逡巡のとりどり@京都


by anzu-ruyori
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夢で姉が死んだ★竹内浩三★筑波日記

昭和19年 
5月20日 【土曜日】

 外出もしないのだから、洗濯をして、一つ、ゆっくりひるねでもしようと考えていたら、
宮崎曹長の引越しの手伝いに行けと云うことになった。

 雨外套をきて、公用腕章をつけて、副当番の小畑家安と北条へでかけた。

 トコ屋で頭を刈った。うどんを喰った。

ゆくと、曹長は大八車を引いて出かけたアトで、奥さんと奥さんのおふくろさんと子供がいた。
もう荷物はぜんぶもって行ったから、このふろしきづつみをもって行ってくれと云った。

こんどの家は、水守であった。きたない小さい家であった。電燈がないので、ランプであった。
屋主の家で、ひるめしをたべて帰った。

 軍歌演習を、夕方していると、警戒警報のラッパがなった。

5月21日 【日曜日】

 夢で姉が死んだ。

 ぼくは夢で、姉さんと呼んだら、その声で、目がさめて、小便に行った。

 又、少し寝ると、おこしにきた。
 二時であった。宮崎曹長のところへ行って、四時までにくるようにと云いにゆく使いであった。雨でまっ暗であった。なにも見えなかった。

 曹長と傘をさしてかえってきた。もう明るくなっていた。やれやれと思って、寝ようとしていたら、全員起床ときた。四時であった。配置についた。

 ひるから、飛行場のはしの、いつもゆく陣地へ行った。ひるねばかりしていた。

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姉宛の手紙に、浩三さんの心情が綴られている。

とんとたよりがない。こないだ、あんたが死んだ夢をみたいので、
ひょっとしたらその夢のとおりであったのかなどと、考えています。
私が死んでも、そのことは軍隊にいる弟には知らせないでくだされなどと
25銭の芝居で言うようなことを、遺言じゃと称して、死んでしまったのではないかと。

もしも、生きているのなら、そのしるしにものなどいいなされ。(5月27日)

 
死んだかと思っていたら、生きていることがわかって、僕はよろこんだ。
子どもを産んだそうですな。又、女だという。それはざんねんなことであった、
とも考えませぬが、人はそう言ったでしょう。つづけて3人女だから、それが三人
男でも、人は退屈して、変わったことがあったほうがよいと考える。
僕は、どちらでもよい。そうつづけさまでは、えらかろうから、一ぷくして、
またうむとよい。うんだら、僕のことをえらい叔父さんだと考えるような娘にそだていると
なおよい。(6月2日)

三人目の姪子、芙美代ちゃん宛ての手紙が、素敵。

http://www.h4.dion.ne.jp/~msetuko/tkozo/takeutisakuhin.html
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by anzu-ruyori | 2012-05-20 17:58 | 浩三さん(竹内浩三)