逡巡のとりどり@京都


by anzu-ruyori
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九月、東京の路上で

自警団の写真をはじめて見た。朝日新聞2018年9月2日書評欄にて。
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子どもや女性も映りこんでいて、話し声が聞こえてきそうな写真だ。

東京 新大久保の
高麗博物館では、鮮烈な展覧会が開催されている。12月2日まで。

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ここで、私ははじめて坪井繁治の長詩に出会った。

    十五円五十銭

1923年9月1日 
正午二分前の一瞬
地球の一部分がはげしく身ぶるいした
関東一帯をゆすぶる大地震
この災厄を誰が予知したであろう

その日の明け方
物凄い豪雨がやってきた
それは地上にあるものすべてのものを
一挙に押し流そうとするほどの勢で降り続いた
すべてのひとびとがなお眠り呆けている中を
そこ眠りさえも押し流そうとするほどの勢で

   中略

東京の街々はいつ消えるとも知れぬ火の海であり
それを眺める群衆のわいわい騒ぎにまじって
僕は何を考えるでもなく
ただぼんやりと炎の大群団から眼をはなすことができなかった
火 火 火 …
ただそれだけの眺めなのに
僕の瞳はいつまでも
火の方へ吸いよせられていた

この火がおさまらぬうちに
はやくも流言蜚語が市中を乱れとんだ

ー横浜方面から鮮人が群をなして押し寄せてくる!

ー目黒競馬場付近に三四百もの[不逞鮮人]が集まって何か不穏な気勢をあげている!

ー鮮人が家々の井戸に毒物を投げ込んでいるから、飲み水に気をつけろ!

ー社会主義者が暴動を起こそうとしているから、警戒しろ!
これらの噂はいかにもまことしやかに
ひとからひとに伝えられていった


僕が友達の安否を気づかって
牛込弁天町の下宿を訪ねたとき
そこでもその噂でもちきりだった
その友と連れだって
僕らは壊れた街へ出た
ひとびとはただ街中を右往左往していた
それはまるで荒びたお祭りであった
しかもそのお祭り騒ぎを支配するものは
銃剣もって固められた戒厳令であった
僕らが矢来下から音羽へ通ずる橋の手前に
設けられた戒厳屯所を通りすぎると
ーこらッ! 待て!
と呼びとめられた
驚いて振りかえると
剣付鉄砲を肩に担った兵隊が 
ー貴様 鮮人だろう?
と詰めよってきた

僕はそのとき、
長髪に水色ルパーシュカを身にまとっていた
それは誰が見てもひと目で注意をひく異様な風体でった
僕はその異様な自分の姿にはじめて気がついて愕然とした
僕は衛兵の威圧的な訊問にどぎまぎしながらも
ーぅいいえ 日本人です、日本人です
と必死になって弁解した
かたわらの友人も僕のために弁じてくれた
そして僕らはようやく危い関所を通過した

僕は兵隊に呼び止められたときの恐ろしさよりも
その後の恐ろしさに魂までふるえる思いだった
ーこんなところでうろうろしていたら
いのちがあぶないぞー
自分で自分にいいきかせながら友と別れた

   中略

田端駅から避難列車に乗り込んだのは
九月五日の朝であった
ここでも野蛮な眼がぎょろぎょろ光っていた
ーこん中にだって、主義者や鮮人どもがもぐりこんでいるかも知れんぞ。
身動きもできぬ車中でのこの放言に
僕は胸のまん中に釘を打ちこまこまれる思いをし
思わずまぶかにかぶっている帽子のツバをさらに
まふかにひきおろした
髪が長いということが
社会主義者の一つのめじるしであったから

汽車が駅に着くたびに
剣付鉄砲がホームから車内をのぞきこんだ
怪しげな人間かもぐりこんでいないかと

あれは、いったいどこの駅だったろう
僕らの列車がある小さな駅に止まると
例の通り剣付鉄砲の兵隊が車内検索にやってきた
彼は牛のように大きな眼をしていた
その大きな眼で車内をじろじろ見回していたか
突然、僕の隣にしゃがんでいる印絆天の男を指差して怒鳴った
ー十五円五十銭いってみろ
指さされたその男は
兵隊の訊問があまりに突飛なので
その意味がなかなかつかめず
しばらくの間、ぼんやりしていたが
やがて立派な日本語で答えた
ージュウゴエンゴジッセン
ーよしっ!

