逡巡のとりどり@京都


by anzu-ruyori
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九月、東京の路上で

自警団の写真をはじめて見た。朝日新聞2018年9月2日書評欄にて。
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子どもや女性も映りこんでいて、話し声が聞こえてきそうな写真だ。

東京 新大久保の
高麗博物館では、鮮烈な展覧会が開催されている。12月2日まで。

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ここで、私ははじめて坪井繁治の長詩に出会った。

    十五円五十銭

1923年9月1日 
正午二分前の一瞬
地球の一部分がはげしく身ぶるいした
関東一帯をゆすぶる大地震
この災厄を誰が予知したであろう

その日の明け方
物凄い豪雨がやってきた
それは地上にあるものすべてのものを
一挙に押し流そうとするほどの勢で降り続いた
すべてのひとびとがなお眠り呆けている中を
そこ眠りさえも押し流そうとするほどの勢で

   中略

東京の街々はいつ消えるとも知れぬ火の海であり
それを眺める群衆のわいわい騒ぎにまじって
僕は何を考えるでもなく
ただぼんやりと炎の大群団から眼をはなすことができなかった
火 火 火 …
ただそれだけの眺めなのに
僕の瞳はいつまでも
火の方へ吸いよせられていた

この火がおさまらぬうちに
はやくも流言蜚語が市中を乱れとんだ

ー横浜方面から鮮人が群をなして押し寄せてくる!

ー目黒競馬場付近に三四百もの[不逞鮮人]が集まって何か不穏な気勢をあげている!

ー鮮人が家々の井戸に毒物を投げ込んでいるから、飲み水に気をつけろ!

ー社会主義者が暴動を起こそうとしているから、警戒しろ!
これらの噂はいかにもまことしやかに
ひとからひとに伝えられていった


僕が友達の安否を気づかって
牛込弁天町の下宿を訪ねたとき
そこでもその噂でもちきりだった
その友と連れだって
僕らは壊れた街へ出た
ひとびとはただ街中を右往左往していた
それはまるで荒びたお祭りであった
しかもそのお祭り騒ぎを支配するものは
銃剣もって固められた戒厳令であった
僕らが矢来下から音羽へ通ずる橋の手前に
設けられた戒厳屯所を通りすぎると
ーこらッ! 待て!
と呼びとめられた
驚いて振りかえると
剣付鉄砲を肩に担った兵隊が 
ー貴様 鮮人だろう?
と詰めよってきた

僕はそのとき、
長髪に水色ルパーシュカを身にまとっていた
それは誰が見てもひと目で注意をひく異様な風体でった
僕はその異様な自分の姿にはじめて気がついて愕然とした
僕は衛兵の威圧的な訊問にどぎまぎしながらも
ーぅいいえ 日本人です、日本人です
と必死になって弁解した
かたわらの友人も僕のために弁じてくれた
そして僕らはようやく危い関所を通過した

僕は兵隊に呼び止められたときの恐ろしさよりも
その後の恐ろしさに魂までふるえる思いだった
ーこんなところでうろうろしていたら
いのちがあぶないぞー
自分で自分にいいきかせながら友と別れた

   中略

田端駅から避難列車に乗り込んだのは
九月五日の朝であった
ここでも野蛮な眼がぎょろぎょろ光っていた
ーこん中にだって、主義者や鮮人どもがもぐりこんでいるかも知れんぞ。
身動きもできぬ車中でのこの放言に
僕は胸のまん中に釘を打ちこまこまれる思いをし
思わずまぶかにかぶっている帽子のツバをさらに
まふかにひきおろした
髪が長いということが
社会主義者の一つのめじるしであったから

汽車が駅に着くたびに
剣付鉄砲がホームから車内をのぞきこんだ
怪しげな人間かもぐりこんでいないかと

あれは、いったいどこの駅だったろう
僕らの列車がある小さな駅に止まると
例の通り剣付鉄砲の兵隊が車内検索にやってきた
彼は牛のように大きな眼をしていた
その大きな眼で車内をじろじろ見回していたか
突然、僕の隣にしゃがんでいる印絆天の男を指差して怒鳴った
ー十五円五十銭いってみろ
指さされたその男は
兵隊の訊問があまりに突飛なので
その意味がなかなかつかめず
しばらくの間、ぼんやりしていたが
やがて立派な日本語で答えた
ージュウゴエンゴジッセン
ーよしっ!

  中略

国を奪われ
言葉を奪われ
最後に生命まで奪われた朝鮮の犠牲者よ
僕はその数をかぞえることはできぬ
あのときから早や二十四年たった
そしてそれらの骨は
もう土となってしまったであろうか
たとえ付くとなっても
なお消えぬ恨みに疼いているかも知れぬ
君たちを偲んで
ここに集まる僕らの胸の疼きと共に


君たちを殺したのは野次馬だというのか?
野次馬に竹槍を持たせ、鳶口を握らせ、
日本刀をふるわせたのは誰であったか?
僕はそれを知ってる
[ザブトン]という日本語を
[サフトン]としか発音できなかったがために
勅語を読まされて
それを読めなかったがために
ただそれだけのために
無惨に殺された朝鮮の仲間たちよ
君たち自身の口で
君たち自身が生身に受けた残虐を語れぬならば
君たちに代わって語るものに語らせよう
いまこそ
押しつけられた日本語の代わりに
奪いかえした
親譲りの
純粋な朝鮮語で

1947年8月
坪井繁治全集第一巻
……………………

この詩は、解放後第一回の震災記念日に開催された朝鮮人犠牲者追悼集会のために書かれた。
[朝鮮の仲間たち]へのアピールで終わるこの長詩は、当日、新劇の俳優が朗読して深い感銘を与えた。[朝鮮新報 2006 10 26]

高麗博物館で全文のコピーを頂きました。

95年前の日本の蛮行を今に繰り返さないために、関東大震災の事実と真摯に向き合いたいと思います。

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        8月5日 @下北沢 スズナリ






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by anzu-ruyori | 2018-09-04 22:57 | 平和 自由