逡巡のとりどり@京都


by anzu-ruyori
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日本軍「慰安婦」とよばれた女性と私 

毎月第一水曜日は、日本軍「慰安婦」問題の水曜日行動 

今月1月は、第二水曜になりました。

ことしから、毎月の行動のとき、スピーチしようと思います。

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                                         PHOT by Toshiya Morita

2018 1 10のスピーチ原稿

こんばんは

私は左京区に住んでいるあんずといいます。 

毎月一回 ここで日本軍慰安婦問題の解決を求める街頭活動に参加しています。

以前、私はここで若い男性に「どうしてこんなことをしているのですか?」と
尋ねられたことがあります。

いま、ここを歩いておられるみなさんもそう思ったり、邪魔だなとか、
自己満足だなとか、自分には関係ないと思っておられるでしょう。

でもわたしには、日本軍慰安婦問題は関係あるんです。

私がはじめて日本軍慰安婦のことを知ったのは高校の図書館です。
40年くらい前です。

朝日グラフの太平洋戦争特集でした。

1ページ分の女性の大きな写真がありました。

明るい日差しの屋外で白い上質な西洋式のかわいらしい下着姿の女性が
カメラを堂々と見据えてポーズを取っています。

将校つきの慰安婦とキャプションがありました。
髪は日本髪だったかもしれません。

私は彼女が「カッコいいな」と思いました。

それから、30年ちかくたって、2004年、はじめて、日本軍による性暴力被害の女性の証言をききました。

夜中に家から連れ去られ列車に乗せられていくさまを詳細に話してくださいました。
トラジ(ききょう)の花が、ゆれているその光景を、私もみたような気持になりました。

兵隊が満載された船に数名の女性がのせられて、なにがあったか、
みなさん、想像してくださいといわれました。

そのとき、語ってくださった韓国のイ・ヨンスさんは80歳をこえて今も活躍されています。

この写真のソン・シンドさんは昨年、12月16日に亡くなられました。96歳でした。

慰安婦被害を名乗り出た日本で暮らすただ一人の女性でした。

ソン・シンドさんは、望まない結婚から、のがれてきたところを、仕事があると騙されて日本軍慰安婦にさせられました。

戦後、宮城県の女川でくらし東京の支援団体の協力で日本政府に謝罪と賠償を訴える裁判を提訴されました。

結果、慰安婦被害があったことは認められましたが、40年以上経っていたため訴えは、棄却されました。

ソン・シンドさんは裁判にはまけたけれど

「オレのこころは負けてない」

と力強くいわれました。

そのソンシンドさんが、2011 東日本大震災のあと、自宅が津波でながされて行方が知れないと
メールで知ったときの自分の心の動揺を今もよくおぼえています。

あんな酷い経験をして、いま、ようやく静かに晩年をすごしていたのに、最後の最後に津波で命を落とすなんて、
あまりにもあまりにも、理不尽すぎる。

まだ、日本政府に謝罪も賠償も実現していないのに、とどうしたらいいのか、立ち尽くしました。

幸い、数日後避難所におられることがわかり安堵しました。

偶然、その日はソンシンドさんの家の前の道が工事中で、
その工事の作業員さんがソンシンドをおんぶして避難してくださったそうです。

ソンシンドさんが、この日本でひとのやさしさに命をすくわれたことを本当によかったといまでも涙がでてきます。

慰安婦にされた女性の数は何千人いたか、わかりませんが、私はそのうちの何人かの勇気ある女性を知っています。

だから、慰安婦問題に私は関係があります。責任があると思っています。

わたしが、高校生のとき、カッコいいとおもった将校つきの慰安婦女性は戦後を生きることができたでしょうか。


ここで毎月一回街頭活動をして、誰かおひとりにでも慰安婦問題に自分も関係あるかもと思ってもらえたらいいなと私は思っています。

以上。
                                     

                  宋神道(ソン・シンド)さん


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by anzu-ruyori | 2018-01-10 23:12 | 平和 自由