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逡巡のとりどり@京都


by anzu-ruyori
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冬のお月見

冬のお月見 

友人からお月見のお誘いがあった。この寒空にと思ったら、

「室内なのでご安心を。ただし、一芸のご披露をお願いします。」とあった。


彼女のマンションは一階だ。月がみえるのかなあと思いながら赴いた。

 同世代の女性3人で、かす汁とおにぎりをたらふく食べ、それぞれの一芸に笑い、

 ひと段落して、「それではお月見をはじめましょう」と、彼女が部屋の照明を少し落とした。

奥の部屋からお皿にのった大きな黄色い丸いものをささげ持ってきた。

それは国内最大の柑橘類 「晩白柚(ばんぺいゆ)」だった。


小玉スイカほどもある晩白柚は、ほの暗い部屋でお月様のようであった。


「大きいね」「はじめて見た!」と子どものように大騒ぎして、写真を撮り、

「よっこいしょ」「よっこらしょ」

と三人で分厚いほわほわした皮をむくのも楽しく、

「おいしい」「さっぱりしてる」と大満足で頂いた。


 熊本の友人から大きな晩白柚が届いた彼女が、

 思い立った「冬のお月見」は大成功だった。


帰りに、マンションの最上階から雲間の月を見ることもできた。

楽しい女正月であった。




冬のお月見_f0032106_09144083.jpg


# by anzu-ruyori | 2020-02-23 09:18 | 日々ログ
電車に乗ると車窓の風景とともに、人物観察や言葉蒐集にワクワクする。
特に、大阪環状線や南海高野線では面白いことが起こる確率がかなり高い。

実家からの帰り、南海高野線の中百舌鳥(ナカモズ)駅で地下鉄に乗り換えるために下車したときのこと。
夕方4時ごろ、列車からホームにたくさんの高校生、制服の男女が下りた。
そして たいていが改札階に向かうエスカレーターの列に並ぶ
私の前の男子に、話しかけた女子がいた。

「あの」ポニーテールで小麦色の肌に大きな瞳が印象的な美少女だ。
「これ、忘れてない?」と水筒を手渡した。
恥ずかしそうでもなく、相手を見据えたまっすぐな瞳に私は惹きつけられた。

しかし、男子は「あ!ありがとう!」というと、
すぐ連れの男子に「よう忘れんねん 俺」と話して、エスカレーターに乗った。
そして、もうスマホのゲームに向かっていた。

女の子は、エスカレーターを立ち止まらず、歩いて登っていった。

私は前に立ったその男子の横顔をこっそり見る。予想通りしゅっとした男前だ。

男子たちは、彼女のことなどなかったように、それはそれは楽しそうに
スマホを片手にゲームの話を続けていた。

そして、おばちゃんの妄想はひろがる。

「あの女子は、ずっと前からこの男子のことが気にかかっていて、
きょう水筒を忘れたのは千載一遇のチャンス!
やっと話しかけられたのに~」

「あーあ 男子って ったく!」


誰か、これからはじまる少女漫画、描いてくれぃ~。







# by anzu-ruyori | 2019-11-13 21:58 | 日々ログ
毎月第一水曜日に、日本軍慰安婦問題、日本軍性奴隷問題のアピール行動をしています。
きょうは、自由について話しました 


あなたに、自由はありますか?

75年前、戦争中の日本で自由は制限されていました。
自由にモノが言えない。着たい服が自由に着られない。
自由に汽車に乗れない。自由に勉強ができない。

今、私たちは自由ですか?

この自転車 自由に 道に停められない。
小学校が廃校になって、子どもたちは遠い学校に通ってる
そのあとには、ホテルが建てられてる

税金がどんどんどんどん高くなる!

時間に追われて、仕事に追われて、
本当に自由に生きていますか?

今、名古屋のあいちトリエンナーレで、
展示中止となっている芸術作品があります

ヘイトクライムに屈して、表現の自由が制限されています

私は今、いいたいことをこのマイクで言える自由が、
なくなってしまうのではないかと、おそれています

この場所で、友人がヘイト発言をする人に暴力をうけました

今、配っている慰安婦問題のパンフレットを踏みにじる人もいました

でも、私はこの自由を失いたくない!

