラリー夢雲へ。

朝熊山のひぐらしをききたくて来たが、雨で鳴いていなかった。
そのあと、室生できくことができたけれど。

この夏のうちにもう一度きてみたいと思ってゐます。
ひぐらしのシャワーをあびたいから。

「ひぐらしのなきごえがこぼれてきた。
 こぼれてきて、こぼれてきて、ぼくは、びっしょりぬれていた。」(筑波日記 7月13日)










# by anzu-ruyori | 2020-08-04 23:10 | 浩三さん(竹内浩三)