逡巡のとりどり@京都


by anzu-ruyori
カレンダー
S M T W T F S
1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30

いもの切干とタバコと谷田孫平さん★竹内浩三 筑波日記★

「五月のように」さんより転載させていただきます。
http://www.h4.dion.ne.jp/~msetuko/tkozo/takeutisakuhin.html

なお、竹内浩三著 小林察編 「日本が見えない」(藤原書店)より
筑波日記 全文と写真版を参照させていただいています。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
1944年 昭和19年

1月23日

朝から、事務室で、駒つくりであった。
これは又、気楽な仕事である。みんな演習で、はあはあ云っているのに、
すまないみたいである。
ひるからも、であった。
岡安から、いもの切干と餅とタバコをどっさり送ってきた。
ビーズ玉を糸をとおして、それが鉄条網であった。
作れとも云わなかったけれど、紙の家も作った。紙のトーチカも作った。紙の川も作った。

1月24日

 朝から、ビーズ玉つなぎであった。
 下士官室で餅をやかしてもらった。
 藷も餅もなくなった。あっけないものである。
じぶんの喰ったのは、その5分の1ほどであったであろうか。
 ひるからは、演習に出た。寒くて、体がふるえた。かぜを少しひいいている。
◎谷田孫平のデッサン
    ほこりをどうして、ぬぐおうともしないのか。
    そのきたない眼鏡の中にある眼がよろしい。
    じつにしずかな眼だ。この眼はうそを云わない。けんかもできない。
    むかし、能面師であったと云う。その次は医者であったと云う。
    今は、百姓で、孫平は農学校を出た。

 あしたは、27日からの廠営の軍装けんさで、
夜はその準備であった。なんの検査でも、けんさは、どうも好かぬ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

浩三さんは、芸術学部だったからか、こういう工作の仕事をまかされたのでしょうかね。
字は上手じゃないけれど、細かい作業が結構得意だったようです。

谷田孫平さんは、この後も日記にでてくる、印象的な戦友。
孫平さんは、生きて帰ってこられたでしょうか・・・。
[PR]
by anzu-ruyori | 2012-01-22 23:59 | 浩三さん(竹内浩三)