この自由がなくならないように、自由に声をあげ続けます

それは、1991年 キム ハクスンさんが、勇気をもって
慰安婦被害の当事者だと告白してくださったからです

慰安婦被害を受けた台湾の女性は、私にいってくれました

「今の日本は好きだ 今の日本人は悪くない 
 
お金がほしいんじゃない!謝ってほしい!

そして、こんなことが二度とないように教科書にきちんと書いてほしい」

今もこの日常に、性暴力があります。差別、抑圧、不平等、いじめ!

あなたのまわりにありませんか?

心の不自由さが、不寛容さが、
特に一番近しい人への暴力に向かうのではないでしょうか?

みなさ~ん 自由ですか?

みなさんの心は自由ですか?


日本軍慰安婦問題の街宣(水曜行動)@京都 _f0032106_21090570.jpg

# by anzu-ruyori | 2019-10-07 21:46 | 平和 自由 

九月、東京の路上で

自警団の写真をはじめて見た。朝日新聞2018年9月2日書評欄にて。
九月、東京の路上で_f0032106_23012012.jpg

子どもや女性も映りこんでいて、話し声が聞こえてきそうな写真だ。

東京 新大久保の
高麗博物館では、鮮烈な展覧会が開催されている。12月2日まで。

九月、東京の路上で_f0032106_22590831.jpg

ここで、私ははじめて坪井繁治の長詩に出会った。

    十五円五十銭

1923年9月1日 
正午二分前の一瞬
地球の一部分がはげしく身ぶるいした
関東一帯をゆすぶる大地震
この災厄を誰が予知したであろう

その日の明け方
物凄い豪雨がやってきた
それは地上にあるものすべてのものを
一挙に押し流そうとするほどの勢で降り続いた
すべてのひとびとがなお眠り呆けている中を
そこ眠りさえも押し流そうとするほどの勢で

   中略

東京の街々はいつ消えるとも知れぬ火の海であり
それを眺める群衆のわいわい騒ぎにまじって
僕は何を考えるでもなく
ただぼんやりと炎の大群団から眼をはなすことができなかった
火 火 火 …
ただそれだけの眺めなのに
僕の瞳はいつまでも
火の方へ吸いよせられていた

この火がおさまらぬうちに
はやくも流言蜚語が市中を乱れとんだ

ー横浜方面から鮮人が群をなして押し寄せてくる!

ー目黒競馬場付近に三四百もの[不逞鮮人]が集まって何か不穏な気勢をあげている!

ー鮮人が家々の井戸に毒物を投げ込んでいるから、飲み水に気をつけろ!

ー社会主義者が暴動を起こそうとしているから、警戒しろ!
これらの噂はいかにもまことしやかに
ひとからひとに伝えられていった


僕が友達の安否を気づかって
牛込弁天町の下宿を訪ねたとき
そこでもその噂でもちきりだった
その友と連れだって
僕らは壊れた街へ出た
ひとびとはただ街中を右往左往していた
それはまるで荒びたお祭りであった
しかもそのお祭り騒ぎを支配するものは
銃剣もって固められた戒厳令であった
僕らが矢来下から音羽へ通ずる橋の手前に
設けられた戒厳屯所を通りすぎると
ーこらッ! 待て!
と呼びとめられた
驚いて振りかえると
剣付鉄砲を肩に担った兵隊が 
ー貴様 鮮人だろう?
と詰めよってきた

僕はそのとき、
長髪に水色ルパーシュカを身にまとっていた
それは誰が見てもひと目で注意をひく異様な風体でった
僕はその異様な自分の姿にはじめて気がついて愕然とした
僕は衛兵の威圧的な訊問にどぎまぎしながらも
ーぅいいえ 日本人です、日本人です
と必死になって弁解した
かたわらの友人も僕のために弁じてくれた
そして僕らはようやく危い関所を通過した

僕は兵隊に呼び止められたときの恐ろしさよりも
その後の恐ろしさに魂までふるえる思いだった
ーこんなところでうろうろしていたら
いのちがあぶないぞー
自分で自分にいいきかせながら友と別れた

   中略

田端駅から避難列車に乗り込んだのは
九月五日の朝であった
ここでも野蛮な眼がぎょろぎょろ光っていた
ーこん中にだって、主義者や鮮人どもがもぐりこんでいるかも知れんぞ。
身動きもできぬ車中でのこの放言に
僕は胸のまん中に釘を打ちこまこまれる思いをし
思わずまぶかにかぶっている帽子のツバをさらに
まふかにひきおろした
髪が長いということが
社会主義者の一つのめじるしであったから

