逡巡のとりどり@京都


by anzu-ruyori
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ねむりこんだ村を歩いた★竹内浩三 筑波日記

「五月のように」さんより転載させていただきます。
http://www.h4.dion.ne.jp/~msetuko/tkozo/takeutisakuhin.html

なお、竹内浩三著 小林察編 「日本が見えない」(藤原書店)より
筑波日記 全文と写真版を参照させていただいています。

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1944年 昭和19年

2月1日
 朝は、演習であった。
 ひるからは、帰る準備。
 夜は早くねた。
 23時30分におきた。


2月2日
 0時40分に出発した。

 ねむりこんだ村を歩いた。

 夜ふけ、ふとんの中でふと眼がさめて、
おや、いまごろ兵隊が歩いてゆく、さむいことだろうと、
寝がへりをうつと云う身分になりたいものだ
と考えていた。

 5時ごろ乗車。車中、寝ていた。
 筑波は、うんと暖い。

 117のグライダーが空中分解して、田におちて、
6人の兵隊が命をなくしたと云う。地中へ1Mも入りこんでたと云う。


 注 117 
竹内のいた滑空機搭乗部隊が東部116部隊、
滑空機操縦部隊が東部117部隊と呼ばれていた。(小林察 「日本がみえない」より)

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「夜ふけ、ふとんの中でふと眼がさめて、
おや、いまごろ兵隊が歩いてゆく、さむいことだろうと寝がへりをうつ」

モノクロ映画のワンシーンのような「情景の浮かぶ一節」です。
行軍していても、浩三さんにはリアルな想像力が働いていたのですね。

117部隊には、「靖国合祀違憲訴訟」の原告 古川佳子さんのお兄さんが
在籍されていた部隊です。古川さんのお兄さんは、フィリピンへ向かう輸送船が爆撃されてなくなられました。
 松下竜一さんが著作『憶い続けむ----戦地に果てし子らよ』(1984年筑摩書房)で、古川さんのお母さんの痛恨の想いをその歌とともに、残されました。

 是れに増す悲しき事の何かあらむ亡き児二人を返へせ此手に
 忘れむと務めしことの愚かさよ憶ひ続けむ生きの限りを

古川佳子さんは、大阪府箕面市の「忠魂碑訴訟」のときから、竹内浩三さんの
「骨のうたう」を法廷で読み上げらておられ、その後、偶然の出会いから浩三さんの
姉、こうさんと出会われて、伊勢の集いにも足を運ばれています。
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by anzu-ruyori | 2012-01-31 15:59 | 浩三さん(竹内浩三)