逡巡のとりどり@京都


by anzu-ruyori
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航空兵器の発明★竹内浩三 筑波日記★

「五月のように」さんより転載させていただきます。
http://www.h4.dion.ne.jp/~msetuko/tkozo/takeutisakuhin.html

なお、竹内浩三著 小林察編 「日本が見えない」(藤原書店)より
筑波日記 全文と写真版を参照させていただいています。

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1944年 昭和19年

1月25日

となりの杉原上等兵が、先発で4時ころ起きて出かけて行ったにもかかわらず、
ボクが大きな顔で寝ていて、なんの手伝いもしてやらなかったと云うので、
竹口兵長と佐竹上等兵が、あさっぱらからおこっていた。

17日の会報で、航空兵器の発明を募集していた。
その案がないでもないように中村班長に云っておいたのを、
今日、松岡中尉に云いにゆき、正式に発表することになった。
いざそう云うことになると、急に自信がなくなった。

一口に云えば、空中写真に、ズームレンズを付けると云うことで、
これ位のことは、とっくに人が考えているにちがいないし、
それをやらないところをみると、やる必要がないか、やれないからであろうけれども、
もったいぶった風で、その原稿書きに午前中をついやして、演習をのがれた。
わかりきったことを、くだくだ書いて原稿にしたものだ。

 ひるからは、軍装けんさの準備で、15時からけんさ。
それがすむと、松岡中尉に呼ばれて、その原稿を浄書して呈出と云うことになった。
とんでもない恥をかかねばよいが。

 明日は、水曜日で外出があるのだけれども、ボクは、出られない。
正月以来、1日しか欠かしていないからである。
明日はぜひとも十一屋で餅をよばれようと考えていたが、これもやむをえぬ。


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航空兵器の原稿書きのため、「演習をのがれた」浩三さん。

上官の「三嶋少尉」について

小林察さんの「恋人の眼やひょんと消ゆるや」(新評論 1985)に
記載があったので、転記します。

「三嶋氏によると、竹内一等兵は、兵器の操作こそ不器用であるが、陽気で愛すべき兵卒であった。
だから、4ヶ月の教育機関終了後は、なるべく中隊当番や使役にまわしてできるだけ演習には
出さなかったという。

戦後、フィリピンから帰還した三嶋与四治氏は、「人生劇場」「砂の器」などの
名プロデューサーとして松竹文芸映画の黄金時代を築く立役者となった。
竹内浩三とは、明暗を分った運命の皮肉である。」

三嶋さんは2002年になくなられているようです。
http://www.producer.or.jp/kaiho/kaiho-2002/kaiho-0207/kaiho0207-04.htm

直接、浩三さんのお話を伺いたかったです、残念。
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by anzu-ruyori | 2012-01-24 01:29 | 浩三さん(竹内浩三)