汽車が駅に着くたびに
剣付鉄砲がホームから車内をのぞきこんだ
怪しげな人間かもぐりこんでいないかと

あれは、いったいどこの駅だったろう
僕らの列車がある小さな駅に止まると
例の通り剣付鉄砲の兵隊が車内検索にやってきた
彼は牛のように大きな眼をしていた
その大きな眼で車内をじろじろ見回していたか
突然、僕の隣にしゃがんでいる印絆天の男を指差して怒鳴った
ー十五円五十銭いってみろ
指さされたその男は
兵隊の訊問があまりに突飛なので
その意味がなかなかつかめず
しばらくの間、ぼんやりしていたが
やがて立派な日本語で答えた
ージュウゴエンゴジッセン
ーよしっ!

  中略

国を奪われ
言葉を奪われ
最後に生命まで奪われた朝鮮の犠牲者よ
僕はその数をかぞえることはできぬ
あのときから早や二十四年たった
そしてそれらの骨は
もう土となってしまったであろうか
たとえ付くとなっても
なお消えぬ恨みに疼いているかも知れぬ
君たちを偲んで
ここに集まる僕らの胸の疼きと共に


君たちを殺したのは野次馬だというのか?
野次馬に竹槍を持たせ、鳶口を握らせ、
日本刀をふるわせたのは誰であったか?
僕はそれを知ってる
[ザブトン]という日本語を
[サフトン]としか発音できなかったがために
勅語を読まされて
それを読めなかったがために
ただそれだけのために
無惨に殺された朝鮮の仲間たちよ
君たち自身の口で
君たち自身が生身に受けた残虐を語れぬならば
君たちに代わって語るものに語らせよう
いまこそ
押しつけられた日本語の代わりに
奪いかえした
親譲りの
純粋な朝鮮語で

1947年8月
坪井繁治全集第一巻
……………………

この詩は、解放後第一回の震災記念日に開催された朝鮮人犠牲者追悼集会のために書かれた。
[朝鮮の仲間たち]へのアピールで終わるこの長詩は、当日、新劇の俳優が朗読して深い感銘を与えた。[朝鮮新報 2006 10 26]

高麗博物館で全文のコピーを頂きました。

95年前の日本の蛮行を今に繰り返さないために、関東大震災の事実と真摯に向き合いたい。






















# by anzu-ruyori | 2018-09-04 22:57 | 平和 自由 
8月の暑い日に、埼玉県東松山市にある「原爆の図 丸木美術館」に、はじめていってきた。

池袋から東武東上線にのり「東松山」で下車、それからバス。バスを降りてから徒歩15分のところを私が道を間違えて、
30分くらい歩き回ってしまった。東京にくるといつも、道にちょっと迷う、いつもは土地勘がいいのに。

原爆の図 丸木美術館 にいってきた_f0032106_22554118.jpg

「原爆の図」をみるのは、2度目となる。
1984年7月に「原爆の図」の展覧会が京都市美術館であった。
私はその日、友人と海水浴にいっていてその帰り、閉館まぎわにいそいで見て回ったような気がする。
そのときの印象は「大きい」「黒い」「怖い」そして、「威圧感」を感じた。

34年ぶりに「原爆の図」をみて、その印象はくつがえされた。

2階の展示室に、入っていく 

原爆の図 第一部「幽霊」第二部「火」第三部「水」第四部「虹」第五部「少年少女」第六部「原子野」第七部「竹やぶ」第八部「救出」の8作品が、大きな展示室に展示されていた。

私は 「あれ、そんなに大きくなかったんや」と思った。
そして、威圧感もなかった。

とても きれいだと思った。俊さんの描いた人の体の線の美しさ、位里さんの大きな筆跡の意志ある力強さに、目が離せなかった。
「黒い」とおもっていたが、色鮮やかだった。

第八部「救出」の兵隊さんたちは、たくましくカッコよかった。

1948年から描き始められた「原爆の図」は、なにか昔の歴史画のようにおもっていたが、そうではないとわかった。

「原爆の図」は、今もとても刺激的で力強い。ぜひ、また「原爆の図 丸木美術館」を訪れたいと強くおもっています。

駅前の観光案内所で「𠮷見百穴(よしみひゃくあな)」の地下軍需工場跡のことを知ったので、
次回はこことセットで訪問します。

原爆の図 丸木美術館 にいってきた_f0032106_08061699.jpg




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     ↑ 当時のチケット 堺町画廊さんでみせてもらいました!