  中略

国を奪われ
言葉を奪われ
最後に生命まで奪われた朝鮮の犠牲者よ
僕はその数をかぞえることはできぬ
あのときから早や二十四年たった
そしてそれらの骨は
もう土となってしまったであろうか
たとえ付くとなっても
なお消えぬ恨みに疼いているかも知れぬ
君たちを偲んで
ここに集まる僕らの胸の疼きと共に


君たちを殺したのは野次馬だというのか?
野次馬に竹槍を持たせ、鳶口を握らせ、
日本刀をふるわせたのは誰であったか?
僕はそれを知ってる
[ザブトン]という日本語を
[サフトン]としか発音できなかったがために
勅語を読まされて
それを読めなかったがために
ただそれだけのために
無惨に殺された朝鮮の仲間たちよ
君たち自身の口で
君たち自身が生身に受けた残虐を語れぬならば
君たちに代わって語るものに語らせよう
いまこそ
押しつけられた日本語の代わりに
奪いかえした
親譲りの
純粋な朝鮮語で

1947年8月
坪井繁治全集第一巻
……………………

この詩は、解放後第一回の震災記念日に開催された朝鮮人犠牲者追悼集会のために書かれた。
[朝鮮の仲間たち]へのアピールで終わるこの長詩は、当日、新劇の俳優が朗読して深い感銘を与えた。[朝鮮新報 2006 10 26]

高麗博物館で全文のコピーを頂きました。

95年前の日本の蛮行を今に繰り返さないために、関東大震災の事実と真摯に向き合いたいと思います。

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        8月5日 @下北沢 スズナリ






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# by anzu-ruyori | 2018-09-04 22:57 | 平和 自由 
8月の暑い日に、埼玉県東松山市にある「原爆の図 丸木美術館」に、はじめていってきた。

池袋から東武東上線にのり「東松山」で下車、それからバス。バスを降りてから徒歩15分のところを私が道を間違えて、
30分くらい歩き回ってしまった。東京にくるといつも、道にちょっと迷う、いつもは土地勘がいいのに。

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「原爆の図」をみるのは、2度目となる。
1984年7月に「原爆の図」の展覧会が京都市美術館であった。
私はその日、友人と海水浴にいっていてその帰り、閉館まぎわにいそいで見て回ったような気がする。
そのときの印象は「大きい」「黒い」「怖い」そして、「威圧感」を感じた。

34年ぶりに「原爆の図」をみて、その印象はくつがえされた。

2階の展示室に、入っていく 

原爆の図 第一部「幽霊」第二部「火」第三部「水」第四部「虹」第五部「少年少女」第六部「原子野」第七部「竹やぶ」第八部「救出」の8作品が、大きな展示室に展示されていた。

私は 「あれ、そんなに大きくなかったんや」と思った。
そして、威圧感もなかった。

とても きれいだと思った。俊さんの描いた人の体の線の美しさ、位里さんの大きな筆跡の意志ある力強さに、目が離せなかった。
「黒い」とおもっていたが、色鮮やかだった。

第八部「救出」の兵隊さんたちは、たくましくカッコよかった。

1948年から描き始められた「原爆の図」は、なにか昔の歴史画のようにおもっていたが、そうではないとわかった。

「原爆の図」は、今もとても刺激的で力強い。ぜひ、また「原爆の図 丸木美術館」を訪れたいと強くおもっています。

駅前の観光案内所で「𠮷見百穴(よしみひゃくあな)」の地下軍需工場跡のことを知ったので、
次回はこことセットで訪問します。

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     ↑ 当時のチケット 堺町画廊さんでみせてもらいました!










