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逡巡のとりどり@京都


by anzu-ruyori
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伊丹万作さん★竹内浩三 筑波日記★

「五月のように」さんより転載させていただきます。
http://www.h4.dion.ne.jp/~msetuko/tkozo/takeutisakuhin.html

なお、竹内浩三著 小林察編 「日本が見えない」(藤原書店)より
筑波日記 全文と写真版を参照させていただいています。

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1944年 昭和19年

1月26日

 伊丹万作氏から、ひさしぶりで、はがきがきた。

 山口県大島郡白木村西方  服部方

 めずらしく雨であったが、すぐやんで、青空になった。

中村班長が外出の出がけに頭を刈ってくれと云い、刈ったことがあるかと云う。
刈ったことはないけれども、あると云って刈ってやった。云わなかったけれども、
顔をしかめていたから、大分痛かったのであろう。餅を一つくれた。

 ひるめしは、うごけないほど、喰った。その上、飯盒でおじやをつくった。

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伊丹万作氏とかいた文字が、ギザギザの吹き出しで囲まれている。
うれしかったのだろうな、浩三さん。

伊丹万作さんは、映画監督、脚本家。(1900ー1946)
代表作『国士無双』『赤西蠣太』

浩三さんが、この筑波日記をカタカナで書いていたのは「万作サンノマネデス」とのこと。

2008年公開の「母べえ(かあべえ)」(山田洋次監督、吉永小百合主演)の原作者が
黒澤明監督のスクリプターの野上照代さん。
野上さんも伊丹万作さんに師事されていて
昭和21年伊丹万作さんが、急死されたあと、遺品にあった浩三さんの手紙を読まれた。

野上さんが、浩三さんの姉こうさんに宛てて書かれた手紙を転載します。

「・・・私が女学生のころ、赤西蛎太という伊丹先生の映画を見てすっかり感心し、
それから伊丹先生に手紙を出し、ずっと亡くなられるまで文通して、また、可愛がって
いただいていたのです。
 ちょうど私が先生と文通しているころ、浩三さんもやはり部隊からお手紙だしていられた
らしく・・・・
 先日、伊丹さんの家にはじめていき、・・・浩三さんが、はじめて自己紹介をするといって
先生にあて長々とかいた手紙があったのです。・・・
 その長いお手紙をよみ、私はいっぺんで浩三さんをシンから好きになってしまったのです」(昭和22年12月)


野上さんは、ずっと浩三さんのことを映像化する企画をあたためておられています。
1987年には「色のない旗」というタイトルでシナリオを執筆されています。
山田監督は、「母べえ」の撮影のとき、輸送船のセットがとてもよくできていたので
「壊すのがもったいないなあ、これで竹内浩三のが撮れるに」といわれていたそうです。
(「伊勢人」2007年盛夏号より)

浩三さんが、伊丹万作さんに送ったたくさんのお手紙は今では行方知れずとなってしまいました。

伊丹十三記念館で「父と子 伊丹十三が語る伊丹万作の人と芸術」開催中!
http://itami-kinenkan.jp/exhi14.html
by anzu-ruyori | 2012-01-24 23:16 | 浩三さん(竹内浩三)