# by anzu-ruyori | 2018-08-11 08:43 | 平和 自由 

茗荷 みょうが

哲学の道のちかく
知らないおじさんに茗荷をもらった。
そのへんに出とった と。

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花まで咲いて、冷奴にのせて頂いた。
野趣で、とても美味。
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山尾三省さんの詩を思い出す


これは

地のもの逹の文化であり 文明であり

核兵器を作る人達や
原子力発電を作る人達への
捧げものではない


……………………………………………………………………

   大根おろし

畑には 大根が太っている
その大根を引き抜いて
大根おろしを作る
藍色のさらさもようのある お皿に入れて
しょうゆをかけて
それだけで 食べる
これは

地のもの逹の文化であり 文明であり

核兵器を作る人達や
原子力発電を作る人達への
捧げものではない


    つわぶきの煮つけ

野には
つわぶきの新芽がのびている
その新芽を引きぬき集めて
うす皮をむき
シイタケや油アゲといっしょに煮つける
藍色のさらさもようのある お皿に盛りつけて
やっと春になった と
にこにこしながら 食べる

こんなおいしいものは
この世にまたとない

これは

地のもの逹の文化であり 文明であり

核兵器を作る人達や
原子力発電を作る人達への
捧げものではない

   山尾三省詩集 びろう葉帽子の下で より

# by anzu-ruyori | 2018-07-17 17:03 | 日々ログ
2018年2月7日水曜日 日本軍性奴隷問題の解決を求める水曜行動に参加しました。

日本軍性奴隷問題 水曜行動 2月_f0032106_19532628.jpg
                             photo by Toshiya Morita

