逡巡のとりどり@京都


by anzu-ruyori
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日本軍性奴隷問題 水曜行動 2月

2018年2月7日水曜日 日本軍性奴隷問題の解決を求める水曜行動に参加しました。

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                             photo by Toshiya Morita

きょうのスピーチ 


私は左京区に住んでいるあんずといいます。 

毎月一回 ここで日本軍慰安婦問題の解決を求める街頭活動に参加しています


アジア太平洋戦争は、1945年に終わりました。

73年前となります。そんな昔のことをいっても仕方がないという人もいます。

でも、私はこの日本が戦争をしていたということを、忘れてはいけないと思います。

忘れると、同じことが繰り返されるからです。

ここ、京都にも72年前の今頃は、爆撃がありました。

私は訪問介護の仕事をしているので、高齢の方から戦争中のお話をたくさんお聞きします。

軍需工場で働いていた、コメの買い出しにいった、爆撃機におそわれた、お父さんが戦死したことなど、お聞きしました。


お話くださる方も、高齢ですから、直接 おききできる最後のときだと思っています。


そして、戦地では、「慰安婦」と呼ばれる女性たちが、いました。

私がお逢いした 韓国の カンイルチュルさんは、15歳のとき、警察に連れていかれて中国で「慰安婦」とされました。

戦争が終わっても帰ることができず、中国の病院で看護師として働いて、家族も持たれました。


カンイルチュルさんが、韓国に帰ることができたのは、2000年です。

戦争がおわって、55年も故郷に帰ることができなかったのです。

帰ったときには、家族は誰もいなかったといわれました。

今は、「ナヌムの家」というグループホームにおられますが、畑仕事をしておられます。



カンイルチュルさんは、私に「ずっと仕事をもって働きなさい」といってくださいました。

看護師として、誇りをもって働いてこられたからこその言葉だと思います。



私はこの間、ある性暴力被害にあわれた女性から、

日本軍「慰安婦」被害者のソンシンドさんの「俺の心は負けてない」という言葉に

力づけられたという話を直接 お聞きしました。


ソン・シンドさんは昨年、12月16日に亡くなられました。96歳でした。

慰安婦被害を名乗り出た日本で暮らすただ一人の女性でした。

ソン・シンドさんは、望まない結婚から、のがれてきたところを、仕事があると騙されて日本軍慰安婦にさせられました。

戦後、宮城県の女川でくらし東京の支援団体の協力で日本政府に謝罪と賠償を訴える裁判を提訴されました。

結果、慰安婦被害があったことは認められましたが、40年以上経っていたため訴えは、棄却されました。



ソン・シンドさんは裁判にはまけたけれど

「オレのこころは負けてない」

と力強くいわれました。


その言葉に、性暴力の被害を受け、裁判を戦っている女性が、力づけられたのです。


今、この日常にも、性暴力の被害にあっている女性や男性がいます。子どもたちがいます。

昨年、ハリウッド女優が性暴力を告発して、「Me too]というハッシュタグが、広まりました。

日本でもたくさんの「Me Too」があります。

私たちのまわりにも性暴力や抑圧、差別やいじめがあると思います。


70年前「慰安婦」とされた女性たちの証言と日本政府への謝罪と賠償を求める行動は

今の性暴力被害をうけた人たちを勇気づけるものでもあるのです。


2015年の日韓合意は、朴大統領と安倍首相との合意にすぎません。

アメリカ政府の意向が強く反映しているといわれています。


当事者である被害女性たちには、なんの相談もなく決まりました。

被害女性たちがもとめていたことは、何も合意されていません。

被害女性たちは、「二度と私たちのようなことがないように、教科書に記述すること」を強く求めていました。

今、日本の教科書に日本軍「慰安婦」の言葉はありません。


日本政府の誠実な対応を、私たちは求めています。


どうか、日本軍慰安婦問題を自分事として、関心をもってください。




















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by anzu-ruyori | 2018-02-08 20:02 | 平和 自由