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# by anzu-ruyori | 2018-08-11 08:43 | 平和 自由 

茗荷 みょうが

哲学の道のちかく
知らないおじさんに茗荷をもらった。
そのへんに出とった と。

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花まで咲いて、冷奴にのせて頂いた。
野趣で、とても美味。
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山尾三省さんの詩を思い出す


これは

地のもの逹の文化であり 文明であり

核兵器を作る人達や
原子力発電を作る人達への
捧げものではない


……………………………………………………………………

   大根おろし

畑には 大根が太っている
その大根を引き抜いて
大根おろしを作る
藍色のさらさもようのある お皿に入れて
しょうゆをかけて
それだけで 食べる
これは

地のもの逹の文化であり 文明であり

核兵器を作る人達や
原子力発電を作る人達への
捧げものではない


    つわぶきの煮つけ

野には
つわぶきの新芽がのびている
その新芽を引きぬき集めて
うす皮をむき
シイタケや油アゲといっしょに煮つける
藍色のさらさもようのある お皿に盛りつけて
やっと春になった と
にこにこしながら 食べる

こんなおいしいものは
この世にまたとない

これは

地のもの逹の文化であり 文明であり

核兵器を作る人達や
原子力発電を作る人達への
捧げものではない

   山尾三省詩集 びろう葉帽子の下で より

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# by anzu-ruyori | 2018-07-17 17:03 | 日々ログ
2018年2月7日水曜日 日本軍性奴隷問題の解決を求める水曜行動に参加しました。

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                             photo by Toshiya Morita

きょうのスピーチ 


私は左京区に住んでいるあんずといいます。 

毎月一回 ここで日本軍慰安婦問題の解決を求める街頭活動に参加しています


アジア太平洋戦争は、1945年に終わりました。

73年前となります。そんな昔のことをいっても仕方がないという人もいます。

でも、私はこの日本が戦争をしていたということを、忘れてはいけないと思います。

忘れると、同じことが繰り返されるからです。

ここ、京都にも72年前の今頃は、爆撃がありました。

私は訪問介護の仕事をしているので、高齢の方から戦争中のお話をたくさんお聞きします。

軍需工場で働いていた、コメの買い出しにいった、爆撃機におそわれた、お父さんが戦死したことなど、お聞きしました。


お話くださる方も、高齢ですから、直接 おききできる最後のときだと思っています。


そして、戦地では、「慰安婦」と呼ばれる女性たちが、いました。

私がお逢いした 韓国の カンイルチュルさんは、15歳のとき、警察に連れていかれて中国で「慰安婦」とされました。

戦争が終わっても帰ることができず、中国の病院で看護師として働いて、家族も持たれました。


カンイルチュルさんが、韓国に帰ることができたのは、2000年です。

戦争がおわって、55年も故郷に帰ることができなかったのです。

帰ったときには、家族は誰もいなかったといわれました。

今は、「ナヌムの家」というグループホームにおられますが、畑仕事をしておられます。



カンイルチュルさんは、私に「ずっと仕事をもって働きなさい」といってくださいました。

看護師として、誇りをもって働いてこられたからこその言葉だと思います。



私はこの間、ある性暴力被害にあわれた女性から、

日本軍「慰安婦」被害者のソンシンドさんの「俺の心は負けてない」という言葉に

力づけられたという話を直接 お聞きしました。


ソン・シンドさんは昨年、12月16日に亡くなられました。96歳でした。

慰安婦被害を名乗り出た日本で暮らすただ一人の女性でした。

ソン・シンドさんは、望まない結婚から、のがれてきたところを、仕事があると騙されて日本軍慰安婦にさせられました。

戦後、宮城県の女川でくらし東京の支援団体の協力で日本政府に謝罪と賠償を訴える裁判を提訴されました。

結果、慰安婦被害があったことは認められましたが、40年以上経っていたため訴えは、棄却されました。



ソン・シンドさんは裁判にはまけたけれど

「オレのこころは負けてない」

と力強くいわれました。


その言葉に、性暴力の被害を受け、裁判を戦っている女性が、力づけられたのです。


今、この日常にも、性暴力の被害にあっている女性や男性がいます。子どもたちがいます。

昨年、ハリウッド女優が性暴力を告発して、「Me too]というハッシュタグが、広まりました。

日本でもたくさんの「Me Too」があります。

私たちのまわりにも性暴力や抑圧、差別やいじめがあると思います。


70年前「慰安婦」とされた女性たちの証言と日本政府への謝罪と賠償を求める行動は

今の性暴力被害をうけた人たちを勇気づけるものでもあるのです。


2015年の日韓合意は、朴大統領と安倍首相との合意にすぎません。

アメリカ政府の意向が強く反映しているといわれています。


当事者である被害女性たちには、なんの相談もなく決まりました。

被害女性たちがもとめていたことは、何も合意されていません。

被害女性たちは、「二度と私たちのようなことがないように、教科書に記述すること」を強く求めていました。

今、日本の教科書に日本軍「慰安婦」の言葉はありません。


日本政府の誠実な対応を、私たちは求めています。


どうか、日本軍慰安婦問題を自分事として、関心をもってください。




















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# by anzu-ruyori | 2018-02-08 20:02 | 平和 自由 