きょうのスピーチ 


私は左京区に住んでいるあんずといいます。 

毎月一回 ここで日本軍慰安婦問題の解決を求める街頭活動に参加しています


アジア太平洋戦争は、1945年に終わりました。

73年前となります。そんな昔のことをいっても仕方がないという人もいます。

でも、私はこの日本が戦争をしていたということを、忘れてはいけないと思います。

忘れると、同じことが繰り返されるからです。

ここ、京都にも72年前の今頃は、爆撃がありました。

私は訪問介護の仕事をしているので、高齢の方から戦争中のお話をたくさんお聞きします。

軍需工場で働いていた、コメの買い出しにいった、爆撃機におそわれた、お父さんが戦死したことなど、お聞きしました。


お話くださる方も、高齢ですから、直接 おききできる最後のときだと思っています。


そして、戦地では、「慰安婦」と呼ばれる女性たちが、いました。

私がお逢いした 韓国の カンイルチュルさんは、15歳のとき、警察に連れていかれて中国で「慰安婦」とされました。

戦争が終わっても帰ることができず、中国の病院で看護師として働いて、家族も持たれました。


カンイルチュルさんが、韓国に帰ることができたのは、2000年です。

戦争がおわって、55年も故郷に帰ることができなかったのです。

帰ったときには、家族は誰もいなかったといわれました。

今は、「ナヌムの家」というグループホームにおられますが、畑仕事をしておられます。



カンイルチュルさんは、私に「ずっと仕事をもって働きなさい」といってくださいました。

看護師として、誇りをもって働いてこられたからこその言葉だと思います。



私はこの間、ある性暴力被害にあわれた女性から、

日本軍「慰安婦」被害者のソンシンドさんの「俺の心は負けてない」という言葉に

力づけられたという話を直接 お聞きしました。


ソン・シンドさんは昨年、12月16日に亡くなられました。96歳でした。

慰安婦被害を名乗り出た日本で暮らすただ一人の女性でした。

ソン・シンドさんは、望まない結婚から、のがれてきたところを、仕事があると騙されて日本軍慰安婦にさせられました。

戦後、宮城県の女川でくらし東京の支援団体の協力で日本政府に謝罪と賠償を訴える裁判を提訴されました。

結果、慰安婦被害があったことは認められましたが、40年以上経っていたため訴えは、棄却されました。



ソン・シンドさんは裁判にはまけたけれど

「オレのこころは負けてない」

と力強くいわれました。


その言葉に、性暴力の被害を受け、裁判を戦っている女性が、力づけられたのです。


今、この日常にも、性暴力の被害にあっている女性や男性がいます。子どもたちがいます。

昨年、ハリウッド女優が性暴力を告発して、「Me too]というハッシュタグが、広まりました。

日本でもたくさんの「Me Too」があります。

私たちのまわりにも性暴力や抑圧、差別やいじめがあると思います。


70年前「慰安婦」とされた女性たちの証言と日本政府への謝罪と賠償を求める行動は

今の性暴力被害をうけた人たちを勇気づけるものでもあるのです。


2015年の日韓合意は、朴大統領と安倍首相との合意にすぎません。

アメリカ政府の意向が強く反映しているといわれています。


当事者である被害女性たちには、なんの相談もなく決まりました。

被害女性たちがもとめていたことは、何も合意されていません。

被害女性たちは、「二度と私たちのようなことがないように、教科書に記述すること」を強く求めていました。

今、日本の教科書に日本軍「慰安婦」の言葉はありません。


日本政府の誠実な対応を、私たちは求めています。


どうか、日本軍慰安婦問題を自分事として、関心をもってください。




















# by anzu-ruyori | 2018-02-08 20:02 | 平和 自由 

小川未明の野ばら 

小川未明の野ばら _f0032106_00215122.jpg
ここは都からとおい、国境こっきょうであります。
そこには両方りょうほうくにから、ただ一人ひとりずつの兵隊へいたい派遣はけんされて、国境こっきょうさだめた石碑せきひまもっていました。
おおきなくに兵士へいし老人ろうじんでありました。そうして、ちいさなくに兵士へいし青年せいねんでありました。



   毎日顔をあわせていたふたりは次第に仲良しになっていきます。
   日がな一日将棋をしたり、同じ風景をみて心穏やかにすごしていました。
   ところが・・・


やがてふゆって、またはるとなりました。ちょうどそのころ、この二つのくには、なにかの利益りえき問題もんだいから、戦争せんそうはじめました。そうしますと、これまで毎日まいにちなかむつまじく、らしていた二人ふたりは、てき味方みかた間柄あいだがらになったのです。それがいかにも、不思議ふしぎなことにおもわれました。

「さあ、おまえさんとわたし今日きょうからかたきどうしになったのだ。わたしはこんなにいぼれていても少佐しょうさだから、わたしくびってゆけば、あなたは出世しゅっせができる。だからころしてください。」と、老人ろうじんはいいました。

     
    青年は、仲良しになった老人を殺すことなんてできません。
    戦争をしている北のほうに、いってしまいました。
    ひとり残った老人は、毎日青年のことを案じながらすごしていました。 

   小川未明「野ばら」より
  
    つづきは、青空文庫「野ばら」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

息子の公演が、近づいてきた。
題名は「未明」大正から昭和のはじめにかけて、活躍した童話作家、小川未明の作品がモチーフ。

「野ばら」を読んで、少しびっくりした大正時代にかかれたのに、まるで今の政情を暗示しているような寓話だ。
そして、20代の人たちがこれを選択したことに、複雑な気持ちがしている。
大正時代が大戦の狭間、日中戦争前夜であったように、今もそのような気配を彼らは感じているのだろうか。






【公演情報】
ユバチ#3『未明』

構成・演出:田中史明
演出・出演:飯坂美鶴妃、小倉笑、菅一馬、前田愛美、柳泰葉

原作:小川未明

日時
2018年
1月13日(土)15:00、19:00
1月14日(日)14:00
*開場は開演の20分前

会場
京都芸術センター

詳細
http://www.gekken.net/actorslabo/cn31/pg647.html


# by anzu-ruyori | 2018-01-12 00:17 | アート
毎月第一水曜日は、日本軍「慰安婦」問題の水曜日行動 

今月1月は、第二水曜になりました。

ことしから、毎月の行動のとき、スピーチしようと思います。

日本軍「慰安婦」とよばれた女性と私 _f0032106_23025147.jpg
                                         PHOT by Toshiya Morita

