逡巡のとりどり@京都


by anzu-ruyori
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銃剣術がいやで、さぼっていた★竹内浩三 筑波日記

「五月のように」さんより転載させていただきます。
http://www.h4.dion.ne.jp/~msetuko/tkozo/takeutisakuhin.html

なお、竹内浩三著 小林察編 「日本が見えない」(藤原書店)より
筑波日記 全文と写真版を参照させていただいています。

http://www.fujiwara-shoten.co.jp/shop/index.php?main_page=product_info&products_id=510&cPath=177_222

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1944年 昭和19年


2月24日

 朝起きると、銃剣術。
 朝飯がすむと、銃剣術。
 これはかなわぬと思っていたら、ひるからも銃剣術。

 そこへ、三島少尉によばれた。行くと、飛行機の画を書いてくれ。カーチスホーク。
 かいた。三十分ほどで書けた。銃剣術がいやで、事務室でさぼっていた。
 夕方また銃剣術。汗をかいた。

2月25日

 朝起きると、銃剣術。
 午前中は、対空射撃の学科。
 いねむりが出てよわった。学科というといねむりする。
 中学校のころ、教室でいねむりするやつを、妙なやつだと思ったが、そのねむさがわかった。

 中村班長に呼ばれた。照準環の図を書いてくれと云う。かんたんなものであったが、
 なるべく時間をかけて書いた。そのうち、みな、壕掘りに出かけて行った。
 ものすごい風であった。

 照準環は、なぜ楕円形にしてあるのか、そのわけを考えていたら、次のごとき案を得た。
 それを三島少尉に持っていったら、早速作ろうと云うことになった。
 それで、その設計図を書いてもってゆくと、黒江中尉がいて、それはもうすでにできていて、
 どしどしつくられていることを云った。
 発明などと云うものは、たいていこんなものである。

2月26日

 昨日の壕掘りのつづきを、朝五時半に起きてやりに行った。
 飛行場のはしで、いつかの雪の朝の防空演習のとき銃をすえたところであった。
 ひるまでかかった。

 ひるから、対空射撃の演習。

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銃剣術・・・、白兵戦・近接戦闘において、先端に銃剣を装着(着剣)した小銃を武器にして敵を殺傷する武術 

上官によばれて、事務所で絵や設計図をかくことをおおせつかって、訓練をぬけることができた浩三さん、ラッキーでしたね。

三嶋さんの証言にあるように、浩三さんはちょっとだけ「特別扱い」されていたところも
あったのです。たしかに器用だったせいもあるけど、伊勢の竹内呉服店からの「つけとどけ」の
力もあったかもしれません。

浩三さんの伯父さんにあたる二つ年上の「竹内敏之介」さんが入営した京都の部隊には、
竹内呉服店の番頭「省三さん」が、面会のたびに反物や洋服地をもっていったそうです。
そのおかげか、敏之介さんは、工兵部隊に配属されて前線で戦うことが少なかったようです。
インパール作戦に参加し、捕虜となり2年後に復員されました。

工兵部隊には、大工さん、表具師さん、石屋さんなど、職人さんが多く配属されている部隊でした。

1980年に建立された「戦死ヤ アワレ」の詩碑は、そのご縁で京都の石屋さんが制作されたそうです。
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by anzu-ruyori | 2012-02-24 23:34 | 浩三さん(竹内浩三)