小川未明の野ばら 

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ここは都からとおい、国境こっきょうであります。
そこには両方りょうほうくにから、ただ一人ひとりずつの兵隊へいたい派遣はけんされて、国境こっきょうさだめた石碑せきひまもっていました。
おおきなくに兵士へいし老人ろうじんでありました。そうして、ちいさなくに兵士へいし青年せいねんでありました。



   毎日顔をあわせていたふたりは次第に仲良しになっていきます。
   日がな一日将棋をしたり、同じ風景をみて心穏やかにすごしていました。
   ところが・・・


やがてふゆって、またはるとなりました。ちょうどそのころ、この二つのくには、なにかの利益りえき問題もんだいから、戦争せんそうはじめました。そうしますと、これまで毎日まいにちなかむつまじく、らしていた二人ふたりは、てき味方みかた間柄あいだがらになったのです。それがいかにも、不思議ふしぎなことにおもわれました。

「さあ、おまえさんとわたし今日きょうからかたきどうしになったのだ。わたしはこんなにいぼれていても少佐しょうさだから、わたしくびってゆけば、あなたは出世しゅっせができる。だからころしてください。」と、老人ろうじんはいいました。

     
    青年は、仲良しになった老人を殺すことなんてできません。
    戦争をしている北のほうに、いってしまいました。
    ひとり残った老人は、毎日青年のことを案じながらすごしていました。 

   小川未明「野ばら」より
  
    つづきは、青空文庫「野ばら」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

息子の公演が、近づいてきた。
題名は「未明」大正から昭和のはじめにかけて、活躍した童話作家、小川未明の作品がモチーフ。

「野ばら」を読んで、少しびっくりした大正時代にかかれたのに、まるで今の政情を暗示しているような寓話だ。
そして、20代の人たちがこれを選択したことに、複雑な気持ちがしている。
大正時代が大戦の狭間、日中戦争前夜であったように、今もそのような気配を彼らは感じているのだろうか。






【公演情報】
ユバチ#3『未明』

構成・演出:田中史明
演出・出演:飯坂美鶴妃、小倉笑、菅一馬、前田愛美、柳泰葉

原作:小川未明

日時
2018年
1月13日(土)15:00、19:00
1月14日(日)14:00
*開場は開演の20分前

会場
京都芸術センター

詳細
http://www.gekken.net/actorslabo/cn31/pg647.html


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# by anzu-ruyori | 2018-01-12 00:17 | アート
毎月第一水曜日は、日本軍「慰安婦」問題の水曜日行動 

今月1月は、第二水曜になりました。

ことしから、毎月の行動のとき、スピーチしようと思います。

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                                         PHOT by Toshiya Morita