2018 1 10のスピーチ原稿

こんばんは

私は左京区に住んでいるあんずといいます。 

毎月一回 ここで日本軍慰安婦問題の解決を求める街頭活動に参加しています。

以前、私はここで若い男性に「どうしてこんなことをしているのですか?」と
尋ねられたことがあります。

いま、ここを歩いておられるみなさんもそう思ったり、邪魔だなとか、
自己満足だなとか、自分には関係ないと思っておられるでしょう。

でもわたしには、日本軍慰安婦問題は関係あるんです。

私がはじめて日本軍慰安婦のことを知ったのは高校の図書館です。
40年くらい前です。

朝日グラフの太平洋戦争特集でした。

1ページ分の女性の大きな写真がありました。

明るい日差しの屋外で白い上質な西洋式のかわいらしい下着姿の女性が
カメラを堂々と見据えてポーズを取っています。

将校つきの慰安婦とキャプションがありました。
髪は日本髪だったかもしれません。

私は彼女が「カッコいいな」と思いました。

それから、30年ちかくたって、2004年、はじめて、日本軍による性暴力被害の女性の証言をききました。

夜中に家から連れ去られ列車に乗せられていくさまを詳細に話してくださいました。
トラジ(ききょう)の花が、ゆれているその光景を、私もみたような気持になりました。

兵隊が満載された船に数名の女性がのせられて、なにがあったか、
みなさん、想像してくださいといわれました。

そのとき、語ってくださった韓国のイ・ヨンスさんは80歳をこえて今も活躍されています。

この写真のソン・シンドさんは昨年、12月16日に亡くなられました。96歳でした。

慰安婦被害を名乗り出た日本で暮らすただ一人の女性でした。

ソン・シンドさんは、望まない結婚から、のがれてきたところを、仕事があると騙されて日本軍慰安婦にさせられました。

戦後、宮城県の女川でくらし東京の支援団体の協力で日本政府に謝罪と賠償を訴える裁判を提訴されました。

結果、慰安婦被害があったことは認められましたが、40年以上経っていたため訴えは、棄却されました。

ソン・シンドさんは裁判にはまけたけれど

「オレのこころは負けてない」

と力強くいわれました。

そのソンシンドさんが、2011 東日本大震災のあと、自宅が津波でながされて行方が知れないと
メールで知ったときの自分の心の動揺を今もよくおぼえています。

あんな酷い経験をして、いま、ようやく静かに晩年をすごしていたのに、最後の最後に津波で命を落とすなんて、
あまりにもあまりにも、理不尽すぎる。

まだ、日本政府に謝罪も賠償も実現していないのに、とどうしたらいいのか、立ち尽くしました。

幸い、数日後避難所におられることがわかり安堵しました。

偶然、その日はソンシンドさんの家の前の道が工事中で、
その工事の作業員さんがソンシンドをおんぶして避難してくださったそうです。

ソンシンドさんが、この日本でひとのやさしさに命をすくわれたことを本当によかったといまでも涙がでてきます。

慰安婦にされた女性の数は何千人いたか、わかりませんが、私はそのうちの何人かの勇気ある女性を知っています。

だから、慰安婦問題に私は関係があります。責任があると思っています。

わたしが、高校生のとき、カッコいいとおもった将校つきの慰安婦女性は戦後を生きることができたでしょうか。


ここで毎月一回街頭活動をして、誰かおひとりにでも慰安婦問題に自分も関係あるかもと思ってもらえたらいいなと私は思っています。

以上。
                                     

                  宋神道(ソン・シンド)さん


# by anzu-ruyori | 2018-01-10 23:12 | 平和 自由 

友人が参加する 絵本ライブ 
ものがたりの世界にはいりこむ不思議な時間 

 
絵本ライブ ちょこれっと _f0032106_23110621.jpg

2017.4.29(土)

春まっさかり!ちょこれっと絵本ライブ@丸善京都本店開催


春まっさかり!みなさまと共に、心躍るお話のたびへ。
絵本と音楽の玉手箱「ちょこれっと絵本ライブ」@丸善京都本店、開催です。
みなさまふるってご参加ください!


日時:2017年4月29日(土)
   ①14時から14時30分 ②15時から15時30分


場所:丸善京都本店(京都市中京区河原町三条下がる 京都BAL内)
   地下1階 児童書売り場

参加費:無料


http://kurinoki-note.sakura.ne.jp/index.html



# by anzu-ruyori | 2017-04-26 23:17 | アート