逡巡のとりどり@京都


by anzu-ruyori
カレンダー
S M T W T F S
1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30

日記を姉のところに送った★竹内浩三★筑波日記

昭和19年

5月1日 【月曜日】

 作業衣をきて、弁当もちで、山へ材木はこびに行った。
 ひさかたの光のどけき春の日にしずこころなく花のちるらん、花のちるらん。
 急な斜面を、材木ころがした。ひるからは、熊笹のかげで、ひるねをしてサボっていた。


5月2日 【火曜日】

 バスが石下の町まではこんでいった。そんなつもりではなかった。

石下と云う町はつまらない町である。つまらないすしを二皿喰った。
道づれは、橘兵長と宮城島信平と大井隆夫。
 汽車で下妻へ行った。大井はどっかへ行ってしまった。大便していたら、はぐれて一人になった。大宝へ行った。あんみつばかりたべていた。

日記を姉のところへ送った。金がなくなっていた。下妻まであるいた。
金がなくなったから、駅の待合所でねむっていた。

 かえってきたら、中隊当番に上番した。相棒は亀山であった。
 バスの天窓をすぎる木の枝に、日の光りで営門が近い。
夜、週番の五十川兵長と将棋をして、二回とも負けた。

5月3日 【水曜日】

 五時におきた、事務室の窓を開けたら、霧がながれ込んだ。
飛行場は、音のない霧であった。ごみために霧であった。

 今日も外出のある日であった。事務室で、このあいだ買ってきた織田作之助の『清楚』と云う小説を読んだ。軽い気で書いたのであろう、大しておもしろくもなかった。この人には『二十歳』と云ういい小説があったはずだ。

 飛行場で飛行機が逆立ちをしていた。ときどきこんなことをやる。

 ひるから、すこしひるねをした。ひたすら、ねむることを欲した。爆音がそれをうながした。

 中井利亮からひさしぶりのたよりであった。中井は土浦に来ている。

 当番の相棒は亀山。亀山の頭のわるいことは、前の日記にもかいた。頭はわるいが、美しい心をもっている。

 ぼくのとなりにねている宮城島信平。ロスアンゼルス生れであることは前にかいた。大事そうに三枚の写真をもっている。洋服をきたお母さん。あとの二枚は、犬と猫であった。

 清野班長は、ぼくに云う。君はいろんなことをよく知っているかもしれない。頭もよいかもしれない。詩も上手かもしれない。しかし、それが戦場で何のヤクに立つであろうか。こいつは頭がよいから、殺さずにおこうとは云わない。だれかれなく突いてくる。それをふせぎ、ふせぐ前に相手を突き殺すだけのうでまえと気力が、兵隊であれば、なによりも必要なのではあるまいか。

ぼくは、兵隊であるからして、その言には一句もない。

 炊事室のうらで、演芸会があった。つまらなかったからかえってきた。
日の丸の扇をもって、きものをきた娘が、三味線にあわせて、愛馬行進曲や日の丸行進曲をおどると云うのはにがてである。

 新しくお茶を入れなおして、ゆっくりまんじゅをたべた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

一冊めの日記を、お姉さんに送った。

「送られてきたのは、以前に浩三の頼みで送った宮沢賢治の詩集だった。
伊勢で最も大きな書店に行き、ようやく探し当てたものだ。
 自分がそうやって探し送った詩集が送り返されてきたのを見て、
 軍隊ではこういう詩集はおいておくことはできないんやな
とおもった。
しかし、小包を開けてみると詩集の中身がくりぬかれていうのである。
そして、内部にはひとまわり小さい一冊の手帳がはめ込まれていたのだった」
(稲泉連 「ぼくもいくさに征くのだけれど」より)


1日の ひさかたの~の歌は、百人一首 紀貫之

中井利亮さんは、宇治山田中学の同級生。
「昭和18年12月、早稲田大学2年で、学徒出陣し、海軍飛行予備学生として、土浦
出水で、訓練を受け、昭和19年12月、宇佐木軍航空隊に少尉として任官した。
飛行訓練に明け暮れる中、同期の仲間たちが次々と特攻隊として飛び立っていった。
 宇佐航空隊での生活は、阿川弘之の「雲の墓標」に描かれていると、晩年になって
語っていた」

(中井利亮 「ヤマトヒメ・ラインを走る」より、子、万知子さんの記述)
[PR]
by anzu-ruyori | 2012-05-07 11:29 | 浩三さん(竹内浩三)