逡巡のとりどり@京都


by anzu-ruyori
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下妻ノ町ヲボクハ好キダ★竹内浩三 筑波日記

「五月のように」さんより転載させていただきます。
http://www.h4.dion.ne.jp/~msetuko/tkozo/takeutisakuhin.html

なお、竹内浩三著 小林察編 「日本が見えない」(藤原書店)より
筑波日記 全文と写真版を参照させていただいています。

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1944年 昭和19年

2月4日
 バスで下妻へ、まず行く。
 谷田と亀山と清原と西村とで、つが屋と云う料理やへ上がりこむ。
ふらいと、すきやきと、すだこと、茶わんむしをたべた。すしを、たべた。
まんじゅ屋でまんじゅをたべた。
 『雨ニモマケズ』と云う、宮沢賢治の伝記と、高見順の『文芸雑感』を買う。前者に読みふける。

 頭を刈った。すしを喰った。ビフテキ、メンチボール、ウドンを喰った。いつものコースどおり汽車で宗道へ行き、宗道から、バスで吉沼へ行った。十一屋さんで餅をごちそうになった。

 2冊の本を十一屋さんへあずけた。『雨ニモマケズ』は三分の二ほど読んだ。
宮沢賢治を、こころからうらやましくおもった。
 雨がふって、あったかい日であった。

 ぼくは、この日記を大事にしようと云う気がますます強くなってきた。
この日記をつけるためにだけで、かなり大きな支障が日日のつとめの上にきたす。
それほどひまがない。しかし、この日記はおろそかにはすまい。

 下妻の町を、ぼくは好きだ。たべものがどっさりある。火見櫓や、ポストや、停車場が気に入った。この町の女学校の先生にでもなろうかと、本気でなんども考えた。
 がたがたのバスや、ごとごとの軽便汽車が好きだ。軽便汽車の中の、ランプやお婆さんの顔を好きだ。女学校の校庭のポプラを好きだ。筑波山をかすめる白い雲を好きだ。

 杉原上等兵に、かつれつを土産に持って帰った。この人はぼくのとなりにいる人で、
夜寝ると、たいてい、はなしをしだす。

 書き忘れたけれども、今朝はめずらしく朝風呂が立った。春雨のようにあたたかい小雨のふる朝を、手ぬぐいをさげて風呂から出てくるきもちは、いやなものではない。

 夜は軍歌演習。

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たのしい外出。

戦友と連れ立って、おいしいものをいっぱい食べる。
戦争中とはおもえないほど、「ドッサリアル」
好きな本を読む。

「宮沢賢治ヲ ココロカラウラヤマシクオモッタ。」

宮沢賢治の伝記「雨にもまけず」は

雨ニモマケズ 宮沢賢治の生涯 斑目栄二、富文館、昭18

という本があるが、これだろうか。

下妻ノ町ヲ、ボクハ好キダではじまる下妻の情景スケッチが素敵だ。

火見櫓、ポスト、停車場、軽便汽車、ランプ、おばあさん、
校庭、ポプラ、筑波山をかすめる白い雲・・・。

そのひとつひとつを、浩三と一緒に見たかったよ 私は。

「ボクハ、コノ日記ヲ大事ニシヨウト云う気ガマスマス強クナッテキタ」
と、日記についての気持ちを記している、決意のように「コノ日記ヲオロソカニハスマイ」と。

姉こうさんの夫さん、松島博さんは復員後、この日記を記した手帳をみられて、
「将校なら、いざしらず、あの戦時下で一兵卒がこのような記録をつけることができたとは、信じられない」といわれたそうだ。

訓練の続く日々で、「コノ日記ヲツケルタメニダケデ、カナリ大キナ支障ガ日々ノツトメノ上ニキタス。ソレホドヒマガナイ。」が、書き続けたのだ、浩三は。


私の筑波日記 BEST10に、入るこの日の日記、声に出して読むのが好きです。

なお、原文は、1月4日と、月をまちがえて記している。
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by anzu-ruyori | 2012-02-06 00:13 | 浩三さん(竹内浩三)