2018 1 10のスピーチ原稿

こんばんは

私は左京区に住んでいるあんずといいます。 

毎月一回 ここで日本軍慰安婦問題の解決を求める街頭活動に参加しています。

以前、私はここで若い男性に「どうしてこんなことをしているのですか?」と
尋ねられたことがあります。

いま、ここを歩いておられるみなさんもそう思ったり、邪魔だなとか、
自己満足だなとか、自分には関係ないと思っておられるでしょう。

でもわたしには、日本軍慰安婦問題は関係あるんです。

私がはじめて日本軍慰安婦のことを知ったのは高校の図書館です。
40年くらい前です。

朝日グラフの太平洋戦争特集でした。

1ページ分の女性の大きな写真がありました。

明るい日差しの屋外で白い上質な西洋式のかわいらしい下着姿の女性が
カメラを堂々と見据えてポーズを取っています。

将校つきの慰安婦とキャプションがありました。
髪は日本髪だったかもしれません。

私は彼女が「カッコいいな」と思いました。

それから、30年ちかくたって、2004年、はじめて、日本軍による性暴力被害の女性の証言をききました。

夜中に家から連れ去られ列車に乗せられていくさまを詳細に話してくださいました。
トラジ(ききょう)の花が、ゆれているその光景を、私もみたような気持になりました。

兵隊が満載された船に数名の女性がのせられて、なにがあったか、
みなさん、想像してくださいといわれました。

そのとき、語ってくださった韓国のイ・ヨンスさんは80歳をこえて今も活躍されています。

この写真のソン・シンドさんは昨年、12月16日に亡くなられました。96歳でした。

慰安婦被害を名乗り出た日本で暮らすただ一人の女性でした。

ソン・シンドさんは、望まない結婚から、のがれてきたところを、仕事があると騙されて日本軍慰安婦にさせられました。

戦後、宮城県の女川でくらし東京の支援団体の協力で日本政府に謝罪と賠償を訴える裁判を提訴されました。

結果、慰安婦被害があったことは認められましたが、40年以上経っていたため訴えは、棄却されました。

ソン・シンドさんは裁判にはまけたけれど

「オレのこころは負けてない」

と力強くいわれました。

そのソンシンドさんが、2011 東日本大震災のあと、自宅が津波でながされて行方が知れないと
メールで知ったときの自分の心の動揺を今もよくおぼえています。

あんな酷い経験をして、いま、ようやく静かに晩年をすごしていたのに、最後の最後に津波で命を落とすなんて、
あまりにもあまりにも、理不尽すぎる。

まだ、日本政府に謝罪も賠償も実現していないのに、とどうしたらいいのか、立ち尽くしました。

幸い、数日後避難所におられることがわかり安堵しました。

偶然、その日はソンシンドさんの家の前の道が工事中で、
その工事の作業員さんがソンシンドをおんぶして避難してくださったそうです。

ソンシンドさんが、この日本でひとのやさしさに命をすくわれたことを本当によかったといまでも涙がでてきます。

慰安婦にされた女性の数は何千人いたか、わかりませんが、私はそのうちの何人かの勇気ある女性を知っています。

だから、慰安婦問題に私は関係があります。責任があると思っています。

わたしが、高校生のとき、カッコいいとおもった将校つきの慰安婦女性は戦後を生きることができたでしょうか。


ここで毎月一回街頭活動をして、誰かおひとりにでも慰安婦問題に自分も関係あるかもと思ってもらえたらいいなと私は思っています。

以上。
                                     

                  宋神道(ソン・シンド)さん


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# by anzu-ruyori | 2018-01-10 23:12 | 平和 自由 

友人が参加する 絵本ライブ 
ものがたりの世界にはいりこむ不思議な時間 

 
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2017.4.29(土)

春まっさかり!ちょこれっと絵本ライブ@丸善京都本店開催


春まっさかり!みなさまと共に、心躍るお話のたびへ。
絵本と音楽の玉手箱「ちょこれっと絵本ライブ」@丸善京都本店、開催です。
みなさまふるってご参加ください!


日時:2017年4月29日(土)
   ①14時から14時30分 ②15時から15時30分


場所:丸善京都本店(京都市中京区河原町三条下がる 京都BAL内)
   地下1階 児童書売り場

参加費:無料


http://kurinoki-note.sakura.ne.jp/index.html



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# by anzu-ruyori | 2017-04-26 23:17 | アート


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東北記録映画 三部作 「なみのこえ」「うたうひと」をみた。

「うたうひと」は、東北の民話を「語るひと」 と 「聞くひと」を 静かに撮影した作品。

私は、その姿に釘づけになった。「魂 もっていかれた」。ずっと きいていたいと思った。

「語るひと」は三人。
伊藤正子さんは、ちょっとこわそうなおばさん。
佐藤玲子さんは、ちっちゃなおばあちゃん。子どものころ「母ちゃん 昔かたって 昔かたって」といって聞いたお話を語る。
佐々木健さんは、70代の大きなおじさん。40代半ばになって、とつぜん子どもの頃にきいていたお話を思い出したそうだ。その大きな体の中にしみこんだお話が「あふれてきて」語りだしたという。

みなさんが100~200以上の昔話をかたることができるそうだ。

「聞くひと」は小野和子さん。40年以上にわたって、東北の昔話を収集されている。
その穏やかなまなざしと静かな声が、語るひとによりそっている。

この映画には語る人の言葉の字幕はない。「字幕があったほうがいいのでは」という人もいたが、私は不要だとおもった。
ききとれなかったり、方言が、わからなくて、お話がわからなくなっても、まったく気にならなかった。ただ、その語りにゆられているのが気持ちよかった。
きっと、子どもがおばあさんにお話をきいていたときも、よくわからない言葉があってもそれをいちいち尋ねることなく、語りのリズムにゆられてきいていたのだと思う。

