原爆の図 丸木美術館 にいってきた
2018年 08月 11日
池袋から東武東上線にのり「東松山」で下車、それからバス。バスを降りてから徒歩15分のところを私が道を間違えて、
30分くらい歩き回ってしまった。東京にくるといつも、道にちょっと迷う、いつもは土地勘がいいのに。
「原爆の図」をみるのは、2度目となる。
1984年7月に「原爆の図」の展覧会が京都市美術館であった。
私はその日、友人と海水浴にいっていてその帰り、閉館まぎわにいそいで見て回ったような気がする。
そのときの印象は「大きい」「黒い」「怖い」そして、「威圧感」を感じた。
34年ぶりに「原爆の図」をみて、その印象はくつがえされた。
2階の展示室に、入っていく
原爆の図 第一部「幽霊」第二部「火」第三部「水」第四部「虹」第五部「少年少女」第六部「原子野」第七部「竹やぶ」第八部「救出」の8作品が、大きな展示室に展示されていた。
私は 「あれ、そんなに大きくなかったんや」と思った。
そして、威圧感もなかった。
とても きれいだと思った。俊さんの描いた人の体の線の美しさ、位里さんの大きな筆跡の意志ある力強さに、目が離せなかった。
「黒い」とおもっていたが、色鮮やかだった。
第八部「救出」の兵隊さんたちは、たくましくカッコよかった。
1948年から描き始められた「原爆の図」は、なにか昔の歴史画のようにおもっていたが、そうではないとわかった。
「原爆の図」は、今もとても刺激的で力強い。ぜひ、また「原爆の図 丸木美術館」を訪れたいと強くおもっています。
駅前の観光案内所で「𠮷見百穴(よしみひゃくあな)」の地下軍需工場跡のことを知ったので、
次回はこことセットで訪問します。
↑ 当時のチケット 堺町画廊さんでみせてもらいました!
by anzu-ruyori
| 2018-08-11 08:43
| 平和 自由