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小野和子さんの「みちのく民話まんだら、民話のなかの女たち」を読んだ。(園部図書館 蔵書)
これは、小野さんがお聞きした民話を採録し、「あと語り」として小野さんの解説がつづく。

「うたうひと」でも語られている「猿の嫁ご」は、小野さんがはじめてきいた民話。

::::::::::::::::::::

「猿の嫁ご」

  むがすむがす 娘三人もった親父ぁいで、田さ水掛けにいったど。
  掛けても掛けても 水、溜まんねぇぐて、
  「これでは田植えもできねぇ。だkれか、この田さ水掛けてけねぇべかな。
   娘3人あるから、ひとりくれてやってもいいが・・・」って独りごと言ったっつも。

  したっけぇ、ほれ 山から猿ぁ 出はってきて、

 「おれ、水掛けて、いいあんべぇにしてけっから」って
  たちまち、さんぶりと水掛けてくれたどっしゃ。

:::::::::::

親父は猿に娘を嫁にやると約束してしまう。家に帰って 娘に「お前、猿のどこさ嫁ってけねぇが」ときくが、
上の娘も中の娘も いやだという。ただ、末娘が承知して、迎えにきた猿といっしょに山にいってくれた。

やがて 節句がきて 里帰りとなり、娘は猿に餅をついて親父さまにもってかえるという。
猿は、一生懸命 餅をつく。娘はその餅を臼ごと 猿に背負ってもってかえれという。
猿はよしわかったと、臼を背負って山をおりていく。途中、川っぷちの藤の花が見事に咲いている。

:::::::::::

「あらまあ たまげて美しいこたあ。この花採っていったら、おら家の親父つぁん、なんぼか喜ぶべなぁ」

「ほだら、採ってくべや」

猿は背負っていた臼を下ろすべとしたら、

「あらぁ、そだなどごさ置いたら、おら家の親父つぁん、土臭ぇつって、食ねべな。
 臼背負ったまんま、採ってござい」

っていうから、猿は、臼 背負ったまんま 藤の木さのぼっていったどしゃ。

「この枝、いいかあ」
木の上から聞くと 娘は
「もすこし上の、いいなぁ」
「んでぇ、こいついいかぁ」
「もすこし上の、もっといいなぁ もすこし。もすこし・・・」

猿は上へ上へと、のぼっていったれば、臼の重み、猿の重み、藤の枝、ぼっきんと折れて、下の川さ落って、そのまんま流れていったどしゃ。

流されながら、発句、詠んだっつもなぁ。

 猿川に落ちる命は惜しくない
 あったらお前を後家にするがや

娘はそれを聞いて
「ばか猿やぁ だれぇ 後家になるけやぁ」
って どっとと家さ帰っていったどしゃ。

 こんでよんつこもんつこ さけたどしゃ

::::::::::::::::::::::::::

面白いはなしだけど、流されていく猿が、あわれで、ちょっとひどい娘だなと思わないではなかったが、
おばあちゃんの「ばか猿あ だれぇ 後家になるけやぁ」がとってもうれしそうなので、笑ってしまった。

小野和子さんが、「猿がかわいそうね」というと、
語ってくれたおばあさんは、不思議そうな顔をして

「おれだってもやぁ、何べん 実家さ逃げてっ帰りたかったかしゃねんぞ」

と、16歳で「見たこともねえ」相手に嫁にきた苦労を語った。

小野さんは
「嫁ぎ先で、好き放題いい、猿を川につき落として『とっとと家さ帰った』という娘の行動は
おばあさんの現実には一度も叶えられなかった夢の実現だったのではないか」
と悟ったのだ。

民話は、ただの空想物語でなく、民衆の願望や心の解放や為政者への嘲笑や自然への畏敬など、土地と風土に育まれて長い年月に醸造されてきたものなのだ。

「食わず女房」と過食症の中学生のことや、がダルカナル島から生還したおじいさんの不思議な夢の話、まるで現代のスプラッターホラー「戸ぉ あけろ」のお話など、とても心にしみわたっている。


東北に民話をききにいかなくては!


小野和子さんの震災後の民話についてのお話は以下に。

明日への言葉 津波を伝える民話の力1↓
http://asuhenokotoba.blogspot.jp/2013/11/blog-post_7.html

明日への言葉 津波を伝える民話の力2↓
http://asuhenokotoba.blogspot.jp/2013/11/2.html



 









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# by anzu-ruyori | 2017-04-26 00:21 |

ことしも 桜が美しく咲きました。ありがたいことです。



でも、この世界は混乱のまっただ中。

「私にできることはいったいあるのか」と うづくまってしまいそうです。


そんなとき、今こそ なにかしよう という仲間がいました。

 

4月18日火曜日 午後6時半~8時 京都三条大橋で スタンディング ビジル(追悼)します。

さあ 一緒に立ちましょう 


以下、よびかけ文


☆彡

北朝鮮を攻撃しないで!
北朝鮮も挑発をしないで!
戦乱でのすべての死を悼みます!
三条大橋で18日夜にビジルをしましょう!

みなさん。世界で戦乱が続き、爆弾事件なども多発しています。
すでにシリアで、アフガンで、そしてロシアで、スウェーデンでたくさんの方が亡くなっています。


そんな中、アメリカが戦争政策をどんどん進めています。

なんといまは朝鮮半島にアメリカが空母打撃群を展開中。
北朝鮮が核実験を行った場合、攻撃が始まるかも知れません。

そのときに北朝鮮が反撃すれば、狭いアジアの各地で大変な戦乱が起こり、

たくさんの人が殺されてしまいます。私たちはその危機の前にいます。


トランプ大統領や金正恩委員長の判断で、アジアのたくさんの人の命が奪われるなんてごめんです。

またこれ以上、世界で戦争や爆弾攻撃で、人が殺されることもごめんです。


アメリカは戦争をやめて!
北朝鮮を攻撃しないで!
北朝鮮も挑発をしないで!

この言葉を叫ぶとともに、この間の戦乱で亡くなったすべての方の命を悼むために緊急にビジルを行います。

ぜひご参加ください。


参加にあたっては各自、プラカードとろうそくをご用意ください。
橋の上は風が吹くのでろうそくはガードがあった方がよいです。
一番いいのはペットボトルで作ることです。
緊急なのでこちらで用意できません!よろしくお願いします!


4月18日午後6時半~8時
三条大橋にて(京阪電車出口付近に集合)


主催 ピースウォーク京都


なお小雨の場合は行いますが雨が強くなる場合は中止します。


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# by anzu-ruyori | 2017-04-17 19:43 | 日々ログ

ブログ10年! わあ~ 

きょう、気が付いたらこのブログの10周年がすぎていた。
2006年1月からはじめたのであった。

長いことお世話さまです。
見てくださっている方々、そしてエキサイトブログさん ありがとうありました。

このごろは、更新もおそくて ほぼ放置状態ですが、
10年前は、結構いろいろ書いていて、読み返すと忘れていたあれこれが
散乱しているのであった。

ちなみに一回目は鏡餅↓
http://miteikou.exblog.jp/253447/

10年前の私は、今の私とぼぼ変わらないようで、やっぱり変わっている。
繊細さがなくなっている気がする。いろんな意味で。

ていねいに死ぬまで生きていきたい。

今よんでいる本
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2015年9月刊 大月書店 

竹内浩三は、伊丹万作の弟子だったのかどうか!
残された文章と証言、そして想像力で検証されていく。
浩三さんも喜ぶ愛ある一冊。


最近みてきた作品展 
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Co-jin Collection[コジコレ]
会 期|2016年4月6日(水)〜5月8日(日)
10:00〜18:00(月曜定休)

場 所|art space co-jin
(京都市上京区河原町通荒神口上ル宮垣町83 レ・フレール1階)

出展作家(50音順・敬称略)|井上潔、井上広美、大柳憲一、金田尚子、金井幸枝、林川幹雄、小松満雄、瀬戸口友代、玉田雄気、中川淳、中塚季子、長岡麻里奈、長谷川栄子、森田仁美


しょうがいのある人たちの作品展です。
すばらしい!必見です。

会期中にまたいきます。


あと20年はつづけていたいな ブログ「未定稿」 

さあ 書くのよ。
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# by anzu-ruyori | 2016-04-16 22:40 